テト攻勢(読み)てとこうせい(その他表記)Tet Offensive

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テト攻勢」の意味・わかりやすい解説

テト攻勢
てとこうせい
Tet Offensive

ベトナム戦争中の1968年1月に解放戦線勢力によって敢行された奇襲攻撃。テトとはベトナム語で正月(旧暦)のことをいう。ベトナム戦争期には祝祭日に短期間の休戦が行われており、この年もテト休戦が実施されていたが、その最中の1月30日未明、この攻勢がかけられた。休戦期間中であり、休戦協定違反の非難合戦が行われたが、サイゴン政府側は一部地域の休戦をいち早く取り消しており、どちらが先に休戦協定を破ったかの決着はつけがたかった。

 解放戦線側は南ベトナム全土で攻勢に出るとともにケサンのアメリカ軍基地を攻撃し、都市攻撃とケサン攻撃を互いに絡ませつつアメリカとサイゴン政府を揺さぶった。サイゴン側ばかりでなく、解放戦線側の犠牲も甚大であったが、この攻勢によってアメリカの索敵撃滅、農村平定という戦略は崩壊した。やむなくアメリカは、同年3月31日ジョンソン大統領が大統領選不出馬を言明するとともに北爆を停止し、和平交渉による戦争終結の道を求めた。テト攻勢はベトナム戦争の流れを変える大きな軍事行動であった。

[丸山静雄]

『丸山静雄著『ベトナム戦争』(1969・筑摩書房)』『D・オーバードーファー著、鈴木主税訳『テト攻勢』(1973・草思社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テト攻勢」の意味・わかりやすい解説

テト攻勢
テトこうせい
Tet Offensive

ベトナム戦争の転換点となった,ベトナム民主共和国(北ベトナム)軍と南ベトナム解放民族戦線による攻勢。テト(ベトナムの正月)休日の 1968年1月31日未明,北ベトナム軍の支援を受けた解放戦線がベトナム共和国(南ベトナム)の主要都市を一斉攻撃した。同年 2月12日までに全省都 44のうち 34省都が攻撃を受けた。首都サイゴン(→ホーチミン市)にあるアメリカ大使館が奇襲によって一時占拠され,古都フエは一時占領された。解放戦線側は都市住民が蜂起することを期待したがかなわず,アメリカ軍と南ベトナム政府軍は一応防衛に成功したものの大打撃を受けた。テト攻勢は,アメリカ合衆国のリンドン・B.ジョンソン大統領が北ベトナム爆撃(北爆)の停止とベトナム和平会談の開催を決断する際に大きな影響を与えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「テト攻勢」の解説

テト攻勢(テトこうせい)
Tong Tien Cong va Noi Day Tet Mau Than[ベトナム],Tet Offensive[英]

1968年1月末の旧正月(テト)に,ベトナム民主共和国南ベトナム解放民族戦線の軍事勢力が,南ベトナムの主要都市で展開した一斉攻勢。アメリカ国民に戦争泥沼化を印象づけ,ベトナム戦争転機になったが,攻勢側にも多大な犠牲が出た。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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