セツルメント運動(読み)セツルメントうんどう

大学事典 「セツルメント運動」の解説

セツルメント運動
セツルメントうんどう

[背景と思想

オックスブリッジの教師・学生を中心としたボランタリー組織による社会改革運動で,中流階級のボランティアたちが貧民地区に住み込み,セツルメント・ハウスと呼ばれる施設を拠点に,当該地区の貧しい人々と直接触れ合いながらその生活実態を学び,その解決方策を探っていくもの。社会問題が深刻化したヴィクトリア時代における,ロンドン貧民地区に住む人々の生活困窮がその背景にあった。若くして死去したアーノルド・トインビー,A.(オックスフォード大学(イギリス)の歴史学者で社会改革者)を記念して1884年に設立されたトインビー・ホールイギリス)が最初のセツルメント・ハウスである。そこでの活動は地域に暮らす貧しい人々の生活支援,教育,福祉,伝道を中心に展開された。同時に責任ある市民としての模範を示し,スラム街における中流階級のリーダーシップのあり方について新しいスタイルを模索することも目指された。そうした活動を通じて「二つの国民」といわれた中流階級と労働者階級間の溝と格差を埋めるため,その拠点としてセツルメントが構想された。

 セツルメントというアイデアは,1870年代に,ロンドンのホワイトチャペル地区にあったセント・ジュード教会の牧師サミュエル・バーネット,S.(トインビー・ホールの初代館長)により考案されたものだが,その思想的淵源はF.D. モリスやチャールズ・キングズレーのキリスト教社会主義にあった。彼らの思想に共鳴し,バーネットとも交遊があった学生たち(とくにオックスフォード大学の学生)は,すでに1860年代から個別にロンドンのスラム地区に入り込み,一定期間そこで生活するようになっていた。そうした少数の学生の個別の動きは,1883年10月のあるパンフレットの出版を契機に大きな流れとなった。ロンドン会衆派連合の事務局長アンドリュー・マーンズ師が匿名で執筆した「見捨てられたロンドン市民の悲痛な叫び―赤貧の人々の生活実態調査」がそれである。その出版は社会に大きな衝撃を与えた。とりわけキリスト教社会主義,理想主義,人道主義を信奉するオックスブリッジの若き大学人にはそうであった。

 この機会をとらえてハロー校校長のモンタギュー・バトラーや,オックスフォードのトリニティ・カレッジ(オックスフォード)学寮長たちは相次いでこの問題を取り上げ,大学やカレッジの説教壇から大学人に呼びかけ訴えた。サミュエル・バーネットも彼らに続き,1883年11月17日にオックスフォードのセント・ジョンズ・カレッジ(オックスフォード)で「大都市における大学人のセツルメント」と題するペーパーを読み上げた。イースト・ロンドンのセツルメントはここから始まり,トインビー・ホールの開設,そこでの活動開始(1885年1月)につながる。

[運動の展開]

運動の先鞭をつけたのはオックスフォード大学であった。そこにはベリオル・カレッジを拠点として,T.H. グリーンやアーノルド・トインビーなど理想主義学派に連なる「行動する市民的学者・知識人」の一群が集っていた。彼らは自らの社会的責任を果たすべく,その活動の具体的なかたちを模索していた。一方,ケンブリッジ大学(とくにトリニティ・カレッジ(ケンブリッジ))もすぐこれに続いた。両大学の間では相互の情報・知見の交流があり,連携・協力もあった。実際,セント・ジョンズ・カレッジにおけるバーネットの演説を聴いた聴衆のなかにはケンブリッジの著名な大学人がおり,トインビー・ホール開設に向けての支援を募るため,1884年5月,ケンブリッジに委員会が設置されている。委員には著名な生理学教授マイケル・フォスターや大学拡張運動の創始者ジェームズ・スチュアート,J.も名を連ねていた。ケンブリッジではトリニティ・カレッジが運動の先頭に立ち,1885年5月,ロンドンのカンバーウェル地区にトリニティ・カレッジ・ミッションを開設した。大学人や学生による貧困地区での伝道・布教活動はそれ以前にも行われていたが,セツルメントというかたちでの本格的な活動はこれが最初であった。トリニティに続いてペンブローク,コーパス・クリスティなどのカレッジが相次いでロンドン各地の貧困地区にミッションを開設していった。

 セツルメント運動はやがて全英各地,さらにはアメリカ合衆国,カナダ,フランス,ドイツ,日本などにも広がり,国際運動へと展開していった。第2次世界大戦後,イギリスの社会保障制度の基礎を築き,福祉国家形成の一翼を担ったウィリアム・ベヴァリッジ,W.は,若き日にはトインビー・ホールのセツラーであり,のちには同ホールの副館長となるが,1905年にセツルメントを「人間性に関する大学院教育の実習現場」と定義している。
著者: 安原義仁

参考文献: Briggs, A. and Macartney, A., Toynbee Hall: The first hundred years, London, 1984.

参考文献: Goldman, L., Trinity in Camberwell: A history of the Trinity College Mission in Camberwell 1885-1985, Cambridge, 1985.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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