祝祭日(読み)しゅくさいじつ

精選版 日本国語大辞典 「祝祭日」の意味・読み・例文・類語

しゅくさい‐じつ【祝祭日】

〘名〙 祝日と祭日。日本では、第二次世界大戦終了後の昭和二三年までは祝日として新年(四方拝=一月一日)・新年宴会(一月五日)・紀元節(二月一一日)・天長節(四月二九日)・明治節(一一月三日)、大祭日として元始祭(一月三日)・春季皇霊祭(春分の日)・神武天皇祭(四月三日)・秋季皇霊祭(秋分の日)・神嘗祭(一〇月一七日)・新嘗祭(一一月二三日)・大正天皇祭(一二月二五日)が制定されていた。現在は「国民の祝日」がこれにあたる。→国民の祝日

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デジタル大辞泉 「祝祭日」の意味・読み・例文・類語

しゅくさい‐じつ【祝祭日】

旧制で、国が定めた祝日、または祭日。現在では「国民の祝日」という。→祭日祝日国民の祝日
[類語]祝日祭日旗日佳節物日縁日

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改訂新版 世界大百科事典 「祝祭日」の意味・わかりやすい解説

祝祭日 (しゅくさいじつ)

祝典・祭典を行う日のことであるが,現在は主として国家が制定したり,国際的な協定によったりした祝日,祭日をさす。ヨーロッパ諸語の祝祭日を意味する言葉はfeast(英語),fête(フランス語),fiesta(スペイン語)などであるが,英語を例にとるとこの語には〈饗宴〉〈めったにない豊かな食事・ごちそう〉の意があり,さらに〈楽しみのための集り〉という古義もある。このことは祝祭日が本来もっていた性格を示しているといえよう。つまり,祝祭日は非日常的な,集団的な,豊かな,陽気な時であり,この日,人々は日常の公的規範,階層秩序,厳粛さから解放されて,自由で平等な世界を生み出したのである。祝祭日のもっていたこのような性格は,時が経つにしたがって儀式ばったもの,個人的・私的なものに変質する傾向にあるが,まったく消えてしまったわけではない。したがって祝祭日は,その日に記念される人物,歴史的事件などの特定の内容だけでは理解しきれない面をもっている。
執筆者:

日本では古く《延喜式》に節会(せちえ)の制が規定され,なかでも元旦,白馬(あおうま),踏歌(とうか),端午(たんご),豊明(とよのあかり)の五節会が重く扱われた。武家時代には,人日(じんじつ),上巳(じようし),端午,七夕(たなばた),重陽(ちようよう)の五節句(節供)が重んじられたが,明治になって政府がまず天長節(孝明天皇誕生日。9月22日),1872年(明治5)神武天皇即位日(1月29日。1873年紀元節と改称し,2月11日に変更)を定め,73年には元始祭,新年宴会,孝明天皇祭,紀元節,神武天皇祭,神嘗(かんなめ)祭,天長節,新嘗(にいなめ)祭が定められた。のち春秋皇霊祭,四方拝がこれに加えられ,大正期には孝明天皇祭が明治天皇祭に代わり,天長節,神嘗祭の日も変わった。また昭和期に入ると明治天皇祭が大正天皇祭に代わり,明治節が新たに加わった。このため,戦前には祝日として四方拝(1月1日),紀元節(2月11日),天長節(4月29日),明治節(11月3日)の四つ(以上は官庁,学校で祝典式を行い,四大節と呼ぶ),皇室の大祭が行われる大祭日(たいさいじつ)としては元始祭(1月3日),新年宴会(1月5日),春季皇霊祭(春分),神武天皇祭(4月20日),秋季皇霊祭(秋分),神嘗祭(10月17日),新嘗祭(11月23日),先帝祭(大正天皇祭。12月25日)の八つがあって,年中合計12日が祝祭日とされていた。

 そして第2次大戦後の1948年にこれらに代わって,〈国民こぞって祝い,感謝し,記念する日〉として〈国民の祝日に関する法律〉ができた。それは,元日(1月1日),成人の日(1月15日),春分の日(春分日。3月20日から3月21日ごろ。毎年2月に国立天文台が翌年のものを官報で公表),天皇誕生日(4月29日),憲法記念日(5月3日),こどもの日(5月5日),秋分の日(秋分日。9月23日ごろ。公表方式は春分の日と同じ),文化の日(11月3日),勤労感謝の日(11月23日)の年中9日である。その後,66年の法改正で建国記念の日(2月11日),敬老の日(9月15日),体育の日(10月10日)が制定され,96年には海の日(7月20日)が加えられた。一方,1973年に国民の祝日が日曜日にあたるときは,その翌日を休日とする旨の法改正がなされ,85年には国民の祝日に挟まれた日も休日とするように改正された。また89年1月の昭和天皇の死去に伴って天皇誕生日が12月23日(現天皇の誕生日)に移行し,昭和天皇の誕生日である4月29日はみどりの日となった。さらに2007年から4月29日は昭和の日となり,みどりの日は5月4日に変更された。なお,いわゆるハッピーマンデー制度によって,2000年に成人の日を1月の第2月曜日,体育の日を10月の第2月曜日,03年には海の日を7月の第3月曜日,敬老の日を9月の第3月曜日に改めるという法改正がなされている。
皇室祭祀 →節会
執筆者:

前3世紀にすでに統一帝国が成立した中国では,分裂の一時期を除き,王朝の行事として祭典を行い,政務を休み,一般人もそれにかかわったことが漢代から知られる。農事と密着した天地の祭祀,暦の制定を天子が掌握し,民間の季節の祭りが天子のそれと一致する部分の多いことが,中国の特色といえる。漢代すでに年初や夏至,冬至などが祝祭日とされていたが,とくに唐代以後,権力者と農事・宗教的行事などの民間の慣行が調和して数多くの祝祭日が制定された。上元(1月15日),中和節(2月1日),清明節(寒食の第3日(冬至から105日目)),上巳(3月3日),端午(5月5日),重陽(9月9日。いずれも旧暦)などはその代表である。また唐玄宗の開元17年(729)から皇帝の生誕日を祝日とすることが始まる。その名称は皇帝によって違うが,玄宗のそれは千秋節のち天長節と呼んだ。10世紀の宋代では,祭日の数はきわめて多くなり,役所が休日になる特定日は76日という記録もある。とくに上元と寒食は盛大で,少なくとも3日は休んだ。20世紀になると,近代国家的祝日も加わる。中華人民共和国では,新年,春節(旧暦元日),国際勤労婦人日(国際婦人デー。3月8日),労働節(メーデー。5月1日),青年節(五・四紀念日),児童節(6月1日),建軍節(人民解放軍創立紀念日。8月1日),国慶節(10月1日)などがある。春節が3日休業のほかは1日休業であるが,年齢や性別によって一部休日の枠が決められている特徴がある。
執筆者:

現代の朝鮮では南北両国家の分立を反映してそれぞれ異なった祝祭日が行われている。大韓民国では,檀君神話にちなんだ開天節(10月3日)や秋夕(旧8月15日),仏教の釈迦誕生日(旧4月8日)やキリストの聖誕節(12月25日)などの民俗的・宗教的祝日が行われるのに対して,朝鮮民主主義人民共和国の祝祭日にはこの種の行事がまったくみられず,ほとんどすべてが政治的・国家的行事である。共和国で特徴的なものには,金日成主席の誕生日(4月15日),朝鮮人民革命軍(抗日パルチザン)創建記念日(4月25日),社会主義憲法節(12月27日)などがある。南北共通のものには,呼称は異なるが1月1日の新正(ソルミョンジョル(正月の名節の意)),3月1日の三・一節(人民蜂起記念日),8月15日の光復節(祖国解放記念日)などがある(かっこ内は共和国の呼称)。
執筆者:

祝祭日は古代においてはほぼ例外なく宗教と結びついていた。近代国家が制定している国家的祝日,たとえば独立記念日,元首の誕生日などは,国家の行事としての意味はあるものの,民衆のレベルには達しにくい。誕生日,結婚記念日など個人ないし家族の祝日は,元来,生誕,婚姻などの通過儀礼が宗教と結びつくため,他の宗教的祝日と並行するものと考えられる。キリスト教国では,個人の洗礼名が教会暦に載せられた聖人の名からとられるので,その聖人の祝日を聖名祝日として誕生日以上に盛んに祝うが,これも宗教上の祝日が個人のレベルにおりた例である。

 キリスト教は多数の祝祭日を有し,典礼そのものも祝祭日を基準に定められている。だが,このような状態が古代教会の時代に現れたわけではない。初期のキリスト教徒はユダヤ教の祝日を祝っていた。しかし1世紀後半から,ユダヤ教と同じ日を祝日としながらも独自の解釈を主張しだした。新約聖書にもみえている〈主の日(主日)〉,すなわち日曜日がその例である。だが祝祭日の大部分は,年一回祝う年祭であって,キリスト教徒がもっとも重要な年祭として早くから祝ったものは復活祭である。これもユダヤ教の過越の祭りと同じ日に祝われたが,やがてユダヤ教の祝日と重ねるべきではないとする立場が強まり,2~4世紀の復活祭日論争を経て,第1ニカエア公会議(325)で復活祭の計算法が定められた。これは太陽暦に基づきながら,太陰暦の動きと7日週の日曜を重ね合わせるため,複雑な計算を要することになった。復活祭は年によって約1ヵ月間の範囲で動くが,このような祝日を移動祝日と呼び,したがって復活祭に関連する聖霊降臨祭キリスト昇天祭などの祝日も移動祝日となる。移動祝日は,きわめて不合理な制度であるが,ユダヤ教の過越の祭との一致を避けるとの教会の強い態度からやむなくとられた措置といえよう。聖霊降臨祭は3世紀までに,キリスト昇天祭はそれより遅れて確立した。他方,クリスマスは固定祝日であり,最初は東方で祝われたが,4世紀には西方にも広まった。同様に聖母マリアをめぐる祝日も東方起源で,西方では6,7世紀に一般化した。聖人の祝日は古くからあり,最初は迫害をこうむった殉教者の命日を記念することに始まり,小アジアでは2世紀から,西方でも3世紀から慣行となった。のちには殉教者以外の聖人にも祝日が設けられた。

 このように,キリスト教の祝祭日は教義の形成および典礼の整備とならんで少しずつ制定されていったもので,中世末期には西方教会でも東方教会でも今日見るようなきわめて多彩な教会暦が完成した。その他,教会が公認していない祝祭日を町や村で設けて,その地域ゆかりの聖人の記念日を祝うこともある。キリスト教徒が多数を占める国々では,重要な祝祭日が国家にとりいれられている。教会と国家を完全に分離したはずの社会主義国の一部でもクリスマスと復活祭は国祭日となっている。
教会暦
執筆者:

フランスの公式の祭日は元日,復活祭の翌日,メーデー,キリスト昇天祭(復活祭の40日後),聖霊降臨祭(復活祭の50日後),フランス革命記念日(7月14日。日本では映画の邦訳題名から〈パリ祭〉といいならわしている),被昇天祭(8月15日),万聖節(11月1日),第1次世界大戦休戦記念日(11月11日),ノエル(クリスマス。12月25日)の10日である。このほか,アルザス・ロレーヌ地方では復活祭直前の金曜日(聖金曜日)もプロテスタント教会のある地区では祭日として認められる。これらの10の祝日のうち,休息が義務づけられているのはメーデーのみであり,他の祭日には女子と見習の若年労働者のみが工場で働くのを禁じられている。未成年者には12月4日の聖女バルブ祭も祝日となる。小学校では1905年の政教分離以来,日曜のほか,各家庭の選ぶ宗教教育に便するため木曜日を休日にしていたが,土曜休日が企業に普及してきた69年から水曜日にこの休暇をずらした。

 このほか風俗としては1月6日の公現祭(エピファニー。東方の三博士のキリスト来拝の日)にはそら豆(または陶器の人形)を入れたケーキを焼き切り分けて配り,そら豆の当たった人を王として女王を選ばせたり,この日から告解の火曜日まで謝肉祭としたり,万聖節の翌日の11月2日の死者の日に近親の墓参りをしたり,アレクサンドリアのカタリナの祝日(11月25日)に25歳になった未婚女性に頭巾をかぶせたりする習慣もある。フランスでは誕生日よりも名前にあやかる聖人の祝日にお祝いをし,花を贈ったり食事をしたりする。5月1日はメーデーであるほかスズラン(ミュゲ)の日で,男性は意中の人にスズランの花束を贈る。フランスでは日曜と祭日の間が1日あくと雇主と交渉して間の日を休みにすることも行われる。これをポン(橋)という。
執筆者:

イギリスでは国民の祝祭日を銀行休業日bank holidayと呼びならわしている。銀行が休めば一般の社会的活動も休みになるからで,とかく官公庁主導型に傾きがちな日本とは呼称の発想が異なる。また,日本のように全国一律ではない。1830年まではイングランド銀行は諸聖人の祭日などに年約40日近く休業していたが,世界経済に占めるイギリスの比重が増すにつれて,休業日の数が徐々に減少し,71年の法律で銀行休業日が制定された。以来,曲折を経て,現在では1971年の〈銀行業務および商取引に関する法律〉の定めるところによっている。同法はいわゆる制定法statute lawであって,この規定に加えて慣習法common lawのうえからも銀行休業日が設けられている。ただし両者の別はほとんどない。

 これらは,元旦,1月2日(スコットランドのみ),聖パトリック祭(3月17日。北アイルランドのみ),聖金曜日(復活祭直前の金曜日),イースター・マンデー(復活祭の翌日。スコットランド以外),5月の第1月曜(元来は5月1日の五月祭),5月の最終月曜(元来はホイットマンデー=聖霊降臨祭の翌日),ボインの戦い記念日(7月12日。1690年ウィリアム3世が先王ジェームズ2世の率いるカトリック勢を破った日。北アイルランドのみ),8月の第1月曜(スコットランドのみ),8月の最終月曜(スコットランド以外),クリスマス(12月25日),ボクシング・デー(クリスマス以後の最初の週日で,郵便集配人,警察官,使用人などに小箱に入れた贈物をする日)である。なおこれらの日が土曜,日曜と重なる場合は,重なった日数だけ次の週日へ振り替えられる。また各地方にはその守護聖人の祭日がある。イングランドは聖ジョージ祭(4月23日),スコットランドは聖アンドルー祭(11月30日),ウェールズ聖デービッド祭(3月1日),北アイルランドは聖パトリック祭である。
執筆者:

アメリカでは日本と異なり画一的な国民の祝日はなく,各州が祝祭日の決定に関する権限をもっている。独立記念日(7月4日)のように全米的に祝われるものもあるが,R.E.リー将軍誕生日(1月19日)は南部諸州のみで,またリンカン誕生日(2月12日)は北部を中心に祝われる。このほかにもアイルランド系移民の聖パトリック祭(3月17日),復活祭,ハローウィーン(10月31日)など,民族,宗教に関連した祝祭日がある。ただし,ワシントンDCおよび全国の連邦職員に対しては,連邦政府によって連邦法定休日Federal Legal Holidaysが定められている。以下,順番に挙げれば,(1)新年(1月1日) アメリカではむしろ大晦日のほうがにぎやかに祝われ,この日はローズ・ボウルなどの大学フットボール試合が行われる日として有名。(2)M.L.キング誕生日(1月第3月曜日) 黒人解放運動家キング牧師の功績をたたえる祝日で,同師が暗殺された1968年以来毎年のように祝日制定の法案が提出されたが,成立は83年(1984年から実施)。その背景には黒人の政治的影響力の強まりがある。(3)ワシントン誕生日(2月第3月曜日) (4)メモリアル・デー(戦死者追悼日。5月最終月曜日) (5)独立記念日 (6)レーバー・デー(労働者の日。9月第1月曜日) (7)コロンバス・デー(C. コロンブスを記念する。10月第2月曜日) (8)退役軍人の日(11月11日) (9)感謝祭(11月第4木曜日) (10)クリスマス(12月25日)。なお,4年ごとに行われる大統領選挙の年には,一般投票日(11月の第1月曜日の次の火曜日)が休日となる州が多い。
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旧ソ連では六つの祝日と40近い記念日が定められていた。祝日は1月1日の新年の祝日,3月8日の国際婦人デー,5月1~2日のメーデー,5月9日の戦勝記念日,10月7日のソ連憲法記念日,11月7~8日の十月革命記念日で,国全体が休日とされた。とくにメーデーと十月革命記念日には,モスクワの〈赤の広場〉を中心に盛大な祝賀パレードが行われてきた。

 記念日は,3月18日のパリ・コミューン記念日,4月12日の宇宙飛行の日,4月22日のレーニン生誕記念日などもあるが,5月5日の出版の日のように,各種の仕事に即してそれを顕彰する性格のものが多く,6月から10月までの各日曜日がその日に充てられていた。8月を例にとれば第1日曜日が全ソ鉄道従業員の日,第2が建築家の日,第3がソ連航空の日,最終日曜日が炭坑夫の日であり,第2土曜日が全ソ体育の日となっていた。またアフリカ解放記念日(5月25日),国際児童愛護デー(6月1日),国際学生記念日(11月17日)などの国際的な記念日も重要な位置を占めており,各種の行事が展開された。

 革命後,教会暦に基づく宗教的な行事は,教会の外ではほとんどみられなくなった。しかし欧米のクリスマスにあたるヨールカの祭りは,宗教色をなくして,子どもたちの新年の祭りとして残されており,年末になるとモミの若木を抱えて家路を急ぐ市民たちの姿を見ることができる。

 現在のロシア連邦では,前記のソ連憲法記念日は祝日から外され,新たな祝日としてクリスマス(1月7日),ロシア正教の復活祭(帝政期には春分直後の満月の後の最初の日曜日を中心に前後10日間の休みがあった),諸民族統合の日(4月2日),ロシア独立記念日(6月12日),国旗の日(8月22日)が加えられた。
執筆者:

中東などの,イスラム教徒が人口の大部分を占める国々では,政教分離を行ったトルコを含め,イードと呼ばれるイスラムの二大祭(断食明けの祭りおよび犠牲祭)の日は,ほとんど例外なく国の公的な祝祭日となっている。このほかに,イスラムの祝祭日としては,ヒジュラ暦(イスラム暦)の新年や預言者ムハンマドの生誕祭(マウリド・アンナビー)などがあるが,ヒジュラ暦が太陰暦であるため,太陽暦にあてはめると,毎年少しずつずれが生じる。このようなイスラムの祝祭日のほかに,エジプト,シリア,イラクなど一部の国々では,復活祭,クリスマスなど,キリスト教徒のための祝祭日も設けられている。ただし,これらは必ずしも国の公的な祝祭日になっているとはかぎらず,キリスト教徒についてのみ公休日となるような場合も少なくない。宗教とかかわりのない祝祭日としては,かつてのヨーロッパ列強による植民地支配からの解放を祝う独立記念日が,多くの国々に設けられているほか,エジプト,リビア,イラク,イランなど,革命によって王制から共和制に移行した国々では,革命記念日も重要な祝祭日となっている。また,モロッコ,ヨルダン,一部のペルシア湾岸諸国のように,王制,首長制を採る国々では,国王あるいは首長の誕生日や即位した日も祝祭日とされている。以上挙げたもの以外に,国によって独特の祝祭日が設けられている。イランでは,西暦やヒジュラ暦のほかにイラン暦(太陽暦)が用いられており,これに従って,新年(ノウルーズnourūz,西暦の3月21日),新年の13日目(同4月2日)などが祝祭日となっている。エジプトでは,コプトの復活祭(西暦3月末から5月初めころ)に続く月曜日が,シャンム・アンナシームShamm al-nasīm(アラビア語で〈そよ風をかぐ〉の意)と呼ばれる祝祭日になっているが,これは古代エジプトの春の祭礼に由来するといわれる祝祭日である。
休日 →年中行事
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「祝祭日」の意味・わかりやすい解説

祝祭日
しゅくさいじつ

広くは祝典(慶祝儀礼)、祭典(宗教祭祀(さいし)儀礼)の行われる定例日をいうが、現在ではおもに国家的ないしは国際的に制定された祝日・祭日をいう。古くから各部族・民族にはそれぞれ独自の伝統に基づく宗教的儀礼の行われる定例日があり、集団意識の高揚、連帯観念の強化におのずから大きな役割を果たしてきた。近代の国家的祝祭日はこうした各民族の伝統的祭日を継受する一方、それぞれの国家の成立や発展にかかわる歴史的事件を記念する祝典日を加えて制度化されたもので、国家の隆替改廃に伴う変動も著しい反面、民族的伝統よる祭日の根強い伝存もまた顕著である。とくに欧米諸国におけるキリスト教聖祭日の伝存は根強いものがあり、その源流はキリスト以前の古い民族信仰にまでさかのぼりうる。それは、キリスト降誕祭(クリスマス)が北欧の冬至祭を基調として成立していることからも推測できる。アラブ諸国その他のイスラム教諸国でも教理上の祭典日の規制が強い。ともかく現代の祝祭日のあり方は各国の成立事情と民族的宗教的伝統との絡まり合いからきわめて多様な姿を示し、さらに国際的な申し合わせによる新しい記念日の類がそのうえに重なり、広く波及しつつもあるわけである。

[竹内利美]

日本の祝祭日

日本では、1948年(昭和23)に「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律178号)が制定され、旧来の「祝日大祭日」を廃して、新たに国民の祝日として元日(1月1日)、成人の日(1月15日。2000年より1月第2月曜日)、春分の日(3月21日ころ。法律上は「春分日」)、天皇誕生日(4月29日。現在は2月23日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(9月23日ころ。法律上は「秋分日」)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)の9か日とした。しかしその後、建国記念の日(2月11日。法律上は「政令で定める日」)、敬老の日(9月15日。2003年より9月第3月曜日)、スポーツの日(10月10日。2000年より10月第2月曜日)、みどりの日(4月29日。2007年より5月4日)、海の日(7月20日。2003年より7月第3月曜日)、昭和の日(4月29日)、山の日(8月11日)が制定されて、合計16日になった。「主権在民」という新憲法の趣旨に即しての全面的改定で、皇室祭祀の定例日を中心に制定された明治期の祝祭日を一掃した形である。名目上はすべて国民的記念行事の祝典日とはなっているが、おおむね民族的伝統とはかかわらぬ「名ばかり」の存在に近く、国民一般も休日を楽しむ程度で、別段国民あげての行事や祝典もみられず、民間一般の年中行事とも無縁の存在がほとんどである。またこの「日取り」の選定には従前の祝祭日の影響が強く残り、ほとんどが名目の変更にとどまっているといわれるのも無理はない。それは明治初期の国家的祝祭日制定の事情にも根ざすところである。

 いうまでもなく日本の祝祭日は明治初頭「近代国家」の発足とともに制定された。1873年(明治6)に旧来の「五節供」の祝日を廃し、「神武(じんむ)の昔」に返るという主旨でおもに『延喜式(えんぎしき)』などの規定に従って皇室祭祀の日時を定め、これに基づいて国家意識を高揚させるため、祝祭日の制を設けた。旧来の旧暦を廃して新暦(太陽暦)を採用するのと期を一にしていた点も重要であり、旧暦による五節供その他の民間行事の圧迫禁止を一時強行したのでもあった。ともかく、こうして祝日として新年節(四方拝(しほうはい)、1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(てんちょうせつ)(天皇誕生日)、大祭日としては元始祭(げんしさい)(1月3日)、新年宴会(1月5日)、春季皇霊(こうれい)祭(3月21日ころ)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭(9月23日ころ)、神嘗祭(かんなめさい)(10月17日)、新嘗祭(にいなめさい)(11月23日)と、先帝崩御日(明治天皇祭、大正天皇祭)とが定着した。そして明治天皇祭の消失後は、そのかわりに新たに「明治節」(11月3日、明治期の天長節)を祝日に加えて、1945年(昭和20)に及んだわけである。つまり、すべて「祭政一致」の趣旨からか、「皇室祭祀」を国民一般に推し及ぼす形で明治期の祝祭日は制定され、しかも祝日には官庁・学校では形のうえでは厳粛な行事が一斉に執り行われてきた。しかし一般国民の間には、なお村祭り、農耕儀礼、祖霊祭祀などに根ざす伝統的年中行事のほうが生活に密着した存在であったから、国家的要請による祝祭日は実質的には国民生活には浸透しなかったといってよい。陸・海軍記念日などの戦捷(せんしょう)記念日その他の制定もあったが、同じく国民生活には根を下ろさぬ形のまま経過した。とくに天長節や紀元節(建国記念日)などは西欧諸国の例に倣っての制定で、まったく民族的伝統にはなじまぬところといってよかった。

 明治以前の日本には、近代的国家観念は存在しなかったから祝祭日の制もない。しかし時の主権者の執り行う祝祭行事がおのずからその意味をもった。それゆえ、古代律令制(りつりょうせい)国家における宮廷祭祀行事は、参与する者こそ宮廷貴族に限られはしたが、国家的祝祭儀礼にほかならなかった。『延喜式』には「大祀(たいし)」として践祚(せんそ)、大嘗祭(おおにえのまつり)、「中祀」として祈年(としごい)、月次(つきなみ)、神嘗(かんなめ)、新嘗(にいなめ)、賀茂祭(かものまつり)、「小祀」として大忌(おおいみ)、風神、鎮花(はなしずめ)、三枝(さいぐさ)、相嘗(あいなめ)、鎮魂(たましずめ)、道饗(みちあえ)、園韓神(そのからかみ)、松尾、平野、春日(かすが)、大原野などの祭祀を定めている。これらが明治期復興の皇室祭祀にも大きく影響している。

 中世以後の武家社会では将軍家(幕府)の家祭が祝祭日の形になり、民間の伝統的節供行事と中国の節日儀礼を習合した形で、宮廷儀礼とは別個な行事体系が生成した。いわゆる「五節供」の制で、室町期にいちおう成立した形が江戸幕府に引き継がれ、1616年(元和2)の制令などで、いわゆる「五節供」の式日の制が確定した。歳首(さいしゅ)(元日)をもっとも重い「式日」として、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(たなばた)(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)の「五節(ごせち)」を定め、そのほかに嘉定(かじょう)(6月16日)、八朔(はっさく)(8月1日)、玄猪(げんちょ)(10月10日)と、歳暮の諸祭日を加えた行事体系である。この行事体系は民間の古い農耕儀礼(とくに稲作)の系列とも習合しやすいものがあり、要は中国伝来の陰陽道(おんみょうどう)を媒介にして、旧来の農耕儀礼と伝来習俗との習合が無理なく行われて定着したといってよい。ともかく、明治以降の明治国家の祝祭日規制は、こうした伝統的な五節供中心の制を一挙に廃絶させて、古代の宮廷儀礼を復旧して国民に推し及ぼそうとする一方、西欧諸国に倣って元首の誕生日や建国記念日を加えたものゆえ、国民生活に同化することは少なかった。そして改定後も、日本の祝祭日はまだ真に国民(民族)意識に密着した存在とはなっていないとみてよい。

[竹内利美]

諸外国の事例

現在諸外国のおもな祝祭日は、欧米諸国ではキリスト教関係の聖祭日の伝存にあわせて、各国の成立・発展にかかわる歴史的記念祝典日が主体をなし、王政の形をとどめる国では国王や女王の生誕日なども加えられている。西欧キリスト教国では、とくに、1月6日(主の公現日)、復活祭(春分後最初の満月後の日曜)、聖霊降臨祭(復活祭後の第7日曜日)、聖ヨハネ祭(6月24日)、聖母マリア生誕の日(9月8日)、万聖節(ばんせいせつ)(11月1日)、クリスマス(12月25日)といった聖祭日の体系が一様に伝存されて国際的祭日の姿を呈している。そしてクリスマス(キリスト降誕祭)には古い北欧の冬至祭(太陽の復活日)が、またイースター(復活祭)が春分後の最初の満月をめどに祝われるのには、古い農耕儀礼としての播種(はしゅ)の祭りがその「下染め」をなしており、労働者の祭典であるメーデー(5月1日)にもかつての農民の5月祭(メイポール祭)の伝統が残っているといわれる。ギリシア・ローマの古代国家以来、国家的な記念式典を民衆の歳時的祭祀習俗と合致させて執り行ってきた伝統によるとみられ、また国家の成立、指導者の生誕などの記念日をこうした伝統的祝祭日に習合させた例も少なくなかった。

 しかし近代国家の祝祭日の主体は、国家の独立、革命達成、戦勝記念などの歴史的記念祝典日で、それぞれの国柄の特徴がよく看取される。アメリカ合衆国のワシントンデー(2月第3月曜日)、メモリアルデー(戦没者追悼記念日、5月最終月曜日)、フラッグデー(国旗制定日、6月14日)、コロンブスデー(10月第2月曜日)、ロシアの祖国防衛の日(2月23日)、国民統一の日(11月4日)、戦勝記念日(5月9日)、あるいはフランスの革命記念日(バスチーユ奪取記念日、パリ祭、7月14日)、第二次世界大戦終戦記念日(5月8日)といった形である。第二次世界大戦後に独立した新興国家ではいずれもその独立記念日、解放記念日が祝典日の中枢に据えられている。中華人民共和国など伝統の古い国家でも国慶節(建国記念日、10月1日)をはじめ人民解放軍建軍記念日(8月1日)、青年節(5月4日)、児童節(6月1日)といった新しい記念祝典日の系列に一新している。なお、クリスマス、イースター、バレンタインデー(2月14日)などのキリスト教聖祭日はまったく国際的な祭日であり、仏教関係の釈迦(しゃか)誕生日(灌仏会(かんぶつえ)、4月8日)、涅槃会(ねはんえ)(2月15日)、イスラム教のムハンマド(マホメット)生誕祭その他の祭典日も同様の形を示している。そのほか近年になって新しく国連平和デー(10月29日)、国際女性デー(3月8日)、ユネスコ憲章記念日(11月4日)、ナイチンゲールデー(5月12日)、母の日(5月第2日曜日)、メーデー(5月1日)など新しい国際的祝典記念日も加わってきている。

[竹内利美]

『加藤迪男編『記念日の事典』(1999・東京堂出版)』『産経新聞取材班編『祝祭日の研究』(2001・角川書店)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「祝祭日」の解説

祝祭日
しゅくさいじつ

古くは宮中祭祀の五節会(ごせちえ),武家社会の五節供(ごせっく)などが重んじられた。明治政府は1873年(明治6)10月「年中祭日祝日等ノ休暇日」を布告し,広く国民が祝うべき国家の祝日および皇室の大祭日を,1月3日元始祭,1月5日新年宴会,1月30日孝明天皇祭,2月11日紀元節,4月3日神武天皇祭,9月17日神嘗(かんなめ)祭(79年に10月17日に変更),11月3日天長節,11月23日新嘗(にいなめ)祭と定めた。以後78年に春季・秋季皇霊祭(春分・秋分),79年に四方拝(しほうはい)(1月1日)が加えられ,のち天皇の代替りにより天長節・先帝祭は変更され,1927年(昭和2)には明治節(11月3日)が定められた。これらは48年7月に廃止され,かわって「国民の祝日」(現在までに15,2016年から16)が制定された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「祝祭日」の意味・わかりやすい解説

祝祭日
しゅくさいじつ

宗教の祭典,国家の成立や歴史的事件に関する記念日。労働から解放され,式典,行列などの催し物と,特定の飲食を行う饗宴とを伴うことが多い。起源は,原始・古代社会の季節祭で,暦のなかに配置されて,1年の生活のリズムをつくった。復活祭,クリスマスのような宗教の祝祭日も,近代国家の革命・独立記念日も季節と関係がなくても,季節行事に繰込まれる。第2次世界大戦前の日本においては,祝日と祭日を概念的に区別していたが,1948年7月に公布された法律により,現在ではすべて国民の「祝日」となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の祝祭日の言及

【天皇】より

…いわば天皇は,西洋諸国の帝王像にならうかたちで,新国家の根軸たるべく位置づけられた。ここに新政府は盛んに行幸をとり行い,天皇を中心にした国家祝祭日を定めた。江戸時代の天皇は,〈キンリサマ〉〈ダイリサマ〉の呼称が体現しているように,ほとんど宮中の外に出ることがなかった。…

※「祝祭日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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