バーネット(読み)ばーねっと(英語表記)Frank Macfarlane Burnet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーネット」の意味・わかりやすい解説

バーネット(Frank Macfarlane Burnet)
ばーねっと
Frank Macfarlane Burnet
(1899―1985)

オーストラリアの免疫学者。銀行の支配人の息子として、ビクトリア州トララルゴンに生まれる。メルボルン大学医学部に進学し、1923年医学博士号を取得した。メルボルン大学の研究所や病院に勤務したのち、1926年ロンドンのリスター研究所に留学した。1944年メルボルン大学の実験医学研究所の教授および所長となり、1965年まで務めた。1951年にはナイト爵に叙せられ、1958年にはメリット勲章を受けている。

 ウイルスの研究を行い、1935年にはインフルエンザA型ウイルスを培養、分離に成功し、高い評価を得た。この研究を進めていくうちに免疫学に強い関心をもち、免疫をもたらす抗体が産生されるのは先天的なものではなく、後天的につくりだされるという説を提唱した。この説は、のちにイギリスメダワーによって立証された。この業績により、1960年のノーベル医学生理学賞をメダワーとともに受賞した。

[編集部]


バーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett)
ばーねっと
Frances Eliza Hodgson Burnett
(1849―1924)

アメリカの女流作家。11月24日、イギリス、マンチェスターの富裕な金物商の家に生まれる。3歳のときに父を失ったため経済的に困窮し、1865年に家族とともにアメリカに移住した。幼いときから空想したり物語をつくったりすることが好きだったので、家計を助けようと出版社に物語の原稿を送ったところ採用され、68年から作家として本格的活動が始まった。73年、医師のスワンバーネットと結婚。次男をモデルにした『小公子』(1886)で大成功を収め、『小公女』(1905)、アメリカ児童文学古典とまでいわれるようになった『秘密の花園』(1910)により、作家としての名を不朽のものにした。さらに、自らの置かれた境遇のなかで前向きに生きる主人公を描くことにより、教訓主義に偏向しがちだったアメリカの児童文学に一つの転機を与えた。1924年10月29日没。

[掛川恭子]

『『秘密の花園』(吉田勝江訳・岩波少年文庫/岡上鈴江訳・旺文社文庫)』『猪熊葉子訳『秘密の花園』(1979・福音館書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーネット」の意味・わかりやすい解説

バーネット
Burnet, Gilbert

[生]1643.9.18. エディンバラ
[没]1715.3.17. ロンドン
イギリスの聖職者,歴史家。 1669年よりグラスゴー大学神学教授。国王チャールズ2世の不品行をしばしば忠告し,85年ジェームズ2世の即位とともにオランダ亡命,同地で,オランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世 ) の信用を得て,88年名誉革命に際し従軍牧師としてオランダからイギリスに同行。 89年ソールズベリー主教。主著『イギリス宗教改革史』 History of the Reformation of the Church of England,『同時代史』 History of his own Times。特に後者は名誉革命の史料として貴重。

バーネット
Burnett, Frances Eliza

[生]1849.11.24. マンチェスター
[没]1924.10.29. ニューヨーク,プランドーム
アメリカの女流作家。旧姓 Hodgson。イギリスに生れ,父を失ってのち一家とともに渡米,1873年医師スワン・バーネットと結婚した。その頃から創作を始め,77年にランカシャーの鉱山を舞台にした処女作『ラウリーの娘』 That Lass o' Lowrie'sを発表,その後子供向けのロマンチックな作品を多く書いた。最も有名なのは『小公子』 Little Lord Fauntleroy (1886) 。ほかに『小公女』 The Little Princess (1905) ,『秘密の花園』 The Secret Garden (10) など。

バーネット
Burnet, Sir (Frank) Macfarlane

[生]1899.9.3. ビクトリア,トララルゴン
[没]1985.8.31. メルボルン
オーストラリアの医師,免疫学者。 1923年メルボルン大学で学位取得。 26~27年ロンドンのリスター予防医学研究所で研究して帰国。 44~65年,メルボルン大学実験医学教授兼ウォルター=エリザホール医学研究所長。組織移植への獲得性免疫寛容の研究の過程で抗体の産生機構にクローン選択説を提唱。これに対して 60年,P.メダウォアとともにノーベル生理学・医学賞を授与された。免疫の研究のほかにも,バクテリオファージによって細菌を同定する方法を発見し,生きているニワトリ胚でウイルスを培養,定量する技術を開発した。また,インフルエンザウイルスを研究し,Q熱の病原体を分離した。 61年来日。

バーネット
Barnet

イギリスイングランド南東部,グレーターロンドンを構成する 33地区の一つ。外部ロンドンに属する区で,グレーターロンドンの北西部に位置する。19世紀半ばに鉄道が通じるまではほぼ全域が農業地帯であったが,その後人口が急増して宅地化が進み,ロンドンの郊外住宅地となった。工業も盛んで,自動車,電機,化学などの工場が立地する。区内にはチッピング・バーネット聖堂(1250)をはじめとする古い建築物が保存されている。面積 87km2。人口 31万4564(2001)。

バーネット
Barnett, Samuel Augustus

[生]1844.2.8. ブリストル
[没]1913.6.17. ロンドン
イギリス国教会牧師,社会改良家。ロンドンの極貧の小教区の牧師となり,成人夜学校を創始,社会事業に献身した。 1875年 A.トインビーの小教区訪問を機にオックスフォード大学生と交流,大学生の社会活動を組織し,84年にはトインビーを記念するセツルメント,トインビー・ホールが創設され,バーネットはその長となった。死後,彼の業績を記念して,社会問題研究センターとしてバーネット・ハウスが設立された。主著『実践的社会主義』 Practicable Socialism (1888) 。

バーネット
Burnet, John

[生]1863.12.6. エディンバラ
[没]1928.5.26. セントアンドルーズ
イギリスのギリシア哲学研究家。 1892年セントアンドルーズ大学教授。おもな業績は,言語学的知識を多用したギリシア哲学史と『プラトン全集』の校訂。イデア説をソクラテスのものとし,バーネット=テーラー説を立てた。主著『初期ギリシア哲学』 Early Greek Philosophy (1892) ,『ギリシア哲学』 Greek Philosophy (1914) 。

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