翻訳|Stalinism
ソ連の政治家スターリンの思想と事業を特徴づけることば。スターリン存命中は、マルクス主義、レーニン主義を発展させた思想・理論として一時は肯定的に用いられたが、その死後は、個人崇拝、大量粛清や官僚主義的指導、ソ連中心の大国主義などをさすものとして、もっぱら否定的な意味で用いられている。その特徴としてしばしば指摘されるのは、次の諸点である。
(1)一国社会主義 スターリンは1924年に『レーニン主義の基礎』を著し、同年末「一国社会主義」論を提唱した。彼は、西欧の先進国で革命が起こらなくても、ソ連一国だけで「完全な社会主義社会を建設し遂げることができるし、また建設し遂げなければならない」と主張した。これに対して、トロツキー、ジノビエフ、カーメネフら「左派」は、スターリンの「民族的偏狭さ」を批判し、マルクス以来の「永続革命論」に基づき国際主義、世界革命への発展を唱えたが退けられた。スターリンは当時ブハーリンとともに農民との協力、緩慢なテンポの工業化を主張していたが、「左派」の追放後、ブハーリンらを「右派」として退け、一転して急速な工業化と農業集団化の路線を採用、その強制的・全面的な集団化は「上からの革命」とよばれた。以後、五か年計画に基づく工業化を推進し、ソ連を工業国にすることに成功した。
(2)一党制とプロレタリア独裁 スターリンはロシア革命の経験から一党制をプロレタリアート独裁の「基本的条件」とみなし、複数政党制の可能性を否定した。彼によれば、プロレタリアート独裁は「本質的には」共産党独裁であり、党→大衆組織→大衆の三者の関係は、「階級組織の最高形態」としての党が意思を決定し、大衆組織(ソビエト機関、労働組合、協同組合など)が党の「伝導ベルト」の役割を果たし、大衆が党の意思の実行部隊となる、という階層制でなければならない。したがって、党と国家は一体化され、労働組合も党=国家に従属した「伝導ベルト」の一つにすぎない。
(3)一枚岩主義 スターリンは一党制を絶対化しただけでなく、共産党を「一枚岩の組織」とみなした。彼は、第10回党大会決定の分派禁止を永遠の原則に高め、少数派の見解を思想闘争によってではなく、組織的排除によって克服するよう主張した。さらに、社会主義建設が前進するにつれて階級闘争が激化するという論理を用いて、党幹部・軍幹部を含むいっさいの批判勢力に大量弾圧・粛清を加え、個人独裁を確立した。
(4)大国民族主義 スターリンは、民族を「言語、地域、経済生活および文化の共通性のうちに現れる心理状態の歴史的に構成された堅固な共同体」と狭く定義し、民族を資本主義の勃興(ぼっこう)期に成立する近代的なものとみなした。この民族の定義が当てはまるのは若干の文明化した大民族に限られ、ユダヤ人や辺境の少数種族は「民族」ではないことになってしまう。したがって、この定義に従う限り「民族自決権」をもつことが認められるのも大民族に限られることになりかねない。事実、スターリンは、ソビエト連邦を構成する諸民族のうちロシア人を指導的民族とみなし、周辺の少数民族を強制移住させたり、ユダヤ人に圧迫を加えたりした。第二次世界大戦後、東欧諸国でソ連軍の占領下で「人民民主主義革命」が成功すると、スターリンはこれらの諸国をソ連に従属させ、自主的な立場をとったユーゴスラビアを国際共産主義運動から破門した。
一面では、スターリンは「一国社会主義」「大祖国戦争」などの民族主義的スローガンによって愛国心を駆り立て、ソ連の工業化と防衛を成功させた。しかし、彼の指導のもとでコミンテルンはソ連外交に従属させられ、「プロレタリア国際主義」はソ連中心主義を意味するものとなった。また、スターリンはナチス・ドイツや英米と勢力圏分割協定を結び、他民族の運命を大国間の交渉で決定する道を選んだ。彼は、民族の自決権を事実上認めず、大国民族主義の立場をとったのである。
(5)社民主要打撃論、社会ファシズム論 スターリンは社会民主党を「客観的にはファシズムの穏和な一翼」とよび、ここから社会民主主義に対する「社会ファシズム」というレッテルが生じた。さらに彼は、社会民主主義との闘争を最優先させる「社会民主主義主要打撃論」を唱え、とくにその左派に打撃を集中するよう主張した。このセクト的な路線はコミンテルンを通じて国際的に広がり、ドイツ・ファシズムの勝利を許す一要因となった。
スターリン主義は、ソ連内部で大きな権力を握ったばかりでなく、コミンテルンやコミンフォルムを通じて国際的にも波及した。ドイツ共産党のテールマンやフランス共産党のトレーズなどは典型的なスターリン主義者であったといわれる。
[志田 昇]
ソビエト共産党書記長になったスターリンによってもたらされた思想・体制・政策の総称。この呼称はトロツキーと彼の支持者が,レーニン死後のスターリン指導下のソビエト体制を批判的に論ずる時に使用したものであるが,スターリン批判(1956)以降は西側世界でも否定的意味をこめて,より広義に使われるようになった。スターリンは遅れたロシアでの社会主義建設を強行するために,急速な工業化と農業の集団化を至上目標に,農民をはじめ国民各層を力で抑えつける政策をとり,国民の強い不満をかった。そこでスターリン指導下の党は国家権力と一体化して,社会全体の改造を図り,党内反対派や農民,知識人などの人民に対するテロルを行った(大粛清)。また,スターリンはコミンテルンやコミンフォルムなどの国際共産主義運動の思想や行動にも影響を与え,最初の社会主義国ソビエトの指導の下での各国共産党の活動を求め,自主的活動を制限した。このようにスターリン主義とは,社会主義国家において支配政党が国家と癒着して,専制的な指導者の機構になった状態を指す。スターリン主義は権威主義,事大主義的傾向を共産主義運動のうえに生じさせ,国内的には,人民に対するテロリズムの体制,党による強圧的な指導体制を,国際的には,ソビエトの一国社会主義によるナショナリズムをもたらした。この結果,国民の自主的活動は抑えられ,経済発展が遅れ,隣接社会主義国との関係にも緊張状態が生じた。スターリン主義の評価については,レーニンの社会主義に対する理念や組織とどう関連するかを論議するもの,ロシアの後進性やスターリンの個人的性向や指導の特質の側面を重視する見解などがある。また,中国のようにスターリンの思想や行動の積極的側面を評価するものもあるなど,その内容の理解には多くの議論がある。
→個人崇拝
執筆者:下斗米 伸夫
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スターリンの思想と事業の全体あるいは一部を批判的にみる言葉。初めはトロツキーと第4インターナショナル派が用いた。それによれば,これは大衆に対して勝利した官僚の支配体制をさす。1956年のソ連共産党第20回大会で,スターリン批判が行われた。このとき批判された中心点は,大粛清における行き過ぎと過大な個人崇拝である。以後ソ連では,彼の思想と行動に現れた欠陥がさまざまに指摘されたが,問題は個人的資質にあるのみではなく,思想体系や体制にあるという批判が国外から出され,そのような主張からこの言葉が新しく使われ始めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…あらゆる制度を一本化して頂点で結び,上からの徹底した管理をねらったのはナチズムの等制Gleichschaltungであったが,ナチスはこの体制を実施するうえでソ連の一党独裁制に悪い意味で学んだといわれる。そこで,1930年代から第2次大戦後にかけての大衆社会論は,ナチズムを典型とするファシズムとともにある程度までスターリン主義をも念頭におきながら,現代的独裁制のもとにおける支配者の徹底的な大衆管理を批判した。また,とくに戦後のアメリカで展開された大衆社会論は,大衆管理の手段としてのマス・メディアの発達をも重視し,アメリカのような民主主義的産業社会にも徹底した大衆管理が出現する可能性を指摘した。…
… 共産党の起源をマルクス,エンゲルスが組織した1847年の共産主義者同盟,そして第一インターナショナル(インターナショナル)に求める見方もあるが,より直接的には,第1次大戦の勃発による第二インターナショナルの分裂・崩壊,レーニンらの指導による1917年11月のロシア革命の成功を経て,19年3月に第三インターナショナル(正式には共産主義インターナショナル,略称コミンテルン)という世界単一共産党が創設されたことが,かつて世界に存在した100を超える各国共産党などの政党の真の起源となった。そのことは,コミンテルン支部として組織された各国共産党のイデオロギー,戦略・戦術,行動様式,組織原則などが,その初期においてはコミンテルン創設者レーニンらの,ついでソ連共産党内部でスターリンの覇権が確立されていき,それと並行してコミンテルンのソ連共産党への従属が進行していくにつれて,スターリン主義の,ないしはスターリンが定式化した〈レーニン主義〉の圧倒的に深い影響下にあったことを意味している。とくに後者の影響は,第2次大戦後もかなり長く残ることになった。…
※「スターリン主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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