デムーラン(読み)でむーらん(英語表記)Lucie Simplice Camille Benoit Desmoulins

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デムーラン」の意味・わかりやすい解説

デムーラン
でむーらん
Lucie Simplice Camille Benoit Desmoulins
(1760―1794)

フランスの文筆家、政治家。ピカルディ州のギーズに生まれる。ルイ・ル・グラン学院に学び、1785年パリ高等法院の弁護士となり、1788年『フランス人民の哲学』を著して本格的革命の近いことを予告した。翌1789年7月12日、わき立つパリのパレ・ロアイヤルで「武器をとれ」を趣旨とする演説民衆を扇動し、14日のバスチーユ攻撃への大きなきっかけを与えた。以後コルドリエ・クラブに属し、主としてサン・キュロットを代弁するジャーナリストとして有名になり、1792年国民公会に選出されてのちも、モンターニュ派山岳派)の一人としてやはり文筆をもってジロンド派との抗争に活躍し、1793年6月自派の権力掌握後は新聞『ビュー・コルドリエ』を創刊、モンターニュ右派のダントン派の機関誌として、同左派のエベール派を攻撃。さらにロベスピエール派とも対立、ついにダントンとともに処刑された。

[樋口謹一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デムーラン」の意味・わかりやすい解説

デムーラン
Desmoulins, Camille

[生]1760.3.2. エーヌ,ギーズ
[没]1794.4.5. パリ
フランス革命期の山岳派のジャーナリスト。バスティーユ攻撃後アンシアン・レジーム攻撃の小冊子『自由フランス』 La France libreを出版。ミラボー伯の死の少し前から G.ダントンと行動をともにするようになり,1792年8月 10日の蜂起で活躍。同年9月の国民公会選挙ではパリから選出され,ジロンド派攻撃の急先鋒となった。 89年以来,週刊紙『フランスとブラバンの革命』 Révolution de France et de Brabantを発行してきたが,93年 12月には新たに『ル・ビュー・コルドゥリエ』 Le Vieux Cordelier紙を発行。これは初めはエベール派攻撃に主力注ぎ,そのかぎりでは M.ロベスピエールからも承認されていたが,やがてダントンの意見 (穏和主義) を主張するにいたり,恐怖政治に反対したためロベスピエールの攻撃を受けて,94年3月末ダントンとともに逮捕され,4月5日処刑された。

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