アーリヤサマージ(英語表記)Ārya Samāj

改訂新版 世界大百科事典 「アーリヤサマージ」の意味・わかりやすい解説

アーリヤ・サマージ
Ārya Samāj

近代インドにおけるヒンドゥー改革運動団体の一つ。西欧列強の圧力とキリスト教などの宗教思想の流入にたいする危機感から,19世紀には各種の復古主義的な宗教改革運動がインドの大都市中心展開した。アーリヤ・サマージ(アーリヤ協会)もその一翼を担ったものであり,1875年,ダヤーナンダ・サラスバティー提唱ボンベイ設立され,ボンベイ周辺だけでなくパンジャーブ州,ウッタル・プラデーシュ州にもとくに大きな影響を及ぼした。〈ベーダに帰れ〉という有名なスローガンからも察せられるように,この協会は,4ベーダこそが真理の源泉であり,これをもとにすることによってのみ決して誤まることのない智慧が得られると力説した。ベーダには多くの神々の名が登場するが,実はすべて唯一神(ブラフマン)の異名にすぎず,人々はその唯一神を精神的に崇拝すべきであるとして,偶像崇拝に否定的な態度をとった。また,復古的とはいっても,偏狭なバラモン至上主義にくみすることなく,旧来は上位3階級バルナ)の男子にのみ許されていたベーダの学習をあらゆる階級の男女に認め,階級制度,幼児婚,男女差別を否定した。アーリヤ協会は,かつてイスラムやキリスト教に改宗した人のヒンドゥー教への再改宗を熱心に行った。また,孤児院・寡婦寮の建設,飢餓救済,不可触民地位向上など,各種の社会事業を行い,現在にいたっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーリヤサマージ」の意味・わかりやすい解説

アーリヤ・サマージ
あーりやさまーじ
Ārya Samāj

近代インドのヒンドゥー教改革運動の団体。1875年ダヤーナンダ・サラスバティーがボンベイ(現ムンバイ)に創設。この団体は当時のヒンドゥー教の堕落を痛撃し、またキリスト教の進出によるインドの西欧化を慨嘆し、ベーダすなわちインドの古代精神に帰れと主張した。偶像崇拝や祖先崇拝を無用の迷信であるとして排撃したが、業(ごう)や輪廻(りんね)の伝統思想には理解を示し、急進的な改革を避けた。さらに、婦人の地位向上や教育の普及には大きな功績を残したが、カースト制度に対する態度はおおむね妥協的であった。多数の有力者の支持を得て1921年には会員数46万人となったが、その後急速に勢力が衰えた。

[増原良彦]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アーリヤサマージ」の解説

アーリヤ・サマージ
Ārya Samāj

ヒンドゥー教徒の宗教・社会改革運動組織。アーリヤ協会ともいう。1875年にダヤーナンド・サラスワティーが創設。「ヴェーダに帰れ」という復古主義的なスローガンのもとに,カースト制度批判,女性の社会的地位の向上,幼児婚の廃止などの運動を推進し,教育・医療施設を各地につくった。他方では,ヒンドゥー至上主義的な傾向を持ち,ムスリムとの宗派対立を高める原因をつくった。北インドの商人・事務員などの中間層の下層を支持基盤とした。民族運動家のラーラー・ラージパット・ラーイも指導者の一人。現在も活動を続ける。

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百科事典マイペディア 「アーリヤサマージ」の意味・わかりやすい解説

アーリヤ・サマージ

アーリヤ協会とも。近代インドのヒンドゥー改革運動団体。19世紀末にボンベイ(ムンバイ)で設立,復古主義的な宗教・社会改革に取り組み,〈ベーダに帰れ〉をスローガンとして大都市を中心に展開,現在に至る。各種の社会運動にも取り組む。のちのヒンドゥー至上主義運動の源流となった。

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