翻訳|trophy
広義には,スポーツ競技や各種のコンテストなどで入賞をたたえて授与される記念の飾りものをいうが,狭義には,カップや旗,楯などと区別して,主としてスポーツの種別やコンテストの内容を表す彫像を一部に取り付けた柱状で金属製の記念品を指す。彫像に直接台座を付けたものとか,カップに彫像をのせたもの,あるいは彫像がなくスポーツの種別などを表示するなんらかの用具だけでデザインされているものなど種類は多い。たいていは,金・銀のめっきやアルミ箔の蒸着で金色か銀色に豪華に装われ,台座には,入賞を記録した文字が刻印されるプレートが付いている。
トロフィーの起源は,古代ギリシアやローマ時代の戦勝記念標であった。古代ギリシアでは,敵を敗走させた戦場の木や杭に,捕獲した武器や旗を人の姿のように飾って神に献ずる習慣があり,海戦では,敵の軍船をまるごとか軍船の衝角(敵船に穴をあけたり,乗り移るためのへさき)を勝利の記念標とした。これを破壊することは冒瀆にほかならず,自然に朽ちさせるものであった。ローマ人は,ギリシア人のこの風習を引き継いだが,ローマ市に記念標が建てられるようになり,帝政時代には円柱や凱旋門がこれに代わった。今日トロフィーに見られる柱状の形式は,そのころのなごりと思われる。
また,トロフィーにはオリーブや月桂樹の枝葉がデザインされていることが多いが,これも古代ギリシアの故事に基づいている。第7回の古代オリンピック大会(前752)の優勝者に,神域に茂った野生のオリーブの小枝の冠が与えられたと伝えられている。そして,近代オリンピックの第1回大会(アテネ,1896)の閉会式で,国王が各競技の優勝者にオリーブの枝と銀の賞牌を与え,以後優勝カップやメダルなどにもオリーブの枝葉がデザインされるようになった。月桂樹も,古代ギリシアでアポロンの競技の優勝者に,月桂樹の枝葉を輪にした冠が与えられたことに由来する。
日本では,明治初期に外国人とのスポーツの交歓会などを通じてカップなどが入ってきていたようだが,国産品としては1900年(明治33)の秋田県下の中等学校野球大会に,武田千代三郎が考案した優勝盃が寄贈された例が早い。トロフィーも,大正中期ごろから工芸家らによって習作的に作られていたらしい。そのほか第2次大戦前のものとしては,アムステルダムでの第9回オリンピック大会(1928)での織田幹雄の三段跳びの優勝を記念して,織田のユニフォーム姿の立像のトロフィー(彫像・朝倉文夫,鋳造・日名子実三)が製作されたのが有名である。
戦後,1952年から進駐軍向けにトロフィーの製造を業として開始したが,やがてボウリングやゴルフのブームとともに,トロフィーの需要が急増し,製造者も続出した。そして,当初は金・銀でめっきした鉄鋳物,ブロンズ製が主であったトロフィーも,ダイカスト法によるアンチモンが主体となり,ほかに陶器,ガラス,木,竹,大理石などのほか,プラスチック製のものもある。
今日ではトロフィーも類型的な形は飽きられ,大型化したり芸術品化する傾向にある。
執筆者:石子 順造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
もとは古代ギリシア・ローマ時代の戦勝記念標をいい、戦利品、戦利品飾り、戦勝記念物なども含めて称した。のち競技の優勝者に授与する賞牌(しょうはい)をいうようになり、優勝旗、メダル、カップ、盾その他の賞品を総称するに至って、現在ではあらゆる分野の競技にトロフィーの授与がみられる。一般に知られるのは運動競技のトロフィーで、台座上に競技の内容を表す彫像をつけたものが多いが、競技の種類により、形状はさまざまである。そのいずれにもオリーブの枝葉を彫ったり飾ったりするのは、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが戦勝祝賀式を行った際、オリンピアの野に繁茂しているオリーブを戦勝記念標に飾ったという故事によるといわれる。近代オリンピック第1回アテネ大会(1896)の閉会式では、国王が各競技の優勝者にオリンピアから切り取ってきたオリーブの枝と銀の賞牌を授与したが、以来、優勝杯、優勝盾、優勝メダルその他にもオリーブまたは月桂樹(げっけいじゅ)の枝葉を刻むようになった。
[佐藤農人]
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