ダヤーナンダサラスバティー(その他表記)Dayānanda Sarasvatī

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ダヤーナンダ・サラスバティー
Dayānanda Sarasvatī
生没年:1824-83

近代インドの宗教改革者。別名ムーラ・シャンカラMūla Śaṅkara。24歳のときに不二一元論系統をひく〈サラスバティー教団〉に入団,インド古来の伝統的宗教思想に戻るべきであると主張し,〈ベーダにかえれ〉という有名なスローガンを掲げた。ブラフマ・サマージの指導者の一人ケーシャブ・チャンドラ・セーンに出会い,強烈な影響を受け(1872),ついにみずからアーリヤ・サマージボンベイに設立した(1875)。彼は,四つのベーダ本集こそが正しい知恵と宗教的真理の本源であること,また,ベーダに登場する諸神は名称が異なるだけで,実は神はただ一つであることを主張,ベーダを全階層に解放し,カースト制度,幼児婚など,社会の不正と不平等を撤廃する社会事業,教育事業を展開した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ダヤーナンダ・サラスバティー
だやーなんださらすばてぃー
Dayānanda Sarasvatī
(1824―1883)

近代インドの宗教改革者。本名はムール・シャンカルMūl Shankar。カーティアワール地方のバラモンの家に生まれ、幼時よりベーダ聖典を学ぶ。22歳のとき出家遊行(ゆぎょう)者となりインドの聖地遍歴、1848年にはヨーガ行者のパラマーナンダParamānandaと出会ってこれに師事した。彼は当時のヒンドゥー教堕落を攻撃し、ベーダ聖典こそが真理の書であるとして、「ベーダに帰れ!」と主張した。のち、1875年にアーリヤ・サマージを創設し、生涯を伝道活動に送った。

[増原良彦 2018年5月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ダヤーナンダ・サラスバティー
Dayānanda Sarasvatī

[生]1824
[没]1883
インドの宗教改革者。本名 Mūl Shankar。バラモンの家に生まれ,幼少からベーダやサンスクリット語を修めた。 22歳のとき出家し,シャンカラ派の行者としてヒンドゥー教の聖地を遍歴し,ベーダの研究とヨーガの修行をした。 1875年ボンベイでアーリア・サマージを創設し,インドの諸宗教の因習欠陥を指摘し,ヒンドゥー思想をベーダの純粋な教養と初源の思想に戻すことを主張した。アーリア・サマージは社会改革や教育の普及などに貢献し,社会的,政治的に大きな影響を及ぼした。

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百科事典マイペディア の解説

ダヤーナンダ・サラスバティー

近代インドの宗教改革者。ヨーガ修行者であったが,当時のヒンドゥー教が堕落しているのを攻撃し,ベーダに帰れと主張。1875年には宗教改革運動団体であるアーリヤ・サマージ(協会)を設立した。

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世界大百科事典(旧版)内のダヤーナンダサラスバティーの言及

【アーリヤ・サマージ】より

…西欧列強の圧力とキリスト教などの宗教思想の流入にたいする危機感から,19世紀には各種の復古主義的な宗教改革運動がインドの大都市を中心に展開した。アーリヤ・サマージ(アーリヤ協会)もその一翼を担ったものであり,1875年,ダヤーナンダ・サラスバティーの提唱でボンベイに設立され,ボンベイ周辺だけでなくパンジャーブ州,ウッタル・プラデーシュ州にもとくに大きな影響を及ぼした。〈ベーダに帰れ〉という有名なスローガンからも察せられるように,この協会は,4ベーダこそが真理の源泉であり,これをもとにすることによってのみ決して誤まることのない智慧が得られると力説した。…

※「ダヤーナンダサラスバティー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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