改訂新版 世界大百科事典 「ドルニベストニツェ」の意味・わかりやすい解説
ドルニ・ベストニツェ
Dolní Věstonice
チェコ,モラビア地方の後期旧石器時代の遺跡。第2次大戦後,まずK.アブソロンによって発掘が始められ,1950年にB.クリマが,5基の炉址をもつ,5m×9mの住居址を黄土層中に検出した。近くの沼跡には100頭ほどのマンモスの骨が重なって捨てられてあり,肉の貯蔵所かと思われる。またその住居址の縁部には,40歳くらいの女性の埋葬が認められた。横臥屈葬で赤色顔料がかけられ,2枚のマンモスの肩甲骨で覆ってあった。翌年別の住居址がやや離れて検出された。中央に1基の炉址をもち,約6mの径を測り,石壁の囲いがあった。わずかな傾斜地の高所を掘りこんだ土を低い所に埋め,平らな床面をつくっている。斜面の低い側に2本の主柱をたて,反対側は直接地表に屋根を固定したようである。しかし,この第Ⅱ住居址を有名にしたのは,炉址に残されていた,焼かれた土製の多くの小像である。マンモス,サイ,ライオンなどの動物像のほか,〈ビーナス〉もある。さらに,マンモスの牙を材とした彫刻があり,ペンダントなどが作られている。ホッキョクギツネの歯や,陸産貝の首飾も認められる。パブロフ文化(東方系グラベット文化)に属するこの遺跡には,前2万4000年頃という炭素14法による年代が得られている。近くのプジェドモスチ,パブロフ,オーストリアのビレンドルフ,ウクライナのコスチョンキ(コスチョンキ遺跡群),ガガリノ等の諸遺跡と同系統の文化にまとめられる。
執筆者:山中 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報