日本大百科全書(ニッポニカ) 「デロス島」の意味・わかりやすい解説
デロス島
でろすとう
Delos
ギリシア南東部、エーゲ海のキクラデス諸島に含まれる小島。ミコノス島とその西のシロス島との間にある。現代ギリシア語ではディロスDhílosと発音する。面積3.4平方キロメートル。食堂・宿泊施設関係者以外に居住者はない。小デロスMikra Delosとよばれて、西側にある大デロスMegale Delos(古称レネイアReneia、現代ギリシア語の発音ではリニアRinia島)と区別される。岩がちな不毛の地で、最高点は133メートル。古代ギリシアにおけるエーゲ海の政治、宗教、商業の中心地。今日ではその遺跡を巡る観光地となっている。1990年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[真下とも子]
歴史
アポロンとアルテミス神の生誕地として崇(あが)められ、さまざまの神話に富んだこの島には、古くミケーネ時代の神域も確認されている。デロス島のヤシの木は有名で、『オデュッセイア』をはじめとして『アポロン賛歌』やエウリピデスの『ヘカベ』『イオン』など幾多の作品に歌われており、文学的に大きな影響を与えている。トゥキディデスによると、最初カリア人が住んでいたが、彼らはクレタのミノス王により追放されたと伝えられている。紀元前1000年ごろ、ギリシア本土からの植民者たちが定住したと考えられているが、歴史にこの島が登場するのは前8世紀ごろからで、イオニア人やデロス島周辺の島々の住民が集いアポロンを祝う盛大な祭典が挙行される地として知られていた。前6世紀、ペイシストラトスやポリクラテスなどの僭主(せんしゅ)もデロス島にかかわりをもった。前者は島の清めを行い、後者はデロス島から手の届く所にあるレネイア島を支配すると島をアポロンに奉納している。しかし、とくに有名なのは、ペルシア戦争後にデロス同盟が結成されたおり、最初、その資金がこの島に置かれたことである。以後中断はあったが、おおむね前314年までアテネの支配を受けた。
ヘレニズム時代には東地中海の商業中心地として繁栄したが、とくにローマ支配下の前166年に自由市となってからいっそう発展し、ローマの奴隷制の進展と呼応して、奴隷売買の一大中心地となった。だが、前88年、ミトリダテス6世の軍隊の侵入により急速に衰微した。加えて、カエサルがコリントに設立したローマ植民市が、交易ルートの変化をもたらし、デロス島の繁栄のもとは完全に断たれた。なお、1873年以来フランスが遺跡の発掘を続行しており、アポロン神殿などを発見して大きな成果をあげている。
[真下英信]