ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディーン」の意味・わかりやすい解説
ディーン
Dean, James
[没]1955.9.30. カリフォルニア,パソロブレス近郊
アメリカ合衆国の映画俳優。フルネーム James Byron Dean。戸惑いながら理想を追い求める 1950年代の若者の象徴として,カリスマ的人気を獲得した。9歳で母親を亡くし,インディアナ州で農場を営むおば夫婦に育てられた。高校卒業後,カリフォルニア大学ロサンゼルス校で 2年間演劇を学んだのち,俳優ジェームズ・ホイットモアの誘いでニューヨークに移り,演技指導を受ける。ブロードウェーの舞台『背徳者』The Immoralist(1954)に出演中,映画監督エリア・カザンの目に留まり,23歳で『エデンの東』East of Eden(1955)の主役に抜擢。もがき苦しむティーンエージャーを好演して一躍スターダムにのし上がり,アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。主演第2作『理由なき反抗』Rebel Without a Cause(1955)では,社会に幻滅し,行き場を失った青年をみごとに演じきり,同世代の若者たちの代弁者として崇拝の的となった。主演第3作『ジャイアンツ』Giant(1956)の撮影終了直後,愛車のポルシェで正面衝突事故を起こし,即死。またたく間に伝説的存在となり,その人気は 21世紀にも受け継がれている。
ディーン
Dean, Joel
[没]1979.2.14.
アメリカの経営学者。 1929年ハーバード大学卒業,34年インディアナ大学助教授 (この間 1936年シカゴ大学で学位取得) ,39年シカゴ大学助教授を経て,45年以降コロンビア大学の大学院経営経済学教授。同時にジョエル・ディーン協会を設立し,経営コンサルタント業務に従事。彼は現代工業生産における生産技術構造が費用の経過に及ぼす影響を調査研究し,伝統的費用理論であるU字型費用曲線の存在を否定して,限界費用が広い生産量の範囲で一定値をもつことを証明したほか,価格政策の動態的究明を中心とするビジネス・エコノミクスの体系を確立し,さらに設備投資理論において内部利益率法を提唱してその分野の先駆者となるなど多大の業績を残した。主著"Statistical Determination of Costs" (1936) ,『経営者のための投資政策』 Capital Budgeting (51) ,『経営者のための経済学』 Managerial Economics (51) など。
ディーン
Deane, Silas
[没]1789.9.23. ケント,ディール沖
海外へ派遣された最初のアメリカ使節,法律家。アメリカ独立革命 (→アメリカ独立戦争 ) に際し,コネティカット植民地の独立運動指導者となる。 1774~76年大陸会議代表。 76年フランスに財政的・軍事的援助を求めるため,大陸会議を代表してひそかにフランスに渡り,時価 600万リーブル以上の武器をアメリカへ送った。 77年 11月,大陸会議から召還されたが,離任前の 78年2月6日ほかの2人の代表とともにフランスと通商・同盟条約を締結した。 80年再びフランスに渡ったが,この頃旧友に書簡を送りイギリスとの和解を主張したところその手紙が公表され,そのため反逆者として非難を浴びた。のちにヘント,次いでロンドンに亡命。 89年イギリスからの帰国の船中で死亡した。 1842年議会によって名誉を回復された。
ディーン
dean
ディーン
Deane, Richard
[没]1653.6.2. ソールベー沖
イギリス,清教徒革命期の議会軍の軍人。砲兵士官としてネーズビーの戦い,プレストンの戦いなどに参加。国王裁判委員となり死刑判決に署名。ウースターの戦いに司令官として参加したあと,1652年スコットランド派遣軍司令官となり,高地地方を平定。次いでイギリス=オランダ戦争 (第1次) に海軍司令官として従軍,戦死。
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