出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ゴータ綱領
ごーたこうりょう
Gothaer Programm ドイツ語
1875年5月、ドイツ中部ゴータGothaで全ドイツ労働者協会(ラッサール派)と社会民主労働者党(アイゼナハ派)との合同大会が開かれ、ドイツ社会主義労働者党(のちにドイツ社会民主党と改称)が結成された際、採択された綱領。前文で、あらゆる合法的な手段を用いて自由な国家と社会主義社会のために努力することをうたっていたが、同時に、マルサスの思想を前提とする「賃金鉄則」の廃棄や、国家補助による生産協同組合の設立などが掲げられていたため、マルクスは草案の段階からこれをラッサール派への譲歩として厳しく批判した。メーリングによれば、マルクスの批判は、草案が両派の理論的見解を忠実に反映していることを誤認した結果であるとされたが、その後、労働運動が発展するに伴い、同綱領は91年、エルフルト綱領にかえられた。
[松 俊夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ゴータ綱領(ゴータこうりょう)
Gothaer Programm
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ゴータ綱領
ゴータこうりょう
Gothaer Programm
1875年にドイツ社会民主労働党 (アイゼナハ派) と全ドイツ労働者協会 (ラサール派) とがドイツ中部のゴータにおいて発表した綱領。この起草にあたっては,両派の主張が平等に採用された。すなわち政治的主張においてはアイゼナハ派の考えをとり,社会的経済的要求においてはラサール派の見解を採用した。だが全般的にみると,ラサール主義のほうが強くにじみ出ていた。このため F.エンゲルスは『ゴータ綱領批判』においてきびしく批判した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ゴータ綱領
ゴータこうりょう
Gothaer Programm
1875年,ドイツ社会主義者のラサール派とアイゼナハ派がゴータ市でドイツ社会主義労働者党を結成したときの綱領
国家主義的社会運動を考えるラサール派とマルクス主義を奉ずるアイゼナハ派が合体したため,綱領にもラサール派の主張が妥協的に採用され,マルクスらの批判にあった。ドイツ社会民主党と改称するにあたり,1891年にはエルフルト綱領が採用された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のゴータ綱領の言及
【ドイツ社会民主党】より
…これは,ドイツに労働者を構成要素とした単一社会主義政党が誕生したことを意味する。その思想が折衷主義だったことは,新しい綱領([ゴータ綱領])にマルクスが厳しい批判をもっていたことからも知れよう。
[1875‐1917年]
同党は1877年の帝国議会選挙で得票率9%強の勢いを示した。…
※「ゴータ綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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