パウサニアス(読み)ぱうさにあす(英語表記)Pausanias

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウサニアス」の意味・わかりやすい解説

パウサニアス
Pausanias

[生]?
[没]前470頃
古代ギリシアスパルタ摂政。スパルタ王クレオンブロトス1世の子。ペルシア戦争中の前 480年テルモピュレで戦死したレオニダスの息子の摂政となった。前 479年スパルタとアテネを主とするギリシア連合軍を指揮し,プラタイアイでアケメネス朝ペルシア軍に大勝。翌年連合艦隊を率いてビザンチオンを占領したが,その尊大な態度とペルシア風の生活様式を取入れたために,忠誠を疑われ,同盟諸市のスパルタに対する信頼も低下した。ペルシア王との結びつきを疑われ,2度もスパルタへ召還されたが放免された。しかしヘロット反乱に加担したと疑われ,エフォロスらに捕えられることを恐れ,神殿に逃げ込み餓死した。

パウサニアス
Pausanias

2世紀後半のギリシアの旅行家。リュディア出身。全 10巻の『ギリシア案内記』 Periēgēsis tēs Helladosの著者。これは地理ほか歴史宗教神話美術建築なども扱っており,ありし日のギリシアの町々や神域を彷彿させる旅行案内書として価値が高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パウサニアス」の意味・わかりやすい解説

パウサニアス(ギリシアのスパルタの将軍)
ぱうさにあす
Pausanias
(?―前470ころ)

古代ギリシアのスパルタの将軍。アギス王家出身で、レオニダス1世の甥(おい)。紀元前479年のプラタイアイの戦いにペルシア軍を撃破し、翌年ヘラス連合艦隊を率いてビザンティオン(後のコンスタンティノープル)をペルシアから奪回したが、現地で傲慢(ごうまん)にふるまって人望を失い、またペルシア王クセルクセス1世との内通を疑われたため、本国に召喚されて裁判を受けた。内通が無罪となったのち、私人として小アジアに渡ったが、ペルシアとの交渉を続けていると疑われて、前470年ごろ再度スパルタに召喚された。内通の証拠をつかまれて、保護を求めてアテネ神殿に逃げ込んだが、最高役人団のエフォロイに包囲され、餓死直前に神殿の外に引き出されて死んだ。

[清永昭次]


パウサニアス(ギリシアの旅行家、地理学者)
ぱうさにあす
Pausanias

生没年不詳。紀元後150年ころのギリシアの旅行家、地理学者。リディア出身と思われる。ギリシアに来訪する以前にも、小アジア、パレスチナ、エジプトなど広く旅行したが、アッティカをはじめとし、ギリシア本土各地の名所旧跡を詳細に踏査して、10巻よりなる『ギリシア案内記』Periegesis tes Helladosを著した。本書はギリシアの重要なポリスの歴史や地理を叙述しているが、著者の関心はもっぱら各地の遺跡や記念物、それらにまつわる伝説、宗教行事にあった。とくに、オリンピア、デルフォイの建造物やマラトン、プラタイアイの古戦場の描写にさえた筆致がみられる。彼の記述はきわめて正確で、古代遺跡の研究に不可欠の資料となっている。

[真下英信]

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