日本大百科全書(ニッポニカ) 「野尻湖底遺跡」の意味・わかりやすい解説
野尻湖底遺跡
のじりこていいせき
長野県上水内(かみみのち)郡信濃(しなの)町立(たて)ヶ鼻(はな)にある旧石器時代後期の遺跡。1962年(昭和37)以来、野尻湖発掘調査団による計画的な大衆発掘が行われ、成果を収めた。日本の旧石器時代遺跡は普通、石器のみを出土し動植物化石を欠くが、ここでは水面下に包含層があるため、陸上では風化して残りにくい骨器、木器の遺物や動物化石、木材、種子、花粉などが残存。ナウマンゾウ、オオツノシカなどの大形獣を素材とした掻器(そうき)、ナイフ、尖頭器(せんとうき)をはじめとして、大形獣を追い込んで殺傷し解体処理をした場所(キル・サイト)もあった。二つに割られたナウマンゾウの頭骨、ばらばらになった骨格のそばには木槍(きやり)とおぼしきものさえあり、台石と思われる大形礫(れき)を発見した。この湖底調査は、周辺の遺跡との関連性をたどり、住居と猟場との関係を追究する方向に進んでいる。考古学と自然科学とを総合した団体研究は、いままでの発掘にはみられない大きな特徴である。
[麻生 優]
『野尻湖発掘調査団著『野尻湖の発掘』(1975・共立出版)』▽『信濃毎日新聞社編・刊『野尻湖人を追って――第九次野尻湖発掘の全容』(1984)』