ナショナル・シアター(読み)なしょなるしあたー(英語表記)National Theatre

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナショナル・シアター」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・シアター
なしょなるしあたー
National Theatre

イギリス国立劇場。建物のほうは1976年10月25日開場演劇の盛んなイギリスで国立劇場を興そうという気運は古く18世紀からあったが、実際の発足はヨーロッパ諸国のなかでもっとも遅れをとった。それにはさまざまな理由があるが、やはり個人や私企業の独立心が旺盛(おうせい)で自由競争を尊ぶ国民性にその原因の一斑(いっぱん)を求めることができる。そうした次第で、ロンドンのテムズ川南岸に建物の基礎が据えられたのは第二次世界大戦後の1951年であった。その後、建設地はウォルター橋を下流に越えた現在地に落ち着いた。

 一方、ナショナル・シアター劇団発足のための委員会は1962年7月に結成された。翌8月にローレンス・オリビエが初代責任者に指名され、建物の完成までしばらくオールド・ビック劇場を本拠上演活動を続けることになった。最初の公演は翌63年10月22日、ローレンス・オリビエ演出『ハムレット』であった。それから13年後の1976年10月25日に扇形客席と張出し舞台をもつ主力劇場オリビエ劇場が『タンバレイン大王』(クリストファ・マーロー作)で開場、この日をもって公式の開場日とした。なお、プロセニアム方式(プロセニアム・アーチ)の中劇場リトルトンは、これの7か月前の3月に開場しており、もう一つの実験劇場コテスローの開場は、翌77年3月である。これらの劇場名はいずれもナショナル・シアター開設に功のあった人物の名前にちなんでいる。

 劇場の完成前の1973年にオリビエは芸術監督の席をピーター・ホールに譲り、ホール体制の15年ののち、88年にリチャード・エアRichard Eyre(1943― )が、97年にトレバー・ナンTrevor Nunn(1940― )がそれぞれ芸術監督に就任した。こうして、三つの劇場を擁するイギリスのナショナル・シアターは古典劇近代劇、現代劇、実験演劇、前衛劇、翻訳劇、創作劇など幅広い演目をもって多数の観客を集め、ロイヤル・シェークスピア劇団とともにイギリス演劇というより世界の演劇の中枢に位置している。

[中野里皓史・大場建治]

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改訂新版 世界大百科事典 「ナショナル・シアター」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・シアター
National Theatre

イギリスの国立劇場。ナショナル・シアターという語そのものは,一般に国家の財政的援助によって維持されている劇場を中心とした演劇組織を意味する。フランスのコメディ・フランセーズのような国立劇場をイギリスに建設しようという意見は,D.ギャリックなどすでに18世紀からあった。しかし実際にはようやく1908年になって建設委員会が結成された。その後,2度の大戦による建設計画の中断を経て,1951年にロンドンのテムズ川南岸の場所に建築することが決められた。場所はその後ウォータールー橋の東に最終的に確定し,他方,L.K.オリビエを芸術監督とする劇団が組織され,63年,オールド・ビックを仮の本拠として公演を始めた。オリビエは73年にP.R.F.ホールに責任者の地位を譲った。D.ラズダン設計の新しい劇場は76年に一部開場,翌年に完成した。それぞれオリビエOlivier,リトルトンLyttelton,コテスローCottesloeと呼ばれる大中小三つの劇場から成っている。
国立劇場
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナショナル・シアター」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・シアター
Royal National Theatre

イギリスの王立劇場,および付属劇団。ロンドンにあり,3つの劇場をもつ。 18世紀以来,イギリスに国立の劇場を設立しようという試みはあったが,現実的な試みは 1907年 W.アーチャーらによって作られた計画書が最初であった。しかしこれは第1次世界大戦で挫折し,ようやく第2次世界大戦後の 49年,新たな法案が議会を通過。 62年 L.オリビエを芸術監督に迎えてまず劇団のみ創設,翌 63年『ハムレット』で旗揚げ。 76年テムズ川南岸に劇場を開設,88年にはエリザベス2世より王立の名称を許された。古典劇から現代演劇までの幅広いレパートリーとそのすぐれた上演で知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のナショナル・シアターの言及

【イギリス演劇】より

…68年に責任者はトレバー・ナンに変わったが,基本方針はそのままである。1962年には,ローレンス・オリビエを責任者とするナショナル・シアターが成立し,最初はオールド・ビックで,76年からはテムズ川南岸の新しい劇場で(1973年に責任者はP.R.F.ホールに変わった),多彩な仕事を発表した。これらは実験的とはいっても文学作品としての戯曲を上演するという一線は守っているが,ロンドンでも地方都市でも認められる〈フリンジ〉とか〈もう一つの演劇〉とかと呼ばれる前衛劇には,戯曲の文学性や言語による伝達の可能性を否定し,劇作家よりも演出家に最終的な優位を与えようとするものもある。…

【国立劇場】より

… ところが,近・現代に登場した比較的新しい国立劇場になると,今ふれた革新の具現化のような場合もあって,概して開場の動機や成り立ちや仕事ぶりなど全体のトーンが,旧来の国立劇場とは異なる。ロシアの〈モスクワ芸術座〉や,旧東ドイツの〈ベルリーナー・アンサンブル〉や,フランスの〈国立民衆劇場〉(略称TNP)や,イギリスの〈ナショナル・シアター〉(略称NT)などがその好例である。 まず〈モスクワ芸術座〉は,19世紀末,マンネリ,商業主義,大芝居化していた当時の演劇界の大勢に抗して,リアルで純正な,演劇ならではの手ごたえをという革新の願いから革命翌年の1918年に生まれたもので,この事情は同時代のドイツの〈マイニンゲン一座〉や,フランスその他での〈自由劇場〉運動と軌を一にしている。…

※「ナショナル・シアター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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