ローマ帝政期のギリシアの地誌学者。170-180年ころ10巻の著作《ギリシア案内記》を完成した。本書はアッティカ,メガラ,コリントス,アルゴリス,ラコニア,メッセニア,アカイア,アルカディア,ボイオティア,フォキス,デルフォイなどギリシア本土の各地の都市,聖域,名所,神殿などを歴訪する旅人のための案内書の形をとり,各地の史跡にまつわる伝承や史実,神話などを織りまぜながら,過ぎにしギリシアの栄光を物語る。自然の風景について語るところは皆無に近いが,神殿や公共の建築物や記念碑の類,また絵画,彫刻,その他の工芸美術品について詳記しているところが多く,古代ギリシア・ローマの芸術史の手引としても貴重な資料となっている。また,ギリシアの諸地方に口碑として伝わる珍しい神話伝説も多く記録されており,その意味での価値もきわめて高い。
執筆者:久保 正彰
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古代ギリシアのスパルタの将軍。アギス王家出身で、レオニダス1世の甥(おい)。紀元前479年のプラタイアイの戦いにペルシア軍を撃破し、翌年ヘラス連合艦隊を率いてビザンティオン(後のコンスタンティノープル)をペルシアから奪回したが、現地で傲慢(ごうまん)にふるまって人望を失い、またペルシア王クセルクセス1世との内通を疑われたため、本国に召喚されて裁判を受けた。内通が無罪となったのち、私人として小アジアに渡ったが、ペルシアとの交渉を続けていると疑われて、前470年ごろ再度スパルタに召喚された。内通の証拠をつかまれて、保護を求めてアテネ神殿に逃げ込んだが、最高役人団のエフォロイに包囲され、餓死直前に神殿の外に引き出されて死んだ。
[清永昭次]
生没年不詳。紀元後150年ころのギリシアの旅行家、地理学者。リディア出身と思われる。ギリシアに来訪する以前にも、小アジア、パレスチナ、エジプトなど広く旅行したが、アッティカをはじめとし、ギリシア本土各地の名所旧跡を詳細に踏査して、10巻よりなる『ギリシア案内記』Periegesis tes Helladosを著した。本書はギリシアの重要なポリスの歴史や地理を叙述しているが、著者の関心はもっぱら各地の遺跡や記念物、それらにまつわる伝説、宗教行事にあった。とくに、オリンピア、デルフォイの建造物やマラトン、プラタイアイの古戦場の描写にさえた筆致がみられる。彼の記述はきわめて正確で、古代遺跡の研究に不可欠の資料となっている。
[真下英信]
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[古典期]
ペルシア戦争において,スパルタはコリントス地峡防衛に力を入れて,アテナイに名を成さしめたが,プラタイアイの戦でギリシア連合の盟主の威を示した。しかしペルシア追撃を指揮したパウサニアスの尊大な態度とエーゲ海域諸市への対応のつたなさのゆえに,エーゲ海域の諸市はアテナイに心を寄せた。スパルタは前460年代には大地震に端を発したヘイロータイの大反乱に難渋し,また前450年代にはアテナイと戦火を交えた。…
…プルタルコスによれば,アレクサンドロス大王は遠征に〈夢解き〉の神官を帯同したとされているし,夢見のための〈籠(こも)りincubation〉は想像以上に広い範囲で行われていたようである。それは古代医学とも密接に関係していたようであり,たとえば,パウサニアスは,《ギリシア記》の中でアスクレピオス神殿における病気治療について次のように記している。病人は種々の儀礼的な手続を経た後に,水を浴びせられ,身体を擦(こす)られ,香を焚(た)かれ,一種の恍惚状態のうちに,犠牲に捧げられた獣(牡ヤギなど)の毛皮の上に眠りこんで,夢を見る。…
…プルタルコスの著述においては,古代人の生の内面から輝きいでる力強い資質が語られているゆえに,時代が移ろっても古代の人々の面影を彷彿させる。過ぎにしギリシア文学の伝統を追慕する心情は,やはり帝政期の地誌家パウサニアスの《ギリシア旅行記》にもあり,フィロストラトスの《絵画論》《彫刻論》などからもくみ取ることができる。他方,アルキロコスやアリストファネスらの活発な風刺の精神もなお衰えず,この時期の文学に異彩を加えている。…
…一度にすべての子どもを失ったニオベは泣きつづけるうちに石と化し,それを風が彼女の故郷のシピュロス山上に運んだが,なおも涙を流しつづけたという。リュディアの生れで,みずからシピュロス山に登ったことのあるパウサニアス(2世紀)は,伝説の〈ニオベ石〉は近くで見ればただの岩だが,遠見には,頭をたれて涙にくれる女の姿に見える,とその著書《ギリシア案内記》に書き残している。【水谷 智洋】。…
…饒舌家で,その話はとかく若い時分の武勇談に傾くきらいはあるものの,だれからも尊敬される老人として,ホメロスの叙事詩に描かれている。歴史時代のペロポネソス半島西部には,ピュロスの名をもつ地が3ヵ所あり,パウサニアス(2世紀)の《ギリシア案内記》はメッセニア地方のピュロス(現在のピロス,別名ナバリノより少し北)をネストルの居城地と記しているが,1939年,アメリカの考古学者ブレーゲンC.Blegenが現ピロスの北方約20kmにあるエパノ・エングリアノスの丘に広大なミュケナイ時代の宮殿址を発見し,いまではここがネストルのピュロスと想定されている。【水谷 智洋】。…
…彼女の最も有名な神殿はアッティカ地方のラムヌスにあり,名匠フェイディアス(前5世紀)作の神像が奉置されていた。この神像は,鹿と勝利の女神ニケのついた冠をいただき,左手にはリンゴの枝,右手にはエチオピア人の姿を刻んだ杯を持っていた,とパウサニアス(2世紀)の《ギリシア案内記》が伝えている。【水谷 智洋】。…
※「パウサニアス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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