バスティーユ(その他表記)Bastille

デジタル大辞泉 「バスティーユ」の意味・読み・例文・類語

バスティーユ(Bastille)

バスチーユ

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改訂新版 世界大百科事典 「バスティーユ」の意味・わかりやすい解説

バスティーユ
Bastille

1369-83年パリのサンタントアーヌ門のそばに建設された城砦。高さ24m,厚さ3mの城壁,八つの円筒形やぐらからなり,幅26m,深さ3mの壕で囲まれていた。1789年7月14日,パリ群衆の攻撃を受けた封建制牙城としての牢獄で有名である。もっとも,この城砦が絶対主義国家の牢獄として活用され始めたのは17世紀に入ってからで,百年戦争の後半にはブルゴーニュ派やイギリス軍が,宗教戦争期には旧教同盟派が,17世紀中葉にはフロンド派が占拠するといったように抗争の一つの舞台ともなった。1659年から1789年まで5279人が投獄されたが,F.deバソンピエール(1579-1646),N.フーケ,ラ・ブランビリエ(1630-76),ラ・ボアザン(?-1680),ラリー・トランダル(1702-66),リシュリュー元帥(1696-1788),ボルテール,ロアン枢機卿(1734-1803)らもその中に含まれている。バスティーユ牢獄を当時の司法制度からみた場合,封建的専断主義の象徴たらしめたのは封印状lettre de cachet(国王から私人への命令書。あて名が空白のまま発行される場合が多かった)という逮捕手続にあった。
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百科事典マイペディア 「バスティーユ」の意味・わかりやすい解説

バスティーユ

14世紀にパリの東端に築かれた要塞(ようさい)。17世紀以来牢獄(ろうごく)として政治犯収容。1789年7月14日,パリの民衆は,ベルサイユへの軍隊集結と,三部会改革を企てた財務総監ネッケル罷免の報に蜂起(ほうき),武器獲得のためバスティーユを襲って占拠。フランス革命発端とされる。→パリ祭
→関連項目カリオストロ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バスティーユ」の意味・わかりやすい解説

バスティーユ
Bastille

フランス王シャルル5世の命令で,1370~82年パリのサンタントアーヌ門に建設された城塞。元来イングランドの攻撃からパリを防衛するための要塞であったが,リシュリューの時代になって国事犯の牢獄として使用されるにいたり,国王の絶対主義権力の象徴となった。パリへの軍隊集結と J.ネッケルの罷免とが直接の契機になって,1789年7月 14日パリ民衆は蜂起しバスティーユを占領したが,それがフランス革命の出発点となった。 90年取りこわされ広場になった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バスティーユ」の解説

バスティーユ
Bastille

中世にパリ東部に立てられた要塞で,やがて政治犯の牢獄となった。1789年7月14日,ヴェルサイユへの軍隊集結とネッケル罷免の報に自衛上武器をとったパリ民衆がこれを占拠し,フランス革命の進行に大きな影響を与えた。7月14日は今日のフランス国祭日。

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