スウェーデン出身の映画女優。ストックホルムに生まれ,幼年時代に両親と死別し,ハイ・スクールを卒業して王立演劇学校で学ぶ。映画にデビューして6本目の作品《間奏曲》(1936)でデービッド・O.セルズニックに認められ,ハリウッドへ招かれて英語版のリメーク(《別離》1939)に出演,ロンドンでグレアム・グリーンに激賞される。改めて7年契約をしたセルズニックは,〈第2のガルボ〉にするための企画をさがし,バーグマンのほうはジャンヌ・ダルクを演ずるのが念願であったが,ともに実現せず,バージェス・メレディスと共演の《リリオム》(1940)でブロードウェーにデビューする。その後,ハンフリー・ボガートと共演したワーナー・ブラザース映画《カサブランカ》(1942),ゲーリー・クーパーと共演したパラマウント映画《誰が為に鐘は鳴る》(1943)で人気が上昇し,シャルル・ボワイエと共演したMGM映画《ガス灯》(1944)でアカデミー主演女優賞を受賞してスターの地位を決定づける。アルフレッド・ヒッチコック監督の《白い恐怖》(1945)につづく《汚名》(1946)を最後にセルズニックとの契約が切れ,マクスウェル・アンダーソンの舞台劇《ロレーヌのジョーン》(1946)で念願のジャンヌ・ダルク役を演じてブロードウェーで好評を得るが,ベストセラー小説を映画化した《凱旋門》(1948)も,《ロレーヌのジョーン》をもとにした《ジャンヌ・ダーク》(1948)も不評に終わる。
自伝《マイ・ストーリー》(1980)によれば,1945年にイタリア映画《無防備都市》(1945)を見たときから〈意識の深層で〉監督ロベルト・ロッセリーニに恋をし,48年に《戦火のかなた》(1946)を見たバーグマンは,夫を捨てて,別居中の妻のいたロッセリーニのもとへ走る。〈聖処女ジャンヌ・ダルクの不倫の恋〉と騒がれたスキャンダルの渦中で〈ネオレアリズモの開祖〉と〈ハリウッドの明眸(めいぼう)〉がつくりあげたイタリア映画《ストロンボリ》(1949)は,駄作として酷評され,そのうえバーグマンは,50年3月,婚姻制度へ挑戦した〈ハリウッドの堕落の使徒〉としてアメリカ上院の議場で攻撃され,アメリカ映画から追放される。その後,《火刑台上のジャンヌ・ダルク》(1954),《恐怖》(1955)などロッセリーニ=バーグマン映画はすべて不評に終わるが,フランスのジャン・ルノアール監督の《恋多き女》(1955)で転機をつかみ,ロンドンで製作された20世紀フォックス映画《追想》(1956)で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞して,ハリウッドへカムバックする。夢と愛をかけたロッセリーニとの生活は〈不毛〉に終わり,かつてメキシコで受理された結婚の無効が認められて,58年にスウェーデン人の演劇プロデューサーと3度目の結婚,59年にはアメリカのテレビにもデビューし,ロンドンやパリの舞台でも活躍した。《オリエント急行殺人事件》(1974)でアカデミー助演女優賞を受賞,イングマル・ベルイマン監督の《秋のソナタ》(1978)が最後の映画出演で,最後の舞台はロンドンで上演されたN.C.ハンターの戯曲《月の海》(1979)であった。癌で死亡するまで妻,母,祖母,女優としてひたむきに生きたバーグマンは,〈生涯の最後の日まで演じつづけた〉とみずからの墓石に刻みたいと語っていたという。
執筆者:柏倉 昌美
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スウェーデン出身の女優。ストックホルムに生まれ、王立演劇学校卒業後、1934年から数本の映画に主演した。製作者デビッド・O・セルズニックに招かれて渡米、『別離』(1939)に主演。1940年代には『カサブランカ』(1942)、『誰(た)が為(ため)に鐘は鳴る』(1943)、『ガス燈(とう)』(1944。アカデミー主演女優賞)、『汚名』(1946)と、作品にも恵まれ、情熱的な演技と美貌(びぼう)でトップスターの座についた。しかし、イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督の映画に感動し、1950年に夫と一女を捨てて彼のもとに走り『ストロンボリ』に主演し、結婚。この事件でアメリカ映画界から締め出されたが、1956年の『追想』でカムバックし、再度アカデミー主演女優賞を受けた。1958年に演劇プロデューサー、ラース・シュミットと結婚。晩年は癌(がん)と闘いながら、舞台を主に、『オリエント急行殺人事件』(1975。アカデミー助演女優賞)、『秋のソナタ』(1978)などに出演を続け、ロンドンに没した。自伝『マイ・ストーリー』(1980)がある。
[畑 暉男]
『I・バーグマン、A・バージェス共著、永井淳訳『イングリッド・バーグマン マイ・ストーリー』(1982・新潮社)』
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…劇中で酒場の黒人ピアニスト,サム(ドゥーリー・ウィルソン)の弾く挿入曲(1931年にH.ハプフェルドがブロードウェー・レビュー中の曲として作曲した)《時の過ぎゆくままAs Time Goes By》も有名になった。霧の空港で演じられるヒロイン,イングリッド・バーグマンとボガートの別れ,ドイツ将校たちの合唱するドイツ国歌をフランス人たちの《ラ・マルセイエーズ》が圧倒するくだりなどの名シーンは,ウッディ・アレン脚本・主演の《ボギー!俺も男だ》(1972),ニール・サイモン脚本の《名探偵再登場》(1978)などのパロディ映画で引用,あるいはパロディ化されている。【広岡 勉】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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