トルコ中央南部コニヤの南東約40km,標高900mの地点にある先史遺跡。J.メラートが1961-63,65年に発掘した。炭素14法によって前7千年紀後半から前6千年紀前半に年代づけられた,新石器時代に属する西アジア最大の都市の規模をもち,新石器時代における農耕村落の常識を大きく変革した記念すべき遺跡である。
東西二つのテルからなり,東が大きく600m×300m,高さ17.5mのテルで,全体の約30分の1の広さを,第ⅩⅡ層まで発掘したが,自然層に達しないままで中断されている。灌漑農耕による栽培植物にはエンマー小麦,アインコルン小麦,パン小麦,大麦,豆類などがあり,家畜には犬,牛,羊が認められ,野獣の狩猟も行われた。西アジアの新石器時代村落では,主要な穀物と家畜が大麦と羊であるのに対して,ここではパン小麦と牛である点が特異である。打製・磨製の石器,骨角器が用いられ,黒曜石を磨いて鏡もつくられた。第ⅩⅡ層から土器が出土するので,土器をもつ新石器時代に属するが,木製容器や箱も使われた。第Ⅵ~Ⅱ層からは幾何学文をもつ土製印章が出土し,多数出土した土偶や石像には,いわゆる地母神像とは異なった,椅子にかけたり抱擁するポーズが多い。住居は方形プランで6m×4mあるいは5m×5mの大きさをもち,道路をそなえず中庭を囲んで群がっており,平たんな屋根に穴を設けて木の梯子によって出入りした。部屋のなかに祭壇と壁画と浮彫をもつ,発掘者がshrine(祠)とよんだ聖家が,約半数から1/3ある。毎年新しく塗られるしっくいの上に舞踊,狩猟などの場面と,幾何学文が赤と黒で描かれ,実物あるいは粘土製の牛頭が壁に飾り付けられている。死者は部屋の床下に洗骨として葬られたが,聖家のものには装身具や副葬品が多い。人骨の研究によると,住民はユーラフリカ人種59%,原地中海人種17%,アルプス人種24%の混成で,平均年齢は男34歳,女29.8歳。近くに産する黒曜石の交易によって繁栄したと推測され,盛期には低く見積もって約1000戸5000~6000人が居住していたと推定されている。前6千年紀中ごろに西のテルに移った。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…原始的な住居は孤立してつくられることは少なく,何戸かが集まり,また壁を共用して密集して群居する例も多い。前6000年ころと考えられるトルコのチャタル・ヒュユクVIB層の住居址では,日乾煉瓦でつくられた長方形の住宅が壁を接して並んでいた。屋根は陸屋根で出入口は屋根の穴からはしごを用いてなされた。…
※「チャタルヒュユク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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