チョンピの乱(読み)チョンピのらん

改訂新版 世界大百科事典 「チョンピの乱」の意味・わかりやすい解説

チョンピの乱 (チョンピのらん)

1378年にフィレンツェで生じた下層労働者の反乱。チョンピciompiの語源は不明であるが,毛織物工業の準備工程(洗毛,打毛,梳毛など)で働く従属労働者を意味した。彼らは毛織物ギルドの統制下にあって組織も政治的権利ももたなかった。対教皇庁戦争(1375-78)の敗戦が伝えられた7月20日,彼らは反乱を起こして市庁舎を包囲して都市政府の代表を辞職させ,チョンピを組織する仲介業者であったミケーレ・ディ・ランドを代表にすえ,チョンピ,染色職人,仕上げ職人の三つのギルドを創設した。この反乱の背後には一部の上層市民の扇動があったとされている。しかしチョンピと手工業者,職人との利害が対立するようになり,手工業者は大商人と組んでチョンピを武力で弾圧し,そのギルドを解散させてしまった(8月31日)。82年には残りの二つの新ギルドも解散させられ,チョンピの乱の成果はすべて失われた。これ以後フィレンツェは寡頭政の時代に入り,1434年以降メディチ家が支配することになる。
フィレンツェ
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チョンピの乱」の意味・わかりやすい解説

チョンピの乱
ちょんぴのらん
il tumulto dei Ciompi イタリア語

1378年にフィレンツェで生じた都市反乱。チョンピは、毛織物工業の準備工程(洗毛、梳毛(そもう)など)に従事する下層労働者。フィレンツェでは、他のイタリア都市と同様に、遠隔地商業、金融業、手工業などの21のアルテ(ギルド組織)に結集している者だけが事実上政治に参加し、多数の下層労働者は排除されていた。14世紀後半、旧来の都市貴族と新興商人層が激しく対立し、内政外交をめぐって争った。3年間続いた対教皇庁戦が敗北に終わった1378年7月、一部の都市貴族と結んだチョンピが蜂起(ほうき)し、市庁舎を包囲して、代表者ミケーレ・ディ・ランドMichele di Lando(1343ころ―1401)を中心に権力を掌握した。彼らは独自のアルテをつくり、恒常的に市政に参加しようとしたが、商人、手工業者の反発を招き1か月で敗退した。

清水廣一郎]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「チョンピの乱」の解説

チョンピの乱(チョンピのらん)

チォンピの乱

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