ゼルキン(読み)ぜるきん(英語表記)Rudolf Serkin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼルキン」の意味・わかりやすい解説

ゼルキン(Peter Serkin)
ぜるきん
Peter Serkin
(1947―2020)

アメリカのピアノ奏者。ルドルフ・ゼルキン次男カーティス音楽学校でホルショフスキMieczyslaw Horszowski(1892―1992)と父に師事。1964年ニューヨークとロンドンでデビュー、国際的な活動に入る。1968年(昭和43)初来日。20世紀の音楽を得意にとするほか、モーツァルトシューベルトショパンなどを好んで弾いたが、こうした作品では自己を明確に主張ヨーロッパの演奏家とは異なる新しい感覚を示した。1973年にバイオリンのアイダ・カバフィアンIda Kavafian、チェロのフレッド・シェリーFred Sherry、クラリネットのリチャード・ストルツマンRichard Stoltzmanと四重奏団「タッシTASHI」を結成、室内楽でも活躍した。

[岩井宏之]

『デイヴィッド・デュバル著、横山一雄訳『ピアニストとのひととき』上下(1992・ムジカノーヴァ)』『吉田秀和著『吉田秀和作曲家論集3 ショパン』(2001・音楽之友社)』


ゼルキン(Rudolf Serkin)
ぜるきん
Rudolf Serkin
(1903―1991)

オーストリア出身のアメリカのピアノ奏者。ボヘミアのエーゲル(現チェコのヘプ)生まれ。ウィーンでピアノと作曲を学ぶ。作曲の師の1人はシェーンベルクだった。天才少年の評判が高かったが、地道に勉学続行。1920年、名バイオリン奏者アドルフ・ブッシュに認められて彼と二重奏を組み、存在を知られるようになった。36年トスカニーニの指揮で独奏者としてアメリカ・デビュー、大成功を収める。ナチスの進出のため39年アメリカに移住。演奏活動のほか、フィラデルフィアのカーティス音楽学校で後進を指導するとともに、マールボロ音楽祭を主宰した。60年(昭和35)初来日。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームスといったウィーンの音楽を得意としたが、堅固な構成のなかに情熱を高揚させ、快い緊張感を生み出してみせた。次男ピーターもピアノ奏者。

[岩井宏之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゼルキン」の意味・わかりやすい解説

ゼルキン
Serkin, Rudolf

[生]1903.3.28. オーストリア=ハンガリー帝国,エーゲル(現チェコ,ヘプ)
[没]1991.5.8. アメリカ合衆国,バーモント,ギルフォード
オーストリア=ハンガリー帝国生まれのアメリカ合衆国のピアニスト,ピアノ教師。ヨハン・ゼバスチアン・バッハ,ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト,ルートウィヒ・ファン・ベートーベンなどのドイツ音楽を中心に演奏活動を行なった。ピアニストのリヒアルト・ロベルト,作曲家のヨーゼフ・マルクス,アルノルト・シェーンベルクに師事し,12歳でウィーン交響楽団との協演でデビュー。1920年代にはバイオリニストのアドルフ・ブッシュと組んだ名演奏で有名になった。1926年スイスのバーゼルに移住。1933年に初めてアメリカ公演を行ない,1939年に生活や活動の場をアメリカに移した。原譜への忠実さと明快な解釈を特徴とし,1939年から1975年までフィラデルフィアのカーティス音楽院でピアノを教え,1949年にはバーモント州のマールボロ音楽祭の設立に貢献した。息子ピーターもコンサートピアニストとして成功した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報