経済学原理(読み)けいざいがくげんり(英語表記)Principles of Economics

改訂新版 世界大百科事典 「経済学原理」の意味・わかりやすい解説

経済学原理 (けいざいがくげんり)
Principles of Economics

ケンブリッジ学派の創始者A.マーシャル主著。1890年刊,第8版1920年刊。1881年ころから執筆が始められ,公刊後も章立て編成をはじめとする大小改訂が加えられたが,第8版は6編55章と13の付論からなり,858ページにのぼる大著である。その中心部分は,第5編〈需要,供給,価値の一般理論〉と第6編〈国民所得の分配〉にある。価値は需要と供給の均衡点において決定されるという命題を基本的枠組みとして,〈限界margin〉と〈代替substitution〉という概念を用いて均衡状態が記述されるが,それは選択的な消費の対象にだけでなく,生産諸要素にも適用されて,有益な諸概念が創案された。〈長期〉正常と〈短期〉正常の区別,外部経済と内部経済(外部経済・外部不経済)の区別,主要費用と補足費用の区別に加えて,準地代,代表的企業representative firm,弾力性など,今日,部分均衡分析(〈市場均衡〉の項目参照)で用いられる主要な諸概念は,すべてマーシャルの創案になるものである。
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経済学原理 (けいざいがくげんり)
Principles of Political Economy, with Some of their Applications to Social Philosophy

J.S.ミルの主著。1848年初版,71年7版。19世紀イギリス古典派経済学集大成であるとともに,その限界を示した書でもある。1848年の初版と52年の第3版の間に大きなトーンの変更がある。初版では,D.リカード以来の演繹(えんえき)的理論に依拠して,価格が需給関係により決まり,賃金利潤地代など所得の分配も人意を超えた自然法則によって決まるとされた。この認識は政府介入の余地を否定する自由放任の主張につながる。しかし第3版からは,〈富の生産〉が自然法則に支配されるのに対し,〈富の分配〉は一定の条件に支配されながらも人間の意志ひいては社会制度の変化によって改善されうる余地のあることが主張された。この点で父のジェームズ・ミルやJ.R.マカロック,N.W.シーニアら旧派の古典派経済学者たちと見解を異にするにいたった。《経済学原理》は,理論の首尾一貫性において未完成ながら,リカード経済学を熟知していた人物によって,その実証的妥当性の限界が指摘され,自由放任原則に重大な修正が加えられた書物として高い歴史的意義をもつとされる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「経済学原理」の意味・わかりやすい解説

経済学原理
けいざいがくげんり
Principles of Economics

A.マーシャルの主著。 1890年刊。生産における費用面を強調する傾向にあったイギリス古典経済学の伝統と,限界革命後に取入れられるようになった効用最大化行動に基づく需要理論を統合し,需給均衡論のもとに経済現象を体系的に論じた。部分均衡分析,消費者余剰,弾力性の概念,外部経済,内部経済など今日用いられているさまざまな分析概念を提供している。また生産における時間要素を考慮し,一時的均衡,短期均衡,長期均衡に分類した供給価格の均衡分析は,今日の生産者理論の骨格となった。 J.M.ケインズ,A.C.ピグーへの影響は多大であり,また不完全競争の分析にも寄与している。収穫逓増問題に対する分析は,マーシャルの外部性概念を通じて今日,内生的経済成長理論に取入れられている。

経済学原理
けいざいがくげんり
Principles of Political Economy,with some of their applications to social philosophy

J.S.ミル著。 1848年刊。よって立つべき主要な経済理論を失っていた 19世紀中頃の状況下における本書の主要なねらいは,「社会哲学への若干の適用を含む」という副題に明示されているように,より進んだ社会哲学体系のなかに経済学を位置づけ,その観点から構成し直すこと,それを通じて経済学の現実的有効性を取戻すことである。その成果は,人間の自立の重要性を説き,人類の共有財産としての土地問題を解決するための土地改革理論を提示するなどした点に表われている。

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世界大百科事典(旧版)内の経済学原理の言及

【経済学説史】より

…しかしスミスは,土地のみが生産的であるとする重農主義をも批判し,利潤の概念を確立させた。古典派経済学は,さらに《経済学および課税の原理》(1817)の著者D.リカード,《人口論》(1798),《経済学原理》(1820)などを著し,有効需要の問題を重視して後にケインズに評価されたT.マルサスなどにより展開されていく。そして,古典派経済学の最後の巨峰はJ.S.ミルであり,その著《経済学原理》(1848)は古典派経済学の完成の記念碑である。…

【マルサス】より

…それ以前に,すでにD.リカードとのあいだで穀物法と地代に関する論争が始まっており,マルサスは,つぎつぎ自説を小冊子で発表,同時にリカードとの往復書簡を通じて,みずからの経済理論を形成した。《経済学原理》(1820)はその最終的成果で,その後も《価値尺度論》(1823),《経済学における諸定義》(1827)を発表した。彼は,一般的には地主階級擁護の立場からリカードの新興産業資本家階級擁護の立場を批判したと評価されているが,リカードが労働価値説に立脚して,資本家・労働者・地主の三大階級間の生産物分配を問題にしたのと対照的に,同じく三大階級を前提としながら,有効需要の側面に重点をおく需要供給論を展開した。…

【スチュアート】より

…この時期に諸国を見聞して回り,経済学および財政学の研究に従事した。帰国後は隠退して《経済学原理》全2巻(1767)を完成。本書は出版当時は世評にのぼり,大陸や植民地で流布したが,A.スミスの《国富論》(1776)出版後はマルクスによって評価されるまで,ほとんど忘れられた著作であった。…

【トゥガン・バラノフスキー】より

…のちにその指導的理論家,活動家となり,東欧諸国の協同組合運動に影響を与えた大著《協同組合の社会的基礎》(1916)を書き,1917年全ロシア協同組合会議議長に選ばれた。また彼の経済学を集大成した《経済学原理》(1909)は当時,経済学のテキストとして広く読まれた。十月革命後はウクライナの反革命組織に関係するが,1919年パリへの亡命途上,オデッサ近郊で没した。…

【ケンブリッジ学派】より

…しかし全体としては,イギリス経済は高い資本蓄積率に支えられて,まだ発展過程にあると考えられていた。マーシャルが主著《経済学原理》(1890)を出版したのはこのような時期であったから,彼は資本家,企業家,労働者という階級間の調和的発展に基本的関心を向け,短期では労資の対抗関係があるようにみえるが,長期では〈国民分配分national dividend〉(国民所得と同義。厚生経済学的に使われた)が増大するため,両者の調和が可能であると考えたのである。…

【マーシャル】より

…1885年から1908年までケンブリッジ大学の経済学教授を務め,A.C.ピグー,J.M.ケインズをはじめとする一群の経済学者を育てて,ケンブリッジ学派を形成した。主著《経済学原理》(1890)はその後30年間にわたって8版を重ね,当時の支配的学説として世界中に影響を及ぼした。スミス,リカードからイギリス経済学の正統を引くJ.S.ミルの《経済学原理》(1848)は,1871年にミル自身による最後の改訂版として出版されたが,そのころマルクスの《資本論》(1868),ジェボンズの《経済学の理論》(1871),メンガーの《国民経済学原理》(1871)など新しい動向を象徴する著作が現れるようになっていた。…

【ミル】より

…14歳以後は一人立ちで勉強したが,幼年期からの教育によって一種の純粋培養的な学者となったといえる。一生の間に《論理学体系》(1843),《経済学原理》(1848),《自由論》(1854年に書かれ59年出版),《功利主義論》(1861年に雑誌に発表,63年単行本),《女性の隷従》(1869),遺稿の《社会主義論》(1879)その他多くを著したが,それらはすべて自分の見聞に照らして,より正確に真理を究め世に問おうとする誠実な努力の結果であった。彼ほど世俗の利害や党派的な感情に惑わされない人物はまれであったといえよう。…

※「経済学原理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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