ドイツの歴史家、政治家。ポンメルン(ポメラニア)の小都市トレープトーに生まれる。啓蒙(けいもう)神学、新人文主義の教養理想およびプロイセン改革から強い精神的影響を受けた。ベルリン大学に入ってから古典文献学の研究に方向を転じ、『アレクサンドロス大王史』(1833)と『ヘレニズムの歴史』(1836、43)においてヘレニズムの研究に新紀元を画した。キール大学教授(1840)になってから研究の重点を古代から近代へ移す一方、政治的関心が強まり、「一八四八年の革命」の際フランクフルト国民議会の議員となり、小ドイツ派すなわちプロイセンをドイツ統一の指導者とする考えを代表した。『プロイセン政治史』(1855~86)はそうした政治的熱情の産物にほかならない。イエナ大学(1851)を経てベルリン大学に転じ、『歴史のエンチクロペディーと方法論』を講じた。ドロイゼンのヘレニズム史やプロイセン史は今日色あせたのに反して、歴史学方法論は現代にまで大きな影響力をもち続けている。
[西村貞二]
『岸田達也著『ドイツ史学思想史研究』(1976・ミネルヴァ書房)』
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1808~84
プロイセン史学を代表するドイツの歴史家。フランクフルト国民議会で小ドイツ主義を奉じたが,古代史家として「ヘレニズム」の語を創案,また『プロイセン政策史』14巻や,歴史理論の著述がある。
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…一つは19世紀イギリスの詩人・文明批評家M.アーノルドが《教養と無秩序》において,ヨーロッパ文化の根底を成した精神的伝統の一つとして,ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教思想の源泉)と対置させた場合のヘレニズムで,以来広く〈ギリシア文化一般の本質にかかわる精神的基盤〉の意味に用いられる。いま一つは同じく19世紀ドイツの歴史家J.G.ドロイゼンが《ヘレニズム史》において創唱した歴史学上の時代概念としての〈ヘレニズム〉で,従来ギリシア史の長い衰亡期,ギリシア文化の質的劣悪化の時期,ローマ帝国成立までのつなぎの時代とみられてきたアレクサンドロス大王以後約300年の時代と文化は,彼以後ヘレニズム(ギリシア風文化)の名によってその固有の世界史的位置づけが確立した。ここでは後者の意味での〈ヘレニズム〉について述べる。…
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