マルクス経済学では,財の生産,商品の売買,貨幣の貸借などから生まれる貨幣利得の真の源泉を剰余価値とよんでいる。マルクス経済学においては,剰余価値は資本の本質規定をなし,資本主義を説明するのに必須の,また核心をなす概念となっている。
どのような社会でも,経済生活に必要な財(食料,衣服のような生活必需品や,これらを生産するのに使用される原料,道具など)の生産に直接たずさわる人々は,自分たちに必要な量はもちろんのこと,これ以上の生産物を生産する。これは,王や家臣たち,領主や主人,呪術師や祭司など,財の生産に直接かかわらない人々も消費生活を営んでいかなければならないからであり,また経済が拡大していく場合には新しく追加される道具や機械が作り出されていなければならないからである。直接生産者が自分で消費する以上のこれら生産物を剰余生産物といい,この剰余生産物を生む労働を剰余労働という。たとえば奴隷制社会で,平均1人の奴隷が1日11時間働き,そのうち5時間分の労働生産物を消費して自分自身の生命を維持しているとすれば,6時間(11-5=6)は剰余労働となり,この6時間分の生産物が剰余生産物ということになる。そして,直接生産にたずさわらない奴隷所有者やその家族は,奴隷の作り出す剰余生産物を消費して暮らすわけである。
ところで資本主義社会においては,上記のような剰余生産物,剰余労働が特有の姿をとってあらわれ,資本家によって領有される。この資本主義に特有の姿をとった剰余生産物,剰余労働が剰余価値(Mehrwert。しばしばmまたはMと略記される)である。資本主義社会では,きわめて多くのものが,いなほとんどすべてのものが売買されている。小麦や鉄のような普通の財が売買される一方,労働力という特殊な商品(労働力商品)も売買されている。資本主義社会では,生産手段を所有する資本家と,生産手段をもたずこの資本家に雇われる以外糊口をしのぐ道のない労働者とに階級分化しており,これらの間の階級関係も商品の売買関係によって成り立っているからである。この商品売買という姿をとった階級関係とはどのようなものか。
1日8時間でも12時間でも働けるし,どのような種類の労働でもできるという,普通の人間のもっている労働能力をめぐって,資本家はこの労働能力の購入者となり,労働者は販売者となる。この両者間で売買される労働能力を労働力商品という。この売買につづいて,資本家は労働力商品を手に,すなわち労働者をつれて生産過程へいき,そこで彼らを働かせる。他方,労働者は労働力の価値にあたる貨幣を得て,これで生活資料を購入し,生計をたてる。これら全過程を社会全体でみると,つぎのようになる。労働者がそれ相当の生活水準を維持するのに必要な生活資料を生産するために,たとえば平均1日4時間かかるとすれば,労働力商品の販売によって得る貨幣は彼らの労働の生産物4時間分を購入できるものでなければならない。一方,生産過程で労働者は1日10時間働かされるとすれば,このうち最初の4時間で作り出された生産物は,労働者自身が買い戻すことで,労働者自身によって消費されることになる。この最初の4時間分のことを必要労働といい,資本家にとっては労働者を雇うための支払分を意味する。この支払分は,価値量を新しく増加しうる労働力に対して支払われ投ぜられるところから,可変資本(variables Kapital。vと略す)とよばれる(不変資本・可変資本)。これに対し,4時間をこえて10時間目までの6時間分の労働,およびこれによって生み出される労働生産物は,資本主義社会に限らず社会一般に存在する,上記の剰余労働,剰余生産物にあたる。資本家は労働者の労働によって生み出された生産物全体を販売することによって,可変資本を回収すると同時に,剰余労働,剰余生産物を剰余価値として獲得することになる。これら資本家と労働者の価値をめぐる関係を表示するものとして,を剰余価値率とよぶ。
また,自分の労働で作ったものは自分のもの,あるいは自分の自由になるもの,という観点にたてば,労働者に支払われたのは必要労働の部分だけで,剰余労働の部分は不当にも支払われず,不払労働ということになり,その部分は,労働者は資本家から搾取されているということになる。こうして剰余価値率は,不払労働/支払労働でも表すことができ,搾取率ともいわれる。
ところで,場合によってはたんなる商品の売買だけから資本家が利潤を手に入れることもありうるが,それは偶然的な価格差や詐欺的行為によるのであって,長続きするものではないし,いつでも,だれでもというわけにはいかない。また,商業を専門にする商業資本,貨幣の貸借・創造にかかわる銀行資本は,直接,財の生産にかかわっていない。したがって,価値および剰余価値の生産にかかわっていないにもかかわらず,利潤を獲得している。しかしこれは,これらの資本が商業や貨幣業務を社会的に集中・代位したり,在庫や遊休資金を流動化させ,資源が無為に放置される期間を短縮することで,剰余価値から控除される社会的空費を節約し,間接的ながら生産を拡大させ,間接的に剰余価値を増大させる機能を果たすからなのである。すなわち,商業資本や銀行資本の獲得する利潤は,産業資本が生産した剰余価値から分配されたものにすぎない。つまり,一般の財商品を売買したり,貨幣を貸借するだけでは,なにも新しい財が作り出されるわけではないし,したがって価値が新しく生み出されるのでもない。資本家が当初の貨幣よりさらに多くの価値を獲得できるのは,新しく価値を生み出す特殊な商品・労働力を購入し,生産過程でそれを使う資本が存在するからであり,労働者を働かせることから,剰余労働=剰余生産物=剰余価値を手に入れるからである。
資本主義社会では,それ以前の時代とくらべ,資本家と労働者の間に賃金,労働時間,その他の労働条件をめぐる激しい階級対立が生ずる一方,生産方法の改善,新製品の開発など生産力の急激な発展がみられる。これらはいずれも,資本の本質が剰余価値の獲得,もっと正確にいえば,より多くの剰余価値を得ようとするところに起因する。資本はできるかぎり多くの剰余価値を獲得するために,労働者をより安い賃金で,より長時間働かせ(これによって生産される剰余価値を〈絶対的剰余価値〉という)ようとするだろうし,生産方法・生産編成を改善することによって従来の労働条件のままでも必要労働部分を減少させ,相対的に剰余労働部分を増加させようとする(〈相対的剰余価値〉)。資本にはこれらいずれの傾向もあるから,上記のような特徴が資本主義社会につきものとなるというわけである。
マルクス以前の経済学は,上記のような剰余価値の概念を生み出さなかったが,その理由をマルクスはつぎのようにみていた。重商主義は商品売買そのものに利潤の根拠があるとしてしまったし,重農主義は生産を重視し剰余価値の概念にほぼ相当する〈純生産物〉を問題にしたが,その源泉を農業に,そして農業経営に限定してしまった。また,古典派経済学は,基本的には労働価値説にたちながら,資本家と労働者の間の関係を労働の売買(労働力の売買ではなく)としてしまったために,利潤の根拠が剰余価値にあり,剰余労働の搾取にあるとするには至らなかった,と。
なお,剰余価値という概念は国民所得論にいう付加価値に近いといわれる。たしかに付加価値から賃金を差し引いた部分が剰余価値に対応するといえなくもないが,その源泉がどこにあるかという観点からすれば,両概念はまったく相いれない。剰余価値は,財を作り出す労働のみが価値生産的だとする労働価値説にもとづき,階級関係を搾取とみる点に焦点をあてた概念になっているからである。それだけにこの概念は,価値とは一体なにか,財を作る労働のみが価値生産的なのか,といった労働価値説のもつ根本的な論点や,労働者が雇用されるということは労働力商品化として説明しつくしうるのか,賃金水準はどのような要因によって規定されているのか,あらゆる剰余労働はすべて不払労働にあたるのか,という搾取論にかかわる論争点に,つねにつきまとわれているのである。
→資本論 →マルクス経済学 →利潤 →労働価値説
執筆者:吉沢 英成
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
資本とは自己増殖する価値であり、投下された資本価値に対して増殖する価値部分を剰余価値という。この剰余価値の投下総資本に対する比率が利潤率であり、剰余価値が投下総資本の産物と意識されるとき、剰余価値は利潤とよばれる。利潤はこの剰余価値の転化された現象形態である。そして産業資本家の得る産業利潤、商業資本家の得る商業利潤、貸付資本家の得る利子、地主の得る地代は、この剰余価値を源泉とし、それが分割されたものにほかならない。
資本制的生産の規定的目的は剰余価値の生産であるが、商品の売買が行われる流通過程では、剰余価値は生産されない。剰余価値は、産業資本家によって雇われた労働者の労働によって生産過程で生産されるのである。産業資本の運動は、
として定式化することができるが、この運動の意味は次のとおりである。まず産業資本家は、生産開始にあたって一定額の貨幣Gをもって、労働市場において労働力Aを購入し、さらに商品市場において生産手段Pmを購入する。それらを生産過程P(点線は流通過程が中断されていることを示す)において合体して、剰余価値を含んだ商品W'を生産し、それらをふたたび市場で販売することによって、投下資本価値Gを回収すると同時に、それを上回る価値部分=剰余価値Δgを実現する。
ところで、剰余価値を含んだ商品はどのようにして生産されるのであろうか。いま労働者が1日8時間労働することによって50ポンドの糸を生産するものとし、これに要する生産手段の価値が1万円、労働力の日価値が4000円、そして平均的1時間労働が1000円の価値を生むものと仮定しよう。この場合、消費された生産手段の価値は、生産過程で価値の大きさを変えることなく生産物である糸の価値に移転されていく。これに対して労働力の場合には、これが消費されることによって新しい価値を付加する。平均的1時間労働が1000円の価値を生み、労働者は8時間労働すると仮定されているから、生産物に新たに付加される価値は8000円となり、糸50ポンドの価値は合計1万8000円となる。資本家はこれを価値どおりに販売することによって、投下資本1万4000円を回収すると同時に、それを上回る価値部分4000円の剰余価値を実現する。これから明らかなように、剰余価値の発生根拠は労働力商品にある。労働力商品は、それを消費することが価値の創造であり、しかもそれ自身の価値よりも大きな価値を創造するという独自な使用価値をもっている。この例では労働力の日価値は4000円であるから、それを再生産するためには労働者は4時間労働すればよいが、このことはそれを上回って労働することを妨げるものではなく、この剰余労働によって剰余価値が生産されるのである。
このように労働者の1日の労働時間=労働日は二つの部分からなっている。一つは労働力の価値を再生産するのに必要な時間であり、これを必要労働時間、この間に支出される労働を必要労働という。いま一つは労働者が必要労働時間を上回って労働する時間であり、これを剰余労働時間、この間に支出される労働を剰余労働といい、これによって剰余価値が生産される。この場合、
を剰余価値率という。このように直接的生産者の労働が必要労働と剰余労働に分かれ、後者が搾取されるということは、資本主義社会に特有なことではなく、それ以前の奴隷制および封建制社会においてもみられた。そこでは剰余労働の搾取は感覚的に明らかであったが、商品経済に基づく資本主義社会においては、この本質的関係は隠蔽(いんぺい)されているので、科学的分析が必要となるのである。
資本家は剰余価値率を増大させようと努力しているが、剰余価値率を増大させるには、次の2通りの方法が存在する。すなわち、労働日のうち労働力の価値を再生産する必要労働時間は、所与の生産諸条件のもとでは一定であるから、この場合、労働日を延長すればするほど剰余労働時間は長くなり、剰余価値率は増大する。これを絶対的剰余価値の生産という。しかし、労働日の無制限的延長には生理的限界および社会的限界があり、労働者階級も反対する。労働日をめぐる労資の闘争の結果、法律によって標準労働日が設定されるようになる。こうして労働日の無制限的延長が不可能となったならば、剰余価値率を増大させるためには、必要労働時間を短縮し、それによって剰余労働時間を拡大する必要がある。これを相対的剰余価値の生産という。そのためには労働力の価値を引き下げなければならない。労働力の価値は労働者家族が消費する生活手段の価値によって決まるので、相対的剰余価値の生産のためには社会の生産力を上昇させなければならない。相対的剰余価値の生産は、特別剰余価値(社会的価値と個別的価値との差額)をめぐる資本家相互の競争を媒介として行われる。
[二瓶 敏]
『K・マルクス著『資本論』第1巻第2~5篇(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』▽『K・マルクス著、長谷部文雄訳『賃労働と資本』(岩波文庫)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…J.R.ヒックスは,公正賃金fair wageという概念にもとづくことによって,市場価格が人々の“価格に関する価値観”によっていかに左右されるかを論じている。 マルクスは,労働価値説という大いに疑わしい仮説に依拠して資本家の獲得する剰余価値や労働者の被る搾取を説明したのであったが,社会的価値の考え方にもとづけば,剰余価値や搾取に対して別様の解釈を下すことができる。すなわち,市場賃金と社会的価値としての公正賃金との乖離(かいり)としてそれらを説明することができるであろう。…
…マルクスは《資本論》をはじめとする書物のなかでこれを批判し,その経済が資本主義という歴史的に特殊な経済であり,階級社会の一つの形態であることを明らかにしようとした。 マルクスによると,資本は剰余価値(マルクスの概念で,投下資本の価値を上回って獲得される価値。利潤のことと考えてよい)の獲得を目的とする。…
…したがって資本形成は単に生産要素の増大を意味するだけではなく,技術進歩に基づく生産性の上昇を意味するのである。【塩野谷 祐一】
[マルクス経済学]
利潤として取得された剰余価値の一部が追加的に投資されて拡大再生産が行われることを資本の蓄積という。どのような社会においても生産規模が拡大されるためには,自由に処分することのできる剰余生産物が,追加的な生産手段および追加的な労働力のための生活資料として,生産的に消費されなければならない。…
…マルクスの手で仕上げられたのはその第1巻(第2版まで)だけで,第2巻(1885),第3巻(1894)は,残された未整理の草稿を,友人のF.エンゲルスが編纂(へんさん)したものである。なお第4巻として予定されていた〈理論の歴史〉の草稿は,エンゲルスの死後,K.カウツキーに託されて編纂され,《剰余価値学説史》全3巻(1905‐10)として刊行された。マルクスは研究と執筆を進めるうちに何度もプランを練り直し,また何回も草稿を書き直している。…
…自由放任主義の提唱は,重商主義的な国家的干渉や独占の排除によってはじめて〈取引される富〉,とくに農産物にはその正常な再生産を可能にする〈良価bon prix〉が保証され,その結果,一面では地主階級の収得する地代が増加し,他面では農業資本の増加による農業生産性の上昇が可能になる,という理解を基礎としていた。また地代に対する単一課税論は,恣意(しい)的な租税負担を廃止して,課税対象を農業でだけ生みだされる剰余価値つまり〈純生産物produit net〉に限定すべきだと主張し,農業資本ひいては社会的総資本の再生産の縮小を回避することを意図したものである。その理論的根拠は,地主の地代収入となる純生産物だけが,再生産にとって直接必要のない自由処分の可能性をもつという理解にあった。…
…ところが流通過程ではたんに同じ価値額が商品から貨幣へ,あるいは貨幣から商品へと姿をかえるだけなのに対して,生産過程においては生産資本の消費によってより高い価値をもつ商品生産物(略してW′)があらたに生産されるのである。貨幣の投下と回収を通ずる資本の価値増殖も,こうした生産資本の機能にもとづく価値形成(剰余価値の生産)に根拠をもっているといえよう。 ところが資本の生産過程における価値形成にさいして労働力と生産手段がそれぞれ異なる役割を演じるために,マルクス経済学では両者を可変資本(不変資本・可変資本)および不変資本として質的に区分する。…
…おもな人物としてはトムソンWilliam Thompson(1775‐1833),T.ホジスキン,ブレーJohn Francis Bray(1809‐95),グレーJohn Grey(1799‐1883),エドモンズThomas Rowe Edmonds(1803‐89),レーブンストンPiercy Ravenstone(?‐1830ころ)があり,ときとしてリカード以前のホールCharles Hall(1740ころ‐1820ころ)を含めることもある。 彼らの労働全収権の主張は,D.リカード的な価値論を援用した,一種の剰余価値論を根拠とする場合が多かった。たとえば,トムソンは労働者の追加労働(剰余労働)が剰余価値を生むとしたし,ホジスキンは労賃・利潤対抗論を用いて資本家による〈搾取〉を示し,ブレーは資本家と労働者の不等価交換の仕組みを〈労働する能力〉という概念を使って説いた。…
…このような角度から利潤を論じるとき当然問題となるのは剰余生産物とは何であり,またそれがどのようにして階級間に分配されるかということであって,分配のあり方は資本主義経済をそのまま特徴づけることになる。 剰余生産物は物的にみると生産物の中から原材料や機械設備の減耗分を補塡(ほてん)し,さらに労働者の生活物資を取りのけたあとに残る超過部分であるが,マルクスの労働価値説は,剰余生産物は資本主義社会においては剰余価値という姿をとり,それを生み出すのは労働者の剰余労働であると論じた。利潤の源泉はこの剰余価値にあり,利潤は剰余価値の転化した姿にほかならない。…
※「剰余価値」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加