日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツァイリンガー」の意味・わかりやすい解説
ツァイリンガー
つぁいりんがー
Anton Zeilinger
(1945― )
オーストリアの物理学者。オーバーエスターライヒ州リート・イム・インクライス生まれ。1963年ウィーン大学に入学し、数学と物理を学び、1971年博士号を取得。1972年からウィーン工科大学原子力研究所研究助手、1977年アメリカのマサチューセッツ工科大学研究員、1979年ウィーン工科大学助教授、1983年に同大学準教授、1988年ドイツのミュンヘン工科大学教授、1990年からインスブルック大学実験物理学教授、1999年には母校ウィーン大学実験物理学教授に就任。2013年からは同大学名誉教授。2004年からオーストリアの量子光学量子情報学研究所(IQOQI)の上級研究員。2013年から2022年までオーストリア科学アカデミー理事長を務めた。
光子や電子などミクロな粒子の現象を扱う量子力学の世界では、双子のペアのように、二つの粒子の間で互いに関係しあう「量子もつれ」という不思議な現象が起こる。一方の粒子の性質が観測によって確定すると、もう一つの粒子の性質もどんなに離れていても瞬時に決まるというものである。ツァイリンガーは、この量子もつれという現象を使って、第三の粒子に記録した情報を遠方に転送する「量子テレポーテーション」技術の開発に取り組んだ。1997年に最初に実験に成功し、1998年には二つの量子もつれ状態にあるペア粒子の一方どうしをいっしょにすると、もう一方どうしも量子もつれが生じることを実証した。大量の量子ビッドを用いて、量子テレポーテーションが実用化すれば、遠く離れたところに量子暗号を送ることが可能となる。量子コンピュータの実現につながると期待されるなど、量子情報科学分野を切り開いた。
ツァイリンガーは、2006年に「量子もつれの存在」を決定的にする実験にも成功した。1935年アルバート・アインシュタインらが量子もつれについて発表したが、その存在には否定的だった。1964年に、量子もつれの存在を実験で確かめることができる数式「ベルの不等式」がCERN(セルン)(ヨーロッパ原子核研究機構)の物理学者ジョン・スチュアート・ベルJohn Stewart Bell(1928―1990)によって考案されると、1972年に、当時カリフォルニア大学バークリー校にいたジョン・クラウザーらが光子の発射と、偏光フィルターを使う実験で不等式の破れを確認。さらに1982年にパリ第十一大学(現、パリ・サクレー大学)教授のアラン・アスペが実験手法の精度を上げて証明した。しかし、その後もベルの不等式の検証は続いていた。アスペの実験では、偏光フィルターが近い場所にあったため、「抜け穴」があるのではと指摘された。ツァイリンガーは、その疑問を宇宙からの信号により偏光フィルターを制御するという実験によって解消し、ベルの不等式の破れを証明。量子もつれの存在論争は決着した。
2008年アイザック・ニュートン・メダル、2010年ウルフ賞(物理学部門)、2011年トムソン・ロイター引用栄誉賞、2015年国際科学アカデミー・メダル、2017年ジョン・スチュアート・ベル賞を受賞。2022年「量子もつれ光子を用いて、ベルの不等式の破れを示した実験と量子情報科学の先駆的研究」の業績で、アスペ、クラウザーとともにノーベル物理学賞を受賞した。量子もつれは、ブラックホール研究やホログラフィー原理などの研究にも貢献すると期待される。
[玉村 治 2023年2月16日]