翻訳|trickster
策略や詐術(さじゆつ)を駆使して活躍する〈いたずら者〉がヒーローとして登場する神話や民話は世界各地にみられる。そのような登場人物をトリックスターという。トリックスターは,策略を用いる狡猾さ・賢さを賞賛される一方,欲望を制御できずに失敗する愚かさ・滑稽さを笑われる者であり,また人間に火や文明をもたらす文化英雄的な神であると同時に,単なるいたずら好きの反社会的な破壊者でもある。そこでは,善なる文化英雄と悪しき破壊者,あるいは賢者と愚者という,法や秩序からみれば一貫性を欠いた矛盾する役割が,一主人公の属性として語られる。
トリックスター神話は,19世紀後半から20世紀にかけて,北アメリカのインディアン諸社会の説話群が紹介されて以来,研究者の注目するところとなり,またアフリカ諸社会にも同様の説話群が広くみられることが報告されている。北アメリカのインディアン諸族のトリックスター説話は,コヨーテ,大ガラス,野ウサギや,マナボジョなどの名の文化英雄=トリックスターがそれぞれ主人公として活躍する,共通の型を含む多くの説話群をなしている。その典型的なものは,トリックスターが,妖怪や老婆や神の隠していた火や食物を策略を用いて盗み,人間社会にもたらす話,死んだとみせかけ他の者に化けて自分の娘と性交する話,巨大なペニスを伸ばし川の対岸の女と性交するが,魚にペニスをかみ切られて正常の大きさに縮んだという話,仲よく共同生活をしている2人の盲人を策略によってけんかさせ,そのすきに食物を全部食べてしまう話,目玉を外すなどの特殊な術を得るが,一定の回数以上の施術をしてはならぬという制限を無視して失敗する話,などである。
アフリカ各地にも同じ型の話が多くあり,そこではクモ,カメ,野ウサギやヨルバ族のエシュのような神がトリックスターとして活躍する。たとえばヨルバ族のエシュの典型的な話は次のようなものである。友情の手本といわれていた2人の隣人同士を争わそうと,エシュは角度によって異なる色に見える帽子をかぶり,いつも口にくわえているパイプを首の後ろに取り付け,体の前に持つ杖を背にかけて,その2人の畑の境界の道を通り2人に拶挨をした。後で2人はエシュの帽子の色と歩いていた向きについて相手の言うことがまったく違うので口論のあげくナイフをもってけんかとなった。エシュからその原因を聞いた王は,エシュを捕らえさせようとするが,エシュは逃げながら町に火を放ち,人々が家財をあわてて持ち出そうとしているときにこっそり町に戻り,持出しを手伝うふりをして荷物の置場をまぜこぜにする。火が消えた後,他人の荷物置場に自分の荷物があるのを見て人々は互いに火事場どろぼう呼ばわりをし,町中が大乱闘になる。このような話にみられるように,エシュは,親しい友人同士を離反させ争わせる,秩序の擾乱者であるが,しかし同時に,占いや供犠の知識をもたらし,神々と人間の間のコミュニケーションを可能にした神でもある。エシュのようなトリックスター神は,秩序に非一貫的な偶然性を導入し,親しい隣人関係などの日常的なコミュニケーションによる秩序が脆弱で不完全な基盤の上にあることをあらわにする一方,より上位のコミュニケーションによる秩序の可能性を示すといえよう。
初期の研究者たちは,善なる文化英雄的神にして悪なる破壊者というトリックスターの両義的性格について,無道徳的・衝動的なトリックスターから道徳的・恩寵的な文化英雄の分化していく過渡的段階(F. ボアズ)とか,最古の絶対者であった百獣の王コヨーテの堕落した姿(R. ペッタツォーニ)といった歴史的解釈をした。またP.ラディンや心理学者のユングは,トリックスターの両義性を意識の始原的な未分化状態の反映と解釈している。レビ・ストロースは,トリックスターの両義性は,通常において媒介不可能な二元的対立を神話において媒介する媒介者の役割をトリックスターが担っていることからくるという構造論的解釈をしている。このようにアメリカ大陸やアフリカのトリックスター説話の研究が高まるにつれて,ギリシア神話のプロメテウスやヘルメス,北欧神話のロキや日本神話の素戔嗚(すさのお)尊などをトリックスターとみる解釈も生まれてきた。20世紀になってトリックスターがこのように学問的関心を集めているのは,近代社会での一貫した秩序の追求が,その挫折を通してむしろ秩序の多様性を顕在化させ,西欧近代の排除してきたその非一貫性や偶然性は,決して秩序と相容れないものではないという認識が,広い分野において生まれてきたことと無関係ではないだろう。
→道化
執筆者:小田 亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界各地の神話や民話に登場するいたずら者。道化の神話的形象といえるが、これはたとえば、西アフリカにおけるいたずら者の神や、アフリカ全土で語られる野兎(のうさぎ)や蜘蛛(くも)、亀(かめ)といった動物であったりする。北米インディアンの神話においても、コヨーテやワタリガラスなどの動物になったり、人間の姿をとったりしている。彼らには共通して、機知、機転、狡猾(こうかつ)さ、気まぐれ、悪ふざけなどの性格がみられる。また、この世に混乱と破壊を引き起こすと同時に、しばしば混乱のなかから未知の文化要素を生み出し、破壊のあとにふたたび新しい秩序をもたらすという文化英雄的役割も果たしている。
こうした特徴は、ギリシア神話の商売と競技の守護神で、霊魂を冥界(めいかい)に案内するヘルメスや、日本神話の素戔嗚尊(すさのおのみこと)などにも認められる。トリックスターは、神と人間、天と地、秩序と混沌(こんとん)、自然と文化の間を行き来し、その境界で活躍する両義的存在となっている。心理学者のユングはトリックスターを「未分化な人間の意識の模写」と考えたが、フランスの人類学者レビ(レヴィ)・ストロースは「人間が世界を把握するために用いる基本的カテゴリーの対立を仲介し、世界についての統一的認識を与えるもの」と説明している。
[加藤 泰]
『山口昌男著『道化の民俗学』(1975・新潮社)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…西洋などのキリスト教国では4月1日を〈万愚節(エープリル・フールApril Fools’Day)〉といって,罪のないうその許される日とされ,日本でもこの風は行われているが,逆に他の日はうそは許されないのであり,告解とか懺悔という形で個人的に償わねばならないのが特徴である。【飯島 吉晴】
[神話におけるうそ]
アフリカの神話にはノウサギが主人公であるトリックスター(いたずら者)の話が多い。アメリカ・インディアンの間ではコヨーテがもっとも有名であるが,いずれも動物が主役である。…
…foolの語源はラテン語のフォリスfollis(〈ふいご〉の意)で,道化の無内容な言葉を〈風〉にたとえたと思われる。他にも類語は多く,貴族・富豪の饗宴に伴食したバフーンbuffoon(これも〈風〉を意味するイタリア語buffaに由来する),宮廷お抱えのジェスターjester,タロット(のちのトランプ)のジョーカーjoker,神話・伝説や儀礼に登場するいたずら者のトリックスター,そしてコメディア・デラルテからサーカスを経てミュージック・ホールや無声映画にいたる民衆的芸能に欠かせぬクラウンなどがある。 これらを整然と区別し定義するのは不可能だが,後述する〈儀礼の道化〉が典型的に示している,固定的な秩序へのおどけた批判者,思考の枠組みの解体者という役割は,あらゆる分野の道化に共通して見られる。…
…彼は,神に反抗し,神を欺いて人類のもとに火や穀物をもたらした。プロメテウスはまた,性格や行動などにおいて善悪二面性を持つ存在であり,トリックスターの様相を示している。プロメテウスに限らず,文化英雄はしばしばトリックスターと重なり合う。…
※「トリックスター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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