日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルベツコーイ」の意味・わかりやすい解説
トルベツコーイ(Sergey Petrovich Trubetskoy)
とるべつこーい
Сергей Петрович Трубецкой/Sergey Petrovich Trubetskoy
(1790―1860)
帝政ロシアの貴族、軍人、デカブリスト運動の参加者。1812年の対ナポレオン戦争とそれに続く国外遠征に参加。帰国後、ロシアの政治的改革を目ざす秘密結社「救済同盟」(1816)と「安寧同盟」(1818)の結成に加わり、北方結社の指導者の一人として、立憲君主制の導入と農奴制の廃止を主張した。1825年12月のデカブリストの反乱そのものには、時期尚早とみなして参加しなかったが、反乱鎮圧後は首謀者の一人として死刑の判決を受けた。のち徒刑に減刑されてザバイカル地方に送られた。1856年に大赦。『覚え書き』を残した。
[長與 進]
トルベツコーイ(Sergey Nikolaevich Trubetskoy)
とるべつこーい
Сергей Николаевич Трубецкой/Sergey Nikolaevich Trubetskoy
(1862―1905)
ロシアの宗教哲学者。ウラジーミル・ソロビヨフの後継者。モスクワ大学卒業、1900年に同大学哲学教授。ソロビヨフの「全一哲学」を発展させて、合理主義、神秘主義、経験論を統一しようとして、「具体的観念論」とよばれる学説を提唱した。著作には『古代ギリシアの形而上学(けいじじょうがく)』(1890)、『歴史におけるロゴス論』(1900)などがある。雑誌『哲学と心理学の諸問題』の編集者の一人。政治的にはリベラル派に属し、立憲君主制の支持者であった。
[長與 進]