ネーズビーの戦い(読み)ネーズビーのたたかい(その他表記)Battle of Naseby

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネーズビーの戦い」の意味・わかりやすい解説

ネーズビーの戦い
ネーズビーのたたかい
Battle of Naseby

1645年6月 14日にレスター南方約 30kmのネーズビーで行われたイギリス清教徒革命中の戦闘ルーパート王子指揮の1万の国王軍と,T.フェアファックス,O.クロムウェルら指揮の議会軍 (ニュー・モデル軍 ) 1万 4000が対戦。ルーパートは議会軍左翼を襲撃したが,その間にクロムウェルも国王軍左翼を蹴散らし,続いて中央軍を襲ってこれを壊滅させた。これにより第1次内乱 (1642~46) での議会派勝利が決定づけられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネーズビーの戦い」の意味・わかりやすい解説

ネーズビーの戦い
ねーずびーのたたかい

イギリスのピューリタン革命において議会派の勝利を決定的にした戦い。オックスフォード本拠を置く国王派の軍隊レスターシャーに進軍したあとを、フェアファックス、クロムウェル両将軍に率いられた議会派の軍隊が追い、1645年6月14日、両軍はイングランド中部のネーズビーNasebyで衝突した。チャールズ1世は、ルパート王子の率いる騎兵隊の力を過信したため、援軍の到着を待たずに攻撃を開始し、ほぼ2倍の兵力をもつクロムウェルの「新型軍」New Model Armyの反撃を受けて惨敗した。この戦いによって、第一次内戦の勝敗が決まっただけではなく、新型軍の戦力が明らかになり、以後軍隊の政治的な力は侮れないものになった。(書籍版 1987年)
小泉 徹]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ネーズビーの戦い」の解説

ネーズビーの戦い
ネーズビーのたたかい
Battle of Naseby

1645年に行われたピューリタン革命における王党派と議会派との戦い
1645年6月,イングランド中部,ノーサンプトン州のネーズビー村で,再編されたばかりのクロムウェル率いる議会軍(新型軍)が王党軍を破り,議会派勝利への転機となった。

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