セントデニス(英語表記)Ruth Saint-Denis

改訂新版 世界大百科事典 「セントデニス」の意味・わかりやすい解説

セント・デニス
Ruth Saint-Denis
生没年:1877-1968

アメリカの女流舞踊家。生年には1880年説もある。創作舞踊家としてデビューする以前には,女優,トー・ダンサー,モデルなどの職業を転々とする。1904年にエジプト・タバコのポスターで女神イシス像を見たことをきっかけとして芸術舞踊の道を歩みはじめる。舞踊作品《エジプト》を構想するが,経費面で断念し,かわりにインド舞踊の小さなプロダクションを作り06年に《ラダRadha》をニューヨークで発表して成功をおさめる。14年ショーンと結婚し,デニショーン舞踊学校と舞踊団を設立。東洋霊感をもとめたエキゾティックな主題による作品を数多く作り自演し,世界各地を公演。25-26年来日。門下からM.グラーム,D.ハンフリーら後のモダン・ダンスの俊秀を生み,ダンカンとともに20世紀舞踊の先駆者といわれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セントデニス」の意味・わかりやすい解説

セント・デニス
せんとでにす
Ruth St. Denis
(1877?―1968)

アメリカの女流舞踊家。ニュー・ジャージー州に生まれる。小泉八雲(こいずみやくも)の『普賢菩薩(ふげんぼさつ)の話』を題材にした『オミカ』や、インドの物語を舞踊化した『ラッダ』など神秘的・東洋的な作品を振り付け、名声を得た。1914年、弟子のT・ショーンと結婚し、翌年デニショーン舞踊団を組織(離婚に伴い1932年解団)し、世界各国を巡演。1926年(大正15)に帝国劇場の招待で来日し、『クワドロ・フラメンコ』『ゾキトル』『イシュタールの七つの門』などエキゾチシズムの香りの強い作品を上演している。アメリカ・モダン・ダンスの母といわれ、D・ハンフリーやM・グレアムらを育てた。晩年は宗教的な舞踊の研究と実践に集中した。著書に『終わらざる生涯』(1939)がある。

市川 雅]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セントデニス」の意味・わかりやすい解説

セント・デニス
St. Denis, Ruth

[生]1877.1.20. ニュージャージー
[没]1968.7.21. ロサンゼルス
アメリカの女性舞踊家。本姓 Dennis。インドや中近東,日本などいわゆるオリエンタル風の舞踊を踊って名声をはせた。 1914年 T.ショーンと結婚し,デニショーン舞踊学校を設立,M.グラハムらのアメリカ・モダン・ダンスの俊英を育てた。 31年ショーンと別居してデニショーンも解散,新たにソサエティ・オブ・スピリチュアル・アーツを創設。その作品は I.ダンカンのように自由即妙で,また,オリエンタル・ダンスを基盤とした宗教色の濃い振付であり,その舞踊は音楽の視覚化への試みであった。自伝『ルース・セント・デニス-未完の人生』 Ruth St. Denis: An Unfinished Life (1939) がある。

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