ソ連邦閣僚会議国家計画委員会Государственный плановый комитет Совета Министров СССР/Gosudarstvennïy planovïy komitet Soveta Ministrov SSSRの略称。旧ソ連邦において国家計画を作成し、その遂行をコントロールする連邦=共和国機関。1921年2月に創立されたが、実際はその1年前から存在したゴエルロГоэлро(全ロシア電化委員会)の発展したものである。下部機関として、共和国ゴスプラン、州(地方)計画委員会、地域(市)計画委員会が置かれた。
ゴスプランは、党および政府の経済政策を実現するために、単年度、五か年、長期(15~20年)の国民経済計画を作成するほか、コメコン諸国間の経済計画の調整にも参加した。国民経済計画は、各省庁、共和国ゴスプラン、学術機関の協力を得て、産業部門計画と地域計画、中央計画と企業・機関の経済的自立性、計画諸指標間の調和を保証するように設定された。計画作成にあたっては、バランス法、ノルマ法、各種予測、数学的方法とコンピュータなどが動員され、計画のプロポーション、各種バランス、効率性、整合性などが追求された。
[望月喜市]
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国家計画委員会。単一の経済計画を作成し,その遂行を点検するソ連の国家機関。1921年2月に労働国防会議に設置されたが,新経済政策(ネップ)の時代には,その活動の余地は制限されていた。のち五カ年計画の開始以後は,大きな役割を果たすようになった。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…しかし17‐20年の内戦期,それに続く21‐25年の国内経済の復興期には,誕生したばかりのソ連は国家存亡の危機に直面していたのであり,めざす経済システムの本格的建設に着手する余裕はなかった。とはいえ1921年2月にはゴスプランGosplan(ソビエト連邦閣僚会議国家計画委員会)が設立され,計画経済システムはともかくも動きはじめた。25年8月に初めて〈望ましい経済発展の指標(管理指標)〉が提示され,国家計画機関の本来の機能が実現された。…
…急進的工業化は市場の自然発生性に依拠して実現することはできないため,それまでのネップ期にみられた市場のメカニズムの利用は後退し,いわゆる〈指令経済〉体制が構築された。その中核をなしたのは,産業部門別の工業管理官庁および国家計画委員会(ゴスプラン)である。 第2次大戦前には第3次までの五ヵ年計画が実施され(ただし,第3次は開戦のため途中で中断),戦後は46年に第4次五ヵ年計画が始まった。…
※「ゴスプラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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