メガステネス
Megasthenēs
インドを訪れ,見聞記《インド誌Indika》を著したギリシア人。生没年は不明。前304年ごろ,アレクサンドロスの帝国の東方領を継承したシリア王セレウコスと,マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタとの間に講和が結ばれ,両国は使節を交換することになった。このときメガステネスは,セレウコス朝によって首都パータリプトラのチャンドラグプタの宮廷に派遣された。彼はかなり長期間インドに滞在し,帰国後に《インド誌》を書いた。この作品はインド案内書として広く読まれたようである。今日,原典はすでに失われたが,古典古代の著述家によって引用された断片を集めることによって,かなりの部分が復元されている。内容的には一部に誤解や誇張がみられるが,大部分は見聞したことの忠実な記録である。当時のインドを知るための貴重な資料として,歴史研究に利用されている。
執筆者:山崎 元一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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メガステネス
めがすてねす
Megasthenēs
(前350ころ―前290)
古代インドの地誌・風俗等の情報を西方に伝えたギリシア人。ヘレニズム時代のシリア王国とインドのマウリヤ王朝との間に修好がなり(前302)、前者の王セレウコス1世に遣わされてしばしば後者のサンドラコットス(チャンドラグプタに比定)の宮廷を訪れ、都パータリプトラやそこへの往還での見聞を『インド誌』(4巻)に著した。その書は隠滅して今日に伝わらないが、ローマ時代の地誌記述家ストラボンや史伝作家アリアヌスの著書の典拠となり、長らく西方世界のインドへの知識の源泉であった。
[金澤良樹]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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百科事典マイペディア
「メガステネス」の意味・わかりやすい解説
メガステネス
ギリシアの歴史家。生没年不詳。前4世紀末,シリアのセレウコス朝の使節としてインドのマウリヤ朝に派遣された。数年にわたる滞在期間中の見聞を記録した《インド誌》は当時のインドの事情を伝える貴重な資料。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のメガステネスの言及
【インド誌】より
…インドの地誌,歴史,およびアレクサンドロス大王の提督ネアルコス指揮下のマケドニア艦隊がインダス河口からティグリス河口に至るまでの航海記録(前326‐前325ころ)を内容とする。ネアルコス提督の報告書,メガステネスのインド見聞記などに資料を得ているので貴重な文献となっている。【高橋 通男】。…
【パトナー】より
…以後ナンダ,マウリヤ,シュンガ,カーンバ諸王朝の首都として栄えた。なかでもマウリヤ王朝のチャンドラグプタ王のときに繁栄し,当時セレウコス朝の使節としてここに駐在した[メガステネス]は,市の規模は15km×3kmに及び,まわりを幅180mの濠と木の防塞で囲まれ,64の市門を擁すると述べている。同王の孫アショーカ王の時代には全盛期を迎え,ここを中心に仏教文化が各地に広まっていた。…
【パーンディヤ朝】より
…その主領域は首都マドゥライを中心に今日のティルネリベリ,マドゥライ,トラバンコールの諸地域に及ぶ。前4~前3世紀に[メガステネス]は〈ヘラクレスの娘の創始した国パンダイヤ〉と述べ,《[エリュトラ海案内記]》や大プリニウス,プトレマイオスの書にもこの地の繁栄ぶりが言及されている。紀元後1~3世紀にマドゥライを中心に栄えたシャンガム文学には,チョーラ,チェーラ,パーンディヤ3王国競合の状況などが描かれている。…
【ユニコーン】より
…古典での最も古い叙述は前5~前4世紀のギリシアの歴史家,医師クテシアスによるもので,彼は〈白いロバ〉と呼んでいる。続いてメガステネスは,カルタゾオンなる,サイとおぼしいユニコーンについて記した。アリストテレスが《動物誌》第2巻で言及している〈インドのロバ〉はクテシアスからの引用である。…
※「メガステネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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