ヨルバ族 (ヨルバぞく)
Yoruba
西アフリカのナイジェリアからベニン人民共和国,トーゴにかけての地域に住む民族。総人口1500万(1973)で,その9割以上はナイジェリア南西部に居住している。言語(ヨルバ語)はニジェール・コルドファン語族のクワ語群に属する。ヤムイモ,キャッサバ,トウモロコシなどを主作物とする農耕民であるが,伝統的に大規模な都市的集落を形成し,独自の政治組織を発達させてきた(1931年の統計では人口2000以上の集落に全人口の80%が集中し,人口2万以上の都市の居住者も35%に達した)。
ヨルバは,イフェ王国,オヨ王国,イジェシャIjesha王国,イジェブIjebu王国,オンドOndo王国,エキティEkiti王国,エグバEgba王国など,13,14世紀に成立したとみられる,10余りの独立的な王国を形成してきた。各王国は政治的・宗教的権威としての王をいただくが,政治組織の構成はそれぞれに異なる。大規模な宮廷組織や首長の評議会,秘密結社,年齢集団,称号制度など,アフリカの王国にみられる諸制度のほとんどが,ヨルバの王国に見いだされる。伝承によれば,それらの王国はすべて一人の神話的始祖に発するとされ,王権発祥の地であると同時に世界創造の中心でもあると伝えられる古都イフェIfeが,全ヨルバの聖地となっている。
王権と密接なかかわりをもつ伝統宗教は,複雑かつ多彩な神話伝承や祭儀を伴う多神教であり,ヨルバ文化の水準の高さと豊かさを示している。音楽や舞踏,彫刻などにもみるべきものが多い。奴隷貿易の時代には100万人単位のヨルバが大西洋を越えたが,彼らが伝えたヨルバ音楽は北アメリカの黒人音楽やカリプソの源流となり,ブラジルや西インド諸島では今日でもヨルバの伝統的な神々が礼拝されている。《やし酒飲み》(1952)で知られる作家チュチュオーラAmos Tutuola(1920-97)やナイジェリア出身でアフリカ現代音楽の旗手サニー・アデ(1946- )は,このようなヨルバの伝統を現代によみがえらせるものといえよう。
執筆者:渡部 重行
美術
ヨルバ族は芸術的才能に秀でた部族として知られ,とりわけ13世紀ごろのイフェの宮廷ですぐれた美術品が作られた。それらは青銅・石・テラコッタ製の人頭や人像で,その多くは肖像である。骨格,筋肉,皮膚などがきわめて写実的に表され,20世紀初めに発見されたとき,古代ギリシア製あるいはルネサンス期のヨーロッパ製などといわれた。近代におけるヨルバ族の美術品は木製の仮面,祖先像,各種の祭儀用品などで,人物の顔は,目が非常に大きく,あごが小さいのが特徴である。
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ヨルバ族
ヨルバぞく
Yoruba
ナイジェリア南西部およびベナン東部,トーゴ北部に散在する民族。人口は 2400万人をこえると推定される。言語はニジェール=コンゴ語派のクワ諸語に属する。かつては,イフェ,オヨ,イバダンなどの首長国が,連邦的な政治組織を形成していたが,文化英雄オドゥドゥワの降臨地である宗教都市イフェの王を盟主とするゆるやかな宗教的紐帯にすぎなかった。のちにオヨが軍事的に台頭し,権威が二元化した。各分国の王の権力は議会にきびしく抑制され,また重要な政治機構である秘密結社の影響力も大きかった。相続,継承は父系をたどる。いくつかの父系リニージが共住して郷をつくり,郷は,ヨーロッパとの接触以前から著しく都市化していたこの社会の,地方行政単位となった。生業は,ヤムいも,とうもろこし,きび,シコクビエ,カカオなどの栽培である。女性は地方交易に従事し,農業と広域交易は男性が行い,ヨルバ商人は西アフリカ全域で有名。至高神と数百の下位神格を信仰する宗教は,奴隷とされた人々によって南アメリカに伝えられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のヨルバ族の言及
【アフリカ】より
…しかし,その仕方は,各部族の生活様式や風土的条件のちがいによって異なる。たとえば,西アフリカの森林地帯に住むバウレBaule族や[ヨルバ族]の自然主義的な優雅な人物像に対して,北方のサバンナ地帯に住む[バンバラ族],ドゴン族,ボゾBozo族はきびしい抽象性をたたえた仮面や人物像をつくる。しかし,様式の差をこえて,ひとつの共通した造形思考が,アフリカ彫刻全体を貫いている。…
【アベオクタ】より
…ナイジェリア西部に19世紀から20世紀にかけて存在した都市国家。19世紀初頭より,混乱状態の[オヨ王国]を逃れたヨルバ族が避難する地となり,彼らはここに共和制的な政府をつくった。そしてフルベ(フラニ)族やハウサ族が北から圧力をかけた時,それに抵抗する後ろだてとなって,次第に南ヨルバランドに勢力を伸ばした。…
【市】より
…特に[ダホメー王国]では,奴隷貿易の輸出にかかわって港が栄え,交換レートや関税を伴った流通機構が注目された。ナイジェリアのヨルバ族の市は,場所と周期によって5類型に分けられる。(1)まちの常設市,(2)まちの夕市,(3)いなかの夜市(定期的),(4)いなかの昼市(おもに肉),(5)いなかの市(数日ごとに定期的)というものであり,市の周期は8日ないしは4日である。…
【イバダン】より
…人口136万5000(1995)で,西アフリカ屈指の大都市。イバダン周辺は元来[ヨルバ族]の居住地域で,18世紀末から,戦乱を逃れた彼らの一部が集落をつくり農業を営んでいた。19世紀初頭,やはりヨルバ族の一部がつくっていた[オヨ王国]の国内が,[フルベ(フラニ)族]の勢力浸透によって混乱に陥ると,多くの人々がイバダンに避難した。…
【イフェ王国】より
…ナイジェリア連邦西部,イフェを都とする[ヨルバ族]最初の王国で,11世紀初頭までにはつくられていた。ヨルバの伝承によれば,人類発祥の地はイフェIfeであり,そこに天の神オロルンが降臨させたオドゥドゥワが王国をつくった。…
【仮装】より
… このような点は未開社会ではひじょうにはっきりとしている。アフリカでは[祖先崇拝]が発達しているが,ドゴン族(マリ),ジュクン族,ヨルバ族(いずれもナイジェリア)では仮装を伴った祖霊の祭りが行われる。ドゴン族では,60年に1度,現世の創始者となった祖霊を祭る大行事(シギの祭)が行われ,このとき長い仮面をつけ仮装した人間がその祖霊として登場する。…
【建築儀礼】より
… アフリカのマラウィ湖西方のマラビ族は,住居を移すとき,一本の木の下に穀粉を置き,1日たってそれが乱されていれば,精霊が移転を認可したしるしとする。西アフリカのヨルバ族は,新築の家での最初の夜,悪霊の魔力をやぶるため,奴隷を2人寝かせ,戸口に蹄鉄状の鉄をとりつけ,悪霊が新たに入らないようにした。ジャワのウォノソボ地方では,新家屋の建築に際し棟木に赤い布を結んで悪霊よけとし,ときにはこの赤布に一茎の稲を結びつけることもある。…
【口承文芸】より
…しかしこれらは,アフリカ人からみれば他者が行った分類の試みなのであり,アフリカの各部族が自分たちの方法で行ってきたものとは異なっている。たとえば,口承伝承を8種類に分類する部族の例をみると,ナイジェリアの[ヨルバ族]は(1)神話,(2)伝説,(3)物語,(4)なぞなぞ,(5)ことわざ,(6)歌,(7)呪文,(8)占い行事での対句となり,ケニアのマラクウェットMarakwet族では(1)物語,(2)鬼物語,(3)寓話,(4)なぞなぞ,(5)ことわざ,(6)割礼(かつれい)とその他の儀礼の歌,(7)子供の歌と遊び,(8)男が歌う歌,となり,ウガンダの[ガンダ族]では(1)物語,(2)歌を伴う物語,(3)ことわざ,(4)なぞなぞ,(5)歴史,(6)伝説と神話,(7)表現技法重視の暗誦,(8)歌,というぐあいに分類する。なお,実際にはある形式,たとえばある種の詩が存在するにもかかわらず,それらを指す特別な総称をもたない例も見いだされる。…
【ナイジェリア】より
…12月半ばから2月半ばにかけてサハラ砂漠から吹く乾燥した熱風ハルマッタンの影響は,とくに北部に強くみられる。【端 信行】
[住民,社会]
1億を超える人口をもつ大国であるが,西部の[ヨルバ族],東部の[イボ族],北部の[ハウサ族]および[フルベ族](フラニ族)の大きな部族が勢力を分けあっている。これらの部族は人口も500万から1000万以上を数え,もはや部族ということばはあてはまらない。…
【ベニン王国】より
…西アフリカ,現在のナイジェリアの西部州にある[ベニン・シティ]に13~18世紀ころに存在した王国。ベニン・シティより西にいくつかの国家をもっていたヨルバ族の一部が,13世紀ころにはこの王国の原型をつくっており,15世紀までにはこの都市を中心にニジェール川の西方に広がるデルタ地帯にかなり大きな国家をつくっていた。したがってベニン王国はヨルバ文化の影響下にある。…
※「ヨルバ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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