改訂新版 世界大百科事典 「セルズニック」の意味・わかりやすい解説
セルズニック
David Oliver Selznick
生没年:1902-65
《風と共に去りぬ》(1939)で知られるアメリカの映画製作者。ピッツバーグ生れ。アメリカ映画の草分けの一人であった父ルイス・セルズニック(1870-1933)の〈セルズニック社〉が破産したのち,MGM,パラマウント,RKO,さらにアービング・タルバーグが病気療養中のMGMの製作担当副社長をへて,1935年,念願の独立製作会社〈セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズ〉を設立。企画から完成まで当時の常識を逸脱したといわれる超大作《風と共に去りぬ》が,スター主義と大作主義を貫いたセルズニックのすべてを語る代表作になる。舞台の演出家だったジョージ・キューカーとジョン・クロムウェルを映画界にみちびき,イギリスからアルフレッド・ヒッチコックを招いて《レベッカ》(1940),《白い恐怖》(1945)等々を製作し,ハリウッドにスリラー映画流行の端緒をつくり,また,フレッド・アステア,ジョゼフ・コットン,ルイ・ジュールダン,フレドリック・マーチ,デビッド・ニブン,ローレンス・オリビエ,グレゴリー・ペック,ミッキー・ルーニーらの男優,ジーン・アーサー,イングリッド・バーグマン,ジョーン・フォンテーン,ケイ・フランシス,キャサリン・ヘプバーン,ジェニファー・ジョーンズ,ビビアン・リーらの女優を育て上げ,スターにした功績も注目される。49年,女優のジェニファー・ジョーンズと結婚。戦後は〈大作〉の夢を託した,《風と共に去りぬ》の西部劇版,《白昼の決闘》(1946)のほかはふるわず,イタリアで撮影した空虚な大作《武器よさらば》(1957)が遺作になった。MGMの《悪人と美女》(1953)でカーク・ダグラスが演じるプロデューサー,ジョナサン・シールズは,セルズニックをモデルにしたキャラクターといわれる。製作する映画に関してスタッフに書き送ったおびただしい書簡,電報,指示がまとめられて72年に《セルズニックのメモ》として出版され,セルズニック(あるいはプロデューサー)とハリウッドの映画製作の一面を解明する貴重な資料になっている。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報