チェンニーニ
ちぇんにーに
Cennino Cennini
生没年不詳。14、15世紀にわたるイタリアの画家。この画家の作品で確実なものは1点も現存せず、その名前はむしろ『美術の書』Il libro dell'arteの著者として知られている。生涯についても知られていることは少なく、『美術の書』中の記述や、他の資料によると、アンドレア・チェンニーニAndrea Cenniniの子としてコッレ・ディ・バル・デルザに生まれ、フィレンツェの画家アーニョロ・ガッディAgnolo Gaddi(1350ころ―1396)のもとで12年間修業したのち、パドバに移住。結婚して、同地の君主フランチェスコ・ダ・カッラーラFrancesco Ⅱ da Carrara(1359―1406)に仕えたという。『美術の書』は絵画の実践的手引であり、内容は初心者に対する教訓的言説なども含むが、ほとんど実際的な技法の解説にあてられている。同書は当時のフレスコ、テンペラなどの技法や、美術についての考え方を知るための貴重な手掛りとなっている。
[西山重徳]
『C・チェンニーニ著、中村彝・藤井久栄訳『芸術の書――絵画技法論』(1964/オンデマンド版・2004・中央公論美術出版)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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チェンニーニ
Cennino Cennini
15世紀前半に活動した,イタリアのトスカナ地方の画家。生没年不詳。シエナ近郊コレ・ディ・バル・デルサ生れ。T.ガッディの子アニョーロAgnolo Gaddiの弟子。絵画作品は現存していない。彼が著した《芸術の書Il libro dell'arte》(15世紀初頭)は,当時俗語であったイタリア語で書かれた最初の絵画技法論で,テンペラ,フレスコなどさまざまな絵画の材料,用具,技術についての貴重な資料である。同書は大部分が具体的記述による,中世的な実用向き手引書の性格を示す。冒頭で彼は,ジョットを近代絵画の祖とし,この点できわめて近代的な歴史観を示している。
執筆者:鈴木 杜幾子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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チェンニーニ
Cennini, Cennino d'Andrea
[生]1360頃.コルレディバルデルサ
[没]1440頃.フィレンツェ
イタリアの画家。 A.ガッディに師事。確証ある彼の作品は1点もないが,『画技の書』 Il Libro dell'Arte (1380頃,パドバで執筆) の著者として知られる。これは絵画の解釈,様式,技法にわたり,主として G.ジョット以来の絵画の伝統を述べている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のチェンニーニの言及
【素描】より
…これを完成作品の予備段階として芸術的に劣ったものとみるか,あるいは芸術家の精神により直接的にかかわるものとして重要視するかは,時代により個人によって多様である。
[素描と素描論の変遷]
西欧ルネサンス期には,とくに素描の意義が重要視され,チェンニーニは,〈芸術の基本はディセーニョ(素描)と色彩にある〉と述べ,ギベルティは,〈素描は絵画と彫刻の基礎であり,理論である〉と述べ,L.B.アルベルティは,絵画の三要素は〈輪郭,構図,彩光(明暗)〉であるとし,この三要素のうちもっとも基本的なことは,〈空間と物体の境界〉としての〈線〉であるとした。これら初期ルネサンスの素描論の骨子は,空間と物体の明晰な認識とその表現の手段として,線による明確な輪郭づけが基本であるという考えである。…
【テンペラ】より
…テンペラが新しい意味をもつ技術用語として再興するのは19世紀中期以降である。15世紀初めに書かれたC.チェンニーニの技法書《芸術の書Libro dell’arte》をもとに,ロンドン大学にいたトンプソンDoerner Thompsonを中心とした学者や画家グループが,13,14世紀イタリアで行われていた古い彩色技術を復興する研究を行った。この結果,卵黄をおもな展色剤とする古典技法を発見しこれをあらためてテンペラと命名し普及した。…
※「チェンニーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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