ディーン(英語表記)James Dean

デジタル大辞泉 「ディーン」の意味・読み・例文・類語

ディーン(James Dean)

[1931~1955]米国の映画俳優。「エデンの東」に主演し、孤独で反抗的な若者を演じて一躍スターダムに駆け上がる。次いで「理由なき反抗」「ジャイアンツ」に主演したが、交通事故で急死した。1950年代を代表するスターの一人。

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精選版 日本国語大辞典 「ディーン」の意味・読み・例文・類語

ディーン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] dean ラテン語で一〇人の長の意の decanus から ) 教会の各種主任職の呼称。
    1. [初出の実例]「デーンとは十人頭といふ心なるべし」(出典:英政如何(1868)九)

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改訂新版 世界大百科事典 「ディーン」の意味・わかりやすい解説

ディーン
James Dean
生没年:1931-55

アメリカの映画俳優。ジミーの愛称で親しまれ,1950年代半ばに3本の出演作をのこし24歳で早世,死後,青春の孤独・絶望・反逆のシンボルとして偶像化された。インディアナ州マリオンに生まれ,55年カリフォルニア州で愛用のポルシェ・スピードスターを運転中,事故死した。

 アクターズ・ステュディオなどで演技を学び,舞台,テレビドラマをへて,エリア・カザン監督により《エデンの東》(1955)の主役に抜擢(ばつてき)され,〈新しいマーロン・ブランド〉と宣伝されて映画が公開される前にすでにスターとなった。つづいてニコラス・レイ監督の《理由なき反抗》(1955)に主演し,さらにジョージ・スティーブンズ監督の《ジャイアンツ》(1956)に出演したが,その完成前に世を去った。死後のファンの熱狂ぶりは1920年代のルドルフ・バレンチノ以来のものといわれた。

 70年代の半ばから,再びジェームズ・ディーンに関する著作や映画が相次いで出る現象が起った。その中で,デービッド・ドルトンの評伝《ミュータントの王》(1974)は,〈ロック世代の感性を表現した最初のアイドル〉とディーンを定義している。レイ・コノリー監督のドキュメンタリー映画《ジェームズ・ディーンのすべて 青春よ永遠に》(1976)は,その原題《最初のアメリカン・ティーンエージャー》が示すとおり,おとなでも子どもでもない〈ティーンエージャー〉という年代の文化が初めて成立した時代に,それを最初に表現した映画スターがディーンであったと定義している。いずれにせよ,〈青春映画〉のイメージの転換点に立つスターであり,彼の表現した,屈折した心情と〈挫折感〉〈死の願望〉にみちた青春像は,〈ポーランドのジェームズ・ディーン〉と呼ばれた《灰とダイヤモンド》(1958)のズビグニエフ・チブルスキーをはじめ各国の青春映画スターに受け継がれ,《アウトサイダー》(1983)のマット・ディロンなど,現在に至るまでつづいている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディーン」の意味・わかりやすい解説

ディーン
Dean, James

[生]1931.2.8. インディアナ,マリオン
[没]1955.9.30. カリフォルニア,パソロブレス近郊
アメリカ合衆国の映画俳優。フルネーム James Byron Dean。戸惑いながら理想を追い求める 1950年代の若者の象徴として,カリスマ的人気を獲得した。9歳で母親を亡くし,インディアナ州で農場を営むおば夫婦に育てられた。高校卒業後,カリフォルニア大学ロサンゼルス校で 2年間演劇を学んだのち,俳優ジェームズ・ホイットモアの誘いでニューヨークに移り,演技指導を受ける。ブロードウェーの舞台『背徳者』The Immoralist(1954)に出演中,映画監督エリア・カザンの目に留まり,23歳で『エデンの東』East of Eden(1955)の主役に抜擢。もがき苦しむティーンエージャーを好演して一躍スターダムにのし上がり,アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。主演第2作『理由なき反抗』Rebel Without a Cause(1955)では,社会に幻滅し,行き場を失った青年をみごとに演じきり,同世代の若者たちの代弁者として崇拝の的となった。主演第3作『ジャイアンツ』Giant(1956)の撮影終了直後,愛車のポルシェで正面衝突事故を起こし,即死。またたく間に伝説的存在となり,その人気は 21世紀にも受け継がれている。

ディーン
Dean, Joel

[生]1906.10.5. バーモント,パーシア
[没]1979.2.14.
アメリカの経営学者。 1929年ハーバード大学卒業,34年インディアナ大学助教授 (この間 1936年シカゴ大学で学位取得) ,39年シカゴ大学助教授を経て,45年以降コロンビア大学の大学院経営経済学教授。同時にジョエル・ディーン協会を設立し,経営コンサルタント業務に従事。彼は現代工業生産における生産技術構造が費用の経過に及ぼす影響を調査研究し,伝統的費用理論であるU字型費用曲線の存在を否定して,限界費用が広い生産量の範囲で一定値をもつことを証明したほか,価格政策の動態的究明を中心とするビジネス・エコノミクスの体系を確立し,さらに設備投資理論において内部利益率法を提唱してその分野の先駆者となるなど多大の業績を残した。主著"Statistical Determination of Costs" (1936) ,『経営者のための投資政策』 Capital Budgeting (51) ,『経営者のための経済学』 Managerial Economics (51) など。

ディーン
Deane, Silas

[生]1737.12.24. コネティカット,グロートン
[没]1789.9.23. ケント,ディール沖
海外へ派遣された最初のアメリカ使節,法律家。アメリカ独立革命 (→アメリカ独立戦争 ) に際し,コネティカット植民地の独立運動指導者となる。 1774~76年大陸会議代表。 76年フランスに財政的・軍事的援助を求めるため,大陸会議を代表してひそかにフランスに渡り,時価 600万リーブル以上の武器をアメリカへ送った。 77年 11月,大陸会議から召還されたが,離任前の 78年2月6日ほかの2人の代表とともにフランスと通商・同盟条約を締結した。 80年再びフランスに渡ったが,この頃旧友に書簡を送りイギリスとの和解を主張したところその手紙が公表され,そのため反逆者として非難を浴びた。のちにヘント,次いでロンドンに亡命。 89年イギリスからの帰国の船中で死亡した。 1842年議会によって名誉を回復された。

ディーン
dean

イギリスの多くの大学では首席教授ないしは議長役を果す者をいう。オックスフォード大学やケンブリッジ大学では学部学生を監督するフェローをさし,この場合にはジュニア・ディーンが補佐する。アメリカでは,カレッジのディーンは教育活動全般を管理し,人事,カリキュラム,学生の入学・卒業,予算,設備など広範な事項に関して責任を負っている。大学の学部・学科のディーンは,場合によっては議長,学部長,学科長などとも呼ばれるが,カレッジの場合とほとんど同様の責任を負っており,学部ではそのほかに大学院進学指導の調整の責任が加わっている。大学院のディーンは,学位論文の指導や,複数の学部間,学科間,人文・自然などの包括的な部門間にまたがる問題の調整機能を果さなければならない。大学によっては,学長の補佐役として管理ディーン,学部ディーンなどを設けている。

ディーン
Deane, Richard

[生]1610.7.8. グロスターシャー
[没]1653.6.2. ソールベー沖
イギリス,清教徒革命期の議会軍の軍人。砲兵士官としてネーズビーの戦い,プレストンの戦いなどに参加。国王裁判委員となり死刑判決に署名。ウースターの戦いに司令官として参加したあと,1652年スコットランド派遣軍司令官となり,高地地方を平定。次いでイギリス=オランダ戦争 (第1次) に海軍司令官として従軍,戦死。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディーン」の意味・わかりやすい解説

ディーン
でぃーん
James Dean
(1931―1955)

アメリカの俳優。2月8日インディアナ州マリオンに生まれる。カリフォルニア大学法科に入学したが、演劇部に籍を置き映画にエキストラとして出演。その後アクターズ・スタジオに入門、リー・ストラスバーグの演技指導を受けブロードウェーの舞台に立つ。

 1954年にエリア・カザン監督に抜擢(ばってき)され、『エデンの東』(1955)に主演、1950年代を代表する青春スターとして異常なセンセーションを巻き起こした。『理由なき反抗』(1955)、『ジャイアンツ』(1956)とわずか3本の作品を残し、1955年9月30日、自動車事故で死亡。24歳。

[畑 暉男]

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百科事典マイペディア 「ディーン」の意味・わかりやすい解説

ディーン

米国の映画俳優。インディアナ州生れ。アクターズ・スチュディオで演技を学び,舞台にも立ったが,E.カザン監督の映画《エデンの東》(1955年)に出演しスターとなった。N.レイ監督《理由なき反抗》(1955年),G.スティーブンス監督《ジャイアンツ》(1956年)の3本を残して交通事故死。青春の孤独感や反逆心を象徴するアイドルとして,現在も人気が高い。
→関連項目ホッパー

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世界大百科事典(旧版)内のディーンの言及

【イスラム】より

… これまでムハンマドの創唱した宗教をイスラムと書いてきたが,コーランはムハンマドに啓示された宗教をただイスラムとだけ呼んだのではない。コーランはそれを特定の名で呼ぶことなく,呼ぶ必要のある場合には適宜イスラーム,イーマーン,ディーンdīn,ミッラmillaなどの用語を用いた。現在普通に認められているところでは,イスラームは唯一の神アッラーに絶対的に服従すること,イーマーンは心のうちなる信仰,ディーンは宗教一般,または内面的なイーマーンと外に現れたイスラームとを統一したものと解され,ミッラはアブラハムの宗教milla Ibrāhīmという言葉に典型的に示されているように,過去の特定の預言者の説いた教え,ないし,そのウンマ(共同体)への所属を意味すると考えられる。…

【青春映画】より

…さらに70年代には神代辰巳監督の《青春の蹉跌》(1974)で青春=挫折のイメージは極点に達する。アメリカでは《乱暴者》(1954)のマーロン・ブランドや《理由なき反抗》(1955)のジェームズ・ディーン以来,〈反逆する青春〉のヒーローが現れ,青春=反逆のイメージが強まり,ヒッピーを主人公にした《イージー・ライダー》(1969)も学園闘争を描いた《いちご白書》(1970)も,その〈反体制〉の特質のゆえに青春映画の名で呼ばれることになる。なお,《人生劇場 青春・愛慾・残俠篇》(1972)を撮ったときの加藤泰監督の〈映画は青春である〉ということばに象徴されるような,人生=映画=青春という究極の図式にたどりつく〈青春映画〉の定義も考えられよう。…

※「ディーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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