チャコ戦争(読み)チャコせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「チャコ戦争」の意味・わかりやすい解説

チャコ戦争 (チャコせんそう)

ボリビアパラグアイとの間に勃発したチャコ地方における国境紛争。19世紀前半の独立期以来長期化していたチャコ地方の国境問題は,太平洋戦争に敗れて太平洋側の領土を失ったボリビアが大西洋への出口を求めて同地方へ進出を開始し,さらに,同地方で石油鉱脈が発見されたことにより戦争へと拡大していった。戦闘領域はピルコマヨ川以北,パラグアイ川以西の26万km2に及び,戦闘年数,死者の数においてラテン・アメリカ最大規模の戦争の一つに数えられる。

 1928年パラグアイによるチャコ地方のボリビア側要塞襲撃に対する報復として,ボリビアがパラグアイ側要塞を逆襲,30年にパン・アメリカ会議が停戦調停工作に入り,一時休戦に持ち込んだ。しかし32年には再び全面的戦争に突入,エスティガリビアに率いられたパラグアイ軍と,ドイツからの招聘軍人クント,ペニャランダによって指揮されるボリビア軍との間に3年間の死闘が繰り返された。戦死者は一説では10万に達し,うち3分の2がボリビア人とされている。戦争はアメリカ,アルゼンチンブラジルウルグアイチリ,ペルー6ヵ国の調停により35年6月ようやく終結,38年7月に和平協定が締結された。パラグアイは自国領有を主張した18万km2に及ぶ大半の地域を獲得した。この戦争は両国のその後の政治に多大な影響を及ぼし,パラグアイでは政情不安の中で1936年二月党による政変が発生,ボリビアではチャコ戦争からの帰還軍人トーロDavid Toroが主導するクーデタが勃発した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャコ戦争」の意味・わかりやすい解説

チャコ戦争
ちゃこせんそう

1932年から35年にかけて、南アメリカ中央部のチャコChaco平原の領有をめぐってボリビアとパラグアイ間で行われた戦争。19世紀初頭の独立以来、チャコ地域は両国間の係争地域となっていたが、太平洋戦争(1879~84)に敗れ太平洋沿岸を喪失したボリビアが、チャコ平原を経由した大西洋への出口を求め始めたことから緊張が高まり、1907年に暫定的な国境線が敷かれた。その後1920年代にこの地方の油田開発をめぐる対立が加味されたために紛争が激化し、32年6月本格的な戦争に突入した。緒戦ではボリビアが優位だったが、33年後半からパラグアイが攻勢に転じ、35年6月アルゼンチンなど南アメリカ六か国の調停を受諾して休戦した。両軍の死者は10万に達したともいわれる。38年の平和条約でパラグアイは1907年の国境線よりも約5万平方キロメートル上回る領土を獲得した。戦後両国では戦争の遂行をめぐって軍部の不満が高まり、36年に両国で軍事クーデターが起こった。調停に成功したアルゼンチンの外相サーベドラ・ラマスは36年ノーベル平和賞を受賞した。

[松下 洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「チャコ戦争」の意味・わかりやすい解説

チャコ戦争【チャコせんそう】

南米,パラグアイ川西方のチャコChaco地方の帰属をめぐる,ボリビア・パラグアイ間の戦争。国境紛争は19世紀前半の独立期からあり,太平洋戦争(南米)に敗れたボリビアが大西洋への出口を求めて進出。さらに同地域で石油鉱脈が発見されたため,1928年に戦闘が始まり,1930年一時休戦。しかし,1932年から本格的戦争となり,1935年米州諸国の調停で休戦,1938年講和条約成立,チャコの大半はパラグアイ領となった。
→関連項目グラン・チャコストロエスネルパラグアイボリビア

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「チャコ戦争」の解説

チャコ戦争(チャコせんそう)
Chaco

1932~35年のグラン・チャコ地方をめぐるボリビアパラグアイの戦争。この地域は植民地期以来の係争地であったが,太平洋戦争で内陸国となったボリビアにとって大西洋に通じる出口であり,また石油利権の獲得,内政の行き詰まりの打破などの思惑があって,戦争に発展した。当初,ボリビアが優勢だったが,34年のイレンダグエ陥落によりパラグアイの攻勢が強まり,アメリカや近隣諸国の調停により38年和平協定が締結された。パラグアイは18万km2におよぶグラン・チャコの大部分を獲得した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャコ戦争」の意味・わかりやすい解説

チャコ戦争
チャコせんそう
Chaco War

パラグアイ川西方チャコ地方の帰属をめぐって 1932~35年ボリビアとパラグアイの間で行われた戦争。チャコ地方の帰属問題は 19世紀の中頃から取上げられはじめたが,同地方に石油が発見されると国際石油資本もからんでその帰属問題が深刻化し,28~30年には武力衝突へと発展した。国際連盟が介入したが成功せず,32年全面戦争へと突入した。 33年5月パラグアイは正式に宣戦を布告。3年にわたる戦争で両国の死傷者は 35万人にのぼり,両国経済は莫大な戦債を負って疲弊した。 35年米州6ヵ国による国際調停が成立して休戦,38年チャコ地方の大部分をパラグアイに帰属させることを決定して戦争は終結した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android