百科事典マイペディア 「ゼルキン」の意味・わかりやすい解説
ゼルキン
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アメリカのピアノ奏者。ルドルフ・ゼルキンの次男。カーティス音楽学校でホルショフスキMieczyslaw Horszowski(1892―1992)と父に師事。1964年ニューヨークとロンドンでデビュー、国際的な活動に入る。1968年(昭和43)初来日。20世紀の音楽を得意にとするほか、モーツァルト、シューベルト、ショパンなどを好んで弾いたが、こうした作品では自己を明確に主張、ヨーロッパの演奏家とは異なる新しい感覚を示した。1973年にバイオリンのアイダ・カバフィアンIda Kavafian、チェロのフレッド・シェリーFred Sherry、クラリネットのリチャード・ストルツマンRichard Stoltzmanと四重奏団「タッシTASHI」を結成、室内楽でも活躍した。
[岩井宏之]
『デイヴィッド・デュバル著、横山一雄訳『ピアニストとのひととき』上下(1992・ムジカノーヴァ)』▽『吉田秀和著『吉田秀和作曲家論集3 ショパン』(2001・音楽之友社)』
オーストリア出身のアメリカのピアノ奏者。ボヘミアのエーゲル(現チェコのヘプ)生まれ。ウィーンでピアノと作曲を学ぶ。作曲の師の1人はシェーンベルクだった。天才少年の評判が高かったが、地道に勉学を続行。1920年、名バイオリン奏者アドルフ・ブッシュに認められて彼と二重奏を組み、存在を知られるようになった。36年トスカニーニの指揮で独奏者としてアメリカ・デビュー、大成功を収める。ナチスの進出のため39年アメリカに移住。演奏活動のほか、フィラデルフィアのカーティス音楽学校で後進を指導するとともに、マールボロ音楽祭を主宰した。60年(昭和35)初来日。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームスといったウィーンの音楽を得意としたが、堅固な構成のなかに情熱を高揚させ、快い緊張感を生み出してみせた。次男ピーターもピアノ奏者。
[岩井宏之]
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オーストリア出身のアメリカのピアニスト。ウィーンで作曲をJ.マルクスとシェーンベルクに学ぶ。1915年にウィーンでデビュー。20年からA.ブッシュおよび彼の室内楽団としばしば共演し,とくにJ.S.バッハ作品の演奏で高く評価される。ユダヤ系であるためナチスの台頭とともにヨーロッパを去り,39年にはアメリカに定住して国籍を得る。以来,演奏活動と並行してカーティス音楽院で教鞭をとり,またマールボロ音楽祭を主宰している。レパートリーはドイツ古典派・ロマン派の作品を中心とする。長男ジョンJohnはホルン奏者,次男ピーターPeter(1947- )はピアニストとして活躍している。
執筆者:後藤 暢子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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