デ・レ・メタリカ(読み)でれめたりか(英語表記)De Re Metallica

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デ・レ・メタリカ」の意味・わかりやすい解説

デ・レ・メタリカ
でれめたりか
De Re Metallica

鉱山冶金(やきん)学書。16世紀ドイツ鉱山学アグリコラ主著。1533年ごろから書き始められ、1550年に完成した。書名は「金属について」の意で、ラテン語で全12巻からなり、初版はアグリコラの死後4か月目、1556年にバーゼルで刊行された。1563年にはイタリア語版、1580年にはドイツ語版がバーゼルで刊行された。

 巻頭で、「多くの人々は、鉱山の仕事はでたらめなもの、また卑しくむさ苦しいもの、そして技術科学はもちろん、肉体労働すらもさまで必要なものではないかのような考えを、たいていみなもっている。ところが私にはそうは思えない」と、当時、鉱山冶金の労働が蔑視(べっし)されていることを指摘している。各巻の内容はほぼ次のようである。第1巻は実際の術と学問とに精通していなくてはならぬこと、第2巻は鉱山師の心得と採鉱の着手、第3巻は鉱脈亀裂(きれつ)および岩層について、第4巻は鉱区の測量と鉱山師の職分、第5巻は鉱脈の開掘および鉱区測量の術、第6巻は鉱山用の道具および機械、第7巻は鉱石の試験法、第8巻は鉱石の選別・粉砕・洗鉱および焙焼(ばいしょう)の方法、第9巻は鉱石溶解の方法、第10巻は貴金属と非貴金属とを分離する方法、第11巻は金・銀を銅・鉄から分離する方法、第12巻は塩・ソーダ・みょうばん・礬油(ばんゆ)・硫黄(いおう)・瀝青(れきせい)およびガラスの製法について述べている。

 採鉱冶金技術を全体の体系として科学的に記述した書物は本書が最初であり、とくに画家ウェフリングB. Wefringによる292枚の木版画は当時の進んだドイツの鉱山を生き生きと描き出している。ゲーテは『色彩論』のなかでこの書を「全人類への贈り物」と絶賛している。『デ・レ・メタリカ』が現代人に広く知られるようになったのは、1912年、のちのアメリカ大統領H・C・フーバーとその夫人の共訳による英語訳本と詳しい注が刊行されてからである。近年フランス語版、ロシア語版も刊行され、日本では三枝博音(さいぐさひろと)によって日本語訳とその研究が行われ刊行された。

[山崎俊雄]

『三枝博音訳、山崎俊雄編『デ・レ・メタリカ――全訳とその研究』(1968・岩崎学術出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「デ・レ・メタリカ」の意味・わかりやすい解説

デ・レ・メタリカ
De re metallica

ドイツの鉱山技術者・医者で,〈鉱山学の父〉とも呼ばれるG.アグリコラが著した採鉱・冶金技術書。デ・レ・メタリカとは〈金属について〉という意味で,原書はラテン語で書かれ,全12巻から成る。彼がヨアヒムスタールという鉱山町で医者をするかたわら鉱山学,岩石学,冶金学を研究して書き著したもの。圧巻は画家ウェフリングB.Wefringが協力して添えた292枚にわたる木版画で,当時の鉱山技術の作業状況を克明に描き出している。鉱山全体を観察して労働者のようす,大型木製水車の機能,冶金炉等の装置,すべてを一つの機能として眺めているのも注目すべき点である。世界で最初の体系的な技術書として,18世紀半ばまでヨーロッパの鉱山関係者にとってのバイブルとされた。1912年アメリカの大統領であったH.C.フーバー夫妻が英語版に翻訳してから世界的に知られるようになり,日本でも68年に全訳とその研究に関する本が刊行されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デ・レ・メタリカ」の意味・わかりやすい解説

デ・レ・メタリカ
De re Metallica

16世紀のドイツの医師・化学者である G.バウアーによって著わされた採鉱冶金学の技術書。 12巻。 1556年初刊。彼は古代ローマに憧れ,ラテン名 G.アグリコラの名でラテン語で著述したのでそのほうが通っている。内容は測量,採鉱,選鉱,製錬からガラスの製造にまで及んでいる。以後 18世紀まで採鉱冶金技術のバイブルとしてヨーロッパ各国語に翻訳された。 1912年アメリカの鉱山技師 H.C.フーバー (のちの第 31代大統領) により古典的名著として英訳され,世界に知られた。標題の書名は「金属について」という意味のラテン語である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「デ・レ・メタリカ」の意味・わかりやすい解説

デ・レ・メタリカ

ドイツの鉱山学者アグリコラが著した採鉱冶金技術書。ラテン語で書かれ,12巻,1556年刊。地質,鉱脈踏査,採鉱,選鉱,製錬,金銀分離などにわたり,当時の技術を集大成したもの。豊富な挿絵も特徴の一つで,18世紀半ばまでヨーロッパでは採鉱冶金についてのバイブルとされた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のデ・レ・メタリカの言及

【アグリコラ】より

…ドイツ,ザクセン生れの鉱山学者,医者。《デ・レ・メタリカ》を著し,〈鉱山学の父〉とも呼ばれている。本名はバウアーGeorg Bauerで,アグリコラはラテン名。…

【鉱山】より

…15~16世紀のこの繁栄は銀と銅に対する需要の増大,豊かな鉱脈の発見のほか,立坑の深化(60~100フィート),排水法の改良(横坑掘削や革袋の巻上げ),大規模な鉱石搬出装置(水力,馬力使用)などの技術改良によっていた。アグリコラの《デ・レ・メタリカ》には当時の採鉱・製錬技術がくわしく記されているが,これはドイツ人鉱夫によって北欧,東欧,イギリスなどへ伝えられ,ドイツ産の銀と銅はベネチアから東方の産品の対価として輸出されていた。 中世鉱山の法慣習や鉱夫の労働組織は鉱業法や鉱山条例から知られる。…

【鉱山病】より

…ヨーロッパで初めて鉱山病について医学的な記録を残したのは,ルネサンス時代のG.アグリコラとパラケルススである。アグリコラは大著《デ・レ・メタリカ》(1556)で,鉱夫の肺の異常にふれ,このために死んだ夫を7人ももった婦人の話を伝えているが,それは塵肺の一種であり,また有毒物による腫瘍が骨髄まで冒す病気は,砒素による肺癌(がん)であったと推定される。パラケルススは《鉱夫病》(1567)という専門書を著し,塵肺や金属中毒の因果関係を初めて見抜いた。…

【産業衛生】より

…産業がしだいに大規模になるにつれて,産業労働に伴う危険も大きくなり,この危険を回避するための方策が工夫されるようになる。16世紀のG.アグリコラの著書《デ・レ・メタリカ》には,すでに鉱山における科学的な研究の体系が記されているが,そのなかには坑内の排水,換気などの環境整備のための衛生工学の実際,坑内の環境や労働の非衛生的な状態による災害や病気の生々しい記録が詳細に記され,鉱山を維持するための工学,衛生学,社会経済学の総合の必要性が述べられており,産業衛生の基本的認識がすでにできあがっていることがうかがえる。同じころパラケルススの《鉱夫病とその他の鉱山病》(1533‐34),ついでシュトックハウゼンの《一酸化鉛の有害煙気による病気と鉱夫肺労》(1656)が著され,やがてイタリアのラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)の《働く人々の病気De morbis artificum diatriba》(1700)が現れ,ヒッポクラテス以来の職業と健康に関する知識が集大成された。…

【職業病】より

…古代ギリシア人はすでに銀山で鉱毒や水銀中毒があることを観察していた。近代文明の夜明けを告げる鉱山業がヨーロッパに勃興したときG.アグリコラは鉱山学の書物《デ・レ・メタリカ》(1556)第6巻で,鉱夫特有の疾病について記述している。〈空中に飛散する塵がおこす肺の病気〉とは,おそらく喘息をともなう塵肺の一種であり,また〈黒い有毒物によって腫瘍となり骨の髄まで冒す病気〉とは,19世紀になって肺癌であることが明らかにされた。…

【製図】より

…例えば彼が用いたねじの略図のごときは,ほぼ現代の初頭のそれに匹敵する。その後,印刷術の発明により,機械を写した図,書物は多数を数えることになるが,その中でG.アグリコラによる《デ・レ・メタリカ》はとくに著名である。 近世に入って,G.モンジュによって創始された画法幾何学は,築城の技術に一大躍進をもたらした。…

※「デ・レ・メタリカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android