ニコラウス(読み)にこらうす(その他表記)Nicolaus Ⅴ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニコラウス」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス(5世)
にこらうす
Nicolaus Ⅴ
(1397―1455)

バーゼル公会議において選出されたローマ教皇(在位1447~1455)。俗名トンマゾ・パレントゥチェリTommaso Parentucelliというルネサンス期の人文主義者で、教会分裂のさなか、サン・ピエトロ大聖堂とローマ市の美化・再建へ努力した。またバチカン図書館の基礎となったギリシア、ラテンの写本の蒐集(しゅうしゅう)および同図書館の設立など、学問や芸術の保護にあたる。こうした一連の文化事業のためルネサンス教皇の一人に数えられる。1452年教皇は神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世FriedrichⅢ(1415―1493)のために戴冠(たいかん)式を行ったが、これは教皇がローマで授けた最後の戴冠式となった。なお、同名の教皇として、ヨハネス22世の対立教皇(在位1328~1330)がいるので混同しないよう注意を要する。

[磯見辰典 2017年12月12日]

『H・テュヒレ他著、上智大学中世思想研究所編・訳『キリスト教史 第4巻』新装版(1991・講談社/改訂版・平凡社ライブラリー)』『P・G・マックスウェル・スチュアート著、高橋正男監修、月森左知・菅沼裕乃訳『ローマ教皇歴代誌』(1999・創元社)』『鈴木宣明著『ローマ教皇史』(教育社歴史新書)』


ニコラウス(1世)
にこらうす
Nicolaus Ⅰ
(?―867)

絶対的な教皇権を確立した中世初期のもっとも卓越した教皇の一人(在位858~867)。聖人。ローマ出身。キリストが教皇職を定め、最高の権能を与えたことを強調し、地上における神の代理者として聖俗両領域の諸問題についての支配権を要求した。863年コンスタンティノープルの総主教就任に干渉し、これを破門、東ローマの教会にも教皇権の優位を示した。フランク王ロタール2世Lothar Ⅱ(在位855~869)の王妃離婚および愛人との再婚を認めず、教会の婚姻権を主張して、いかなる権力者にもキリスト教徒が従うべき神法への絶対的な従順を求め、王を服従させた。

[磯見辰典 2017年12月12日]


ニコラウス(スイスの聖人)
にこらうす
Nikolaus (Niklaus) von Flüe
(1417―1487)

スイスの隠者、聖人、平和提言者。ウンターワルデン州フリューエ生まれの農夫。50歳までスイス全州会議代表など名望ある役職を歴任。若いときから信仰心が厚く、神秘主義に親しんでいたが、1467年、世俗の生活に嫌悪を感じ、妻と10人の子を残して巡礼に出る。アルザスに向かったが、途中幻視を得て引き返し、私領のランフト渓谷に引きこもって19年間厳しい禁欲生活を送った。彼は「生ける聖人」といわれるようになり、多くの巡礼者が訪れて助言や慰めを求めた。そのなかで彼は強く平和を訴え、1473年のオーストリアとの和約や1481年のスタンスの全州会議に強い影響を及ぼし、スイスの内乱の危機を回避させた。「兄弟(ブルーダー)クラウス」Bruder Klausと敬称され、ベネチア、オーストリア、ミラノからの使節も彼を訪問している。1947年、聖人に列せられた。

[中井晶夫]


ニコラウス(2世)
にこらうす
Nicolaus Ⅱ
(?―1061)

グレゴリウス改革期のローマ教皇(在位1058~61)。1045年以来フィレンツェ司教。教皇登位後は、フンベルトゥスHumbertus(?―1061)、ヒルデブラント(後のグレゴリウス7世)などとともに教会改革を推進、59年には教皇選挙令と俗人叙任禁令を公布し、教皇制の確立と聖職者の倫理的刷新に努める一方、南イタリアのノルマン勢力と封建関係を結び、教皇座の防衛を図った。しかし、その急進的指導はドイツ宮廷との対立を招いたため、後の皇帝および教皇両権間の抗争の一因となった。

[野口洋二]

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改訂新版 世界大百科事典 「ニコラウス」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス(ミュラの)
Nicolaus

3世紀後半小アジアに生まれ,リュキアのミュラMyraの司教となった聖人。生没年および生涯については不詳。11世紀に遺骸がイタリアのバーリに移されたところから,〈バーリのニコラウス〉ともいう。伝説には,貧しくて結婚できない3人の娘のために財布を投げ入れた話,荒れる海を鎮めて船乗りを救った話,誘拐されて桶に漬けられてあった子どもを蘇生させた話などの善行,奇跡が多い。祝日は12月6日で,古くは,その前夜に子どもたちに贈物を届けるとされていた。これがオランダを介してアメリカに伝わり,サンタ・クロースの伝説となった。船乗り,婦人,子ども,ロシアなどの守護聖人。美術作品では,東方では白い髭,西方では冠をつけた司教の姿をとり,伝説にちなんだ三つの財布(あるいは金の球),錨,船,3人の子どもの入った桶などを持物とする。
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ニコラウス(オートルクールの)
Nicolaus de Ultricuria
生没年:1300ころ-1350

フランスのスコラ神学者。フランス名Nicolas d'Autrecourt。パリ大学で哲学,神学を学んだが,1346年異端宣告を受け,バイエルンのルートウィヒ4世の宮廷に逃れたと伝えられる。認識の感覚起源説と矛盾律とを武器に,アリストテレスおよびアベロエス学派の立場を批判し,そのおもな学説は論証的確実性を有せず,蓋然的であるにすぎないと主張した。しばしば伝えられるところに反して,彼は因果律そのものを否定したのではなく,その論証可能性を否定したにすぎない。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ニコラウス」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス[5世]【ニコラウス】

ローマ教皇(在位1447年―1455年)。バーゼル公会議(1431年―1437年)以後の混乱期に対立教皇を退けて教皇権を守り,シスマを終結させた。ニコラウス・クサヌスらを重用して教会改革を進めるとともに,ルネサンス学芸を庇護奨励してサン・ピエトロ大聖堂新築を計画,バチカン図書館を再建した。

ニコラウス[1世]【ニコラウス】

ローマ教皇(在位858年―867年),聖人。東フランク王ロタール2世の離婚を認めず,またコンスタンティノープル教会に干渉して総主教フォティオスを破門(863年)するなど,教皇権の伸長と東西教会の分離に拍車をかけた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニコラウス」の意味・わかりやすい解説

ニコラウス[オートルクール]
Nicolaus de Ultracuria

[生]?
[没]1350以後
フランスのオッカム主義哲学者。フランス名は Nicolas d'Autrecourt。 1320~27年パリ大学教授,著書が 1346年に異端を宣告され,禁書処分を受けた。確実な認識の基準として直接的明証のみを認め,基本原理として矛盾律をとって,原因から結果,偶有性から実体へという推論が確実ではないと批判した。この因果性の概念の批判ゆえに中世のヒュームと呼ばれる。この理論によって神の存在は証明しえないものとなり,また自然学ではアリストテレス的質料形相説は捨てられ原子説が取り入れられた。

ニコラウス[アミアン]
Nicolaus d'Amiens

12世紀後半のスコラ哲学者,神学者。アルビ派などの異端の蔓延に対処するため,信仰を理性的に根拠づけようとして『カトリック信仰論』 Ars catholica fideiを書き,教皇クレメンス3世に献じた。この書は定義,弁別,命題の幾何学的形式に従う三段論法の証明を根幹とした神学論であり,リールのアランの試みと並び称され,かつデカルトやスピノザの論証の先駆とされる。

ニコラウス[フリューエ]
Nikolaus von der Flüe

[生]1417.3.21. オプバルデン,フリューエ
[没]1487.3.21. ランフト
スイスの隠者。クラウス修士の名で親しまれた。軍人,オプバルデン州の裁判官,参事官として活躍。 1467年「神の友会」の影響を受け,妻と合意のうえ,彼女と 10人の子を残し,ランフトの谷に 19年間隠遁者の生活をおくり,政治的助言も行い,スタンス協約 (1481) を成功に導いてスイス連邦の結束を強めた。

ニコラウス[ミラ]
Nicolaus Myrensis

4~5世紀頃の小アジア南西部リュキアのミラの司教,聖人。東西両教会で早くから民衆に親しまれてきた聖人で,英語圏ではサンタ・クロースの名で,クリスマスとの関連で登場する。しかし歴史的な事蹟は不詳。多くの伝説が語られている。祝日は 12月6日。

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367日誕生日大事典 「ニコラウス」の解説

ニコラウス(フリューエの)

生年月日:1417年3月21日?
スイスの隠者,国民聖人
1487年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のニコラウスの言及

【キリスト教】より

…これは,教会と同じく社会的地位の向上した修道院内部の腐敗を〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な順守によって清め,かつ教会に対しては司祭の結婚と聖職売買(シモニア),およびドイツ王による司教と大修道院長の叙任の禁止を要求するものであった。ニコラウス2世(在位1058‐61)は1059年のローマ会議で教皇選挙に世俗人の参加を禁止する法を立て,政治的権力から離れた〈教会の自由〉を主張した。先にクリュニーの修道士であったグレゴリウス7世は,教会法学者ペトルス・ダミアニの熱烈な支持をうけて,1076年のウォルムス会議でドイツ皇帝ハインリヒ4世を破門にした。…

【サンタ・クロース】より

…Santa Klausとも書く。4世紀に小アジアのミュラの司教であったニコラウスに由来し,聖ニコラウスを意味するオランダ語のSint KlaesまたはSinterklaasが英語でなまってサンタ・クロース(正しくはサンタ・クローズ)となった。ニコラウスの祝日(聖ニコラウスの日)は12月6日で,ヨーロッパ,とくにドイツ,スイス,オランダではその前夜は子どもが楽しみにする贈物の日である。…

※「ニコラウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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