翻訳|empiricism
認識や知識の根源を経験に求める哲学的立場、傾向をいう。したがって、プラトンのイデアのような超越的存在、本有観念やカントの直観・悟性の先天的な能力等よりも、感覚や内省を通じて与えられる具体的な事実を重視し、前者も後者によって説明されるとする考え方である。歴史と立場から次のような類型が考えられる。
(1)古代・中世 古代ギリシアのソフィスト、原子論者、小ソクラテス派のなかのキニコス派やキレネ派、エピクロス派などはその先駆で、プラトン、アリストテレスの理性主義、超越主義の傾向と対立した。ただし、アリストテレスには、プラトンよりもはるかに経験論の性格が強くみられ、また、前述の諸経験論も形而上(けいじじょう)学的な感覚論に近い立場といえる。プラトン、なかんずくアリストテレスの影響を強く受けた中世正統派は、その神学的背景からいっても超越主義、理性主義の傾向を強く示すが、アリストテレスの経験主義の一面を継承したともいえる。
(2)近世初期 しかし、経験論の傾向が有力になったのは、科学の発展に伴って経験的事実が重視され、また、認識論が哲学の中心課題となった近代以降である。とくにイギリスは経験論の伝統において、大陸の理性論や後のドイツ観念論などとは対照的な性格を示す。この傾向は中世ですでに、R・ベーコン、W・オッカムらに著しく、とくに後者は経験的個物を重視し、抽象的普遍概念を不必要に増やすべきでないとする鋭利な唯名論の主張によって経験論を強力に支援した。しかし、イギリス経験論の真の起源は、観察と実験を重視し、演繹(えんえき)的推理に対して個別的経験に根ざす帰納法を提唱したF・ベーコンに求められる。
(3)イギリス古典経験論 前記のような傾向はT・ホッブズを経てJ・ロックに至り、先天的な本有観念の批判、全認識の経験による説明となって明確化した。ロックによると、心は白紙または暗室であり、全知識は感覚と反省という二つの窓口を通じて外的に与えられる文字であり、光であって、いかほど複雑で崇高な知識も、経験的所与である単純観念からの複合として説明される。ロックの方向はバークリー、ヒュームへと継承されて、イギリス経験論のトリオを生んだ。彼らは、経験的個物を超えた抽象観念の批判において、概念論、さらに進んで唯名論の立場にたち、また、経験の背後に想定される実体概念に否定的態度を示し、それらを印象や観念の集合体とみなした。のみならず、とくにヒュームは、超越的で理性主義の立場からは絶対確実とみなされていた因果関係の必然性を、継起し接近して恒常的に結合される2対象の経験に根ざす習慣と心の決定に求めた。これがカントを「独断のまどろみ」から覚醒(かくせい)させたことは著名だが、一面では懐疑的結末を示すに至った。ヒューム以降、経験論の系譜は功利主義者のJ・S・ミルらに継承される。
(4)経験論の問題点 しかし、以上の古典経験論にも、経験論に固有の問題点は露呈されていた。たとえば、理性論の哲学が認める先天的な契機は、経験論がそれを経験からの発生・構成として説明しようとするとき、実はその説明のなかに問題の契機が暗黙のうちに先取りされ、循環を形成するという形で、経験論の「躓(つまず)きの石」であった。一例として、複数の個物の間に類似を認めて、抽象概念を経験的に形成するというとき、「類似」とはすでに個物よりタイプの高い関係としての抽象概念と考えざるをえない。同様の事情は、経験論が批判的にみた実体、因果等の伝統的な概念の多くに指摘できる。
(5)現代経験論 経験論の傾向は、それが伝統的であるはずのイギリスにおいてさえ、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヘーゲル的観念論にとってかわられ、下火になるという倒錯した現象がみられた。だが、ヘーゲル哲学を頂点とするドイツ観念論の崩壊とともに、反動としての唯物論や実証主義の動きと結んで、経験論はヨーロッパに広がり、イギリスでも20世紀初頭以降、ラッセルその他の新しい動きとともに復活した。ケンブリッジ学派、論理実証主義、日常言語学派、プラグマティズムなどはその代表であり、これらの現代経験論は、前述の経験論の難点への対処に腐心したといえる。たとえば、論理実証主義は、一方で、経験命題は直接所与に関する報告にすべて還元され検証されると考え、他方、伝統的に先天的認識と考えられてきた論理や数学などの必然性は、前記の経験的所与を説明する理論での言語・記号の用法の取決めに関する約定的拘束力にあると考えた。しかし、この種の思考はかえって古典経験論の欠陥を継承するとみて、新しいプラグマティズムはこの二元論を批判している。すなわち、いわゆる先天的な契機も経験の説明に有効である限り妥当な概念組織で、究極的には修正・改良・廃棄の可能性が考えられる以上、広義の経験に根ざすとみなし、経験論の深化を図っている。
[杖下隆英]
人間の知識,認識の起源を経験とみなす哲学上の立場。合理論ないし理性主義に対立するが,この対立の代表は17~18世紀の西洋の大陸合理論対イギリス経験論である。W.ジェームズはこの対立を,諸原理によって進む硬い心の人と諸事実によって進む軟らかい心の人との気質の対立として説明した。経験論という邦訳語は《哲学字彙》(1881)以来定着している。人間は生存のために行為するが,生存に役立つ事物は効果がなければならず,この効果はまず感覚に訴えて験(ため)される。一般に験し・試みを経ること,積むことが経験(experience(英語),Empirie(ドイツ語),Erfahrung(ドイツ語))である。西洋古代以来,験し・試み(ペイラpeira(ギリシア語))の中にあること(エンペイリアempeiria(ギリシア語)),験し・試みに基づいていること(エクスペリエンティアexperientia(ラテン語))が,技術知(テクネーtechnē(ギリシア語))や理論知(エピステーメーepistēmē(ギリシア語))の地盤とされている。この場合,経験は経験知としてすでに知識の一端に組みこまれている。それは試行錯誤を介して人間の獲得した知の一種である。この試行錯誤でも感覚に訴えることが基であり,ここから経験を感覚ないし感性の対象界に限定する感覚論,感性的現象界に制限する現象論,感覚ないし感性によって事物の措定(そてい)や定立を確証する実証主義が経験論の主流として成立する。19世紀末以来のプラグマティズム,20世紀前半以来の論理実証主義は現代の経験論に数えてよい。前者の代表者の一人W.ジェームズは直接に経験されるものおよびその関係を純粋経験とし,純粋経験はその外部の別の経験との関連であるいは物的存在あるいは心的存在と呼ばれると見,感性的経験論を根本的経験論へと徹底させ,初期の西田幾多郎に影響を与えた。論理実証主義は従来の知覚ないし感性による実証では位置があいまいとなる形式科学を分析的な知として認め,経験の範囲を広めはしたが,哲学や倫理学を位置づけうる経験の範囲には至りえず,物理学を模範とする科学的経験の分析にとどまった。経験論は科学的経験をも含む人間的な経験の理論,歴史的・社会的経験の理論への展開が必要である。
→イギリス経験論
執筆者:茅野 良男
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抽象的・一般的な原理ではなく,個別的・具体的な経験的事実を認識の基礎に置こうとする思考態度。その萌芽は古代ギリシア哲学にみられ,中世の普遍論争における唯名論も実在する個物を論の基礎に置いたが,歴史上特に,大陸合理論に対するイギリス経験論をさして使われる概念。それはベーコン(フランシス)に始まり,17世紀のホッブズ,ロックをへて18世紀のバークリー,ヒュームで絶頂に達する。
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…したがってとくにフランスでは感覚論をあらわすには,sensualismeではなく,正しい語源に由来するsensationnismeという語を使うべきである,とする意見も少なくない。 感覚論には,その前段階として,ロックの経験論がある。ロックにおいては,生具観念が否定され,人間の精神は本来,白紙(タブラ・ラサ)であるとされる。…
※「経験論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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