ドロイゼン(読み)どろいぜん(英語表記)Johann Gustav Droysen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドロイゼン」の意味・わかりやすい解説

ドロイゼン
どろいぜん
Johann Gustav Droysen
(1808―1884)

ドイツの歴史家、政治家。ポンメルンポメラニア)の小都市トレープトーに生まれる。啓蒙(けいもう)神学、新人文主義の教養理想およびプロイセン改革から強い精神的影響を受けた。ベルリン大学に入ってから古典文献学の研究に方向を転じ、『アレクサンドロス大王史』(1833)と『ヘレニズムの歴史』(1836、43)においてヘレニズムの研究に新紀元を画した。キール大学教授(1840)になってから研究の重点を古代から近代へ移す一方、政治的関心が強まり、「一八四八年の革命」の際フランクフルト国民議会の議員となり、小ドイツ派すなわちプロイセンをドイツ統一の指導者とする考えを代表した。『プロイセン政治史』(1855~86)はそうした政治的熱情産物にほかならない。イエナ大学(1851)を経てベルリン大学に転じ、『歴史のエンチクロペディーと方法論』を講じた。ドロイゼンのヘレニズム史やプロイセン史は今日色あせたのに反して、歴史学方法論は現代にまで大きな影響力をもち続けている。

[西村貞二]

『岸田達也著『ドイツ史学思想史研究』(1976・ミネルヴァ書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドロイゼン」の意味・わかりやすい解説

ドロイゼン
Droysen, Johann Gustav

[生]1808.7.6. ポンメルン,トレブトウ
[没]1884.6.19. ベルリン
ドイツの歴史家。 1835年ベルリン大学客員教授,40年キール大学教授,シュレースウィッヒ=ホルシュタイン国民運動に参加し,48年フランクフルト国民議会議員となった。 51年イェナ大学,59年ベルリン大学の教授となり,いわゆるプロシア学派の中心人物としてプロシア史の研究に専念。『プロシア政治史』 Geschichte der preussischen Politik (14巻,1855~86) の執筆中に死去し,その記述は 1756年にとどまっている。その他の著作に『ヘレニズム史』 Geschichte des Hellenismus (2巻,36~43) のほか,今日も価値を失わぬ『史学概論』 Historik (58) がある。

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