オランダの哲学者。11月24日裕福なユダヤ人商人の子として、アムステルダムに生まれる。
[坂井昭宏 2015年11月17日]
ユダヤ教団の学校でヘブライ語と聖典を学び、カバラの神秘思想にも接したが、卒業後は医師ファン・デン・エンデンFranciscus van den Enden(1602―1674)に就いてラテン語、自然学、幾何学およびデカルト新哲学を学び、しだいに異端的な西欧思想に傾斜していった。父の死後(1654)、彼はその後を継いで商人となっていたが、1656年3月、23歳のとき、「悪い意見と行動」のゆえにユダヤ教団から破門の宣告を受け、ユダヤ人社会から追放された。その後、オランダ各地を転々として学問研究に専念。『短論文』や『知性改善論』を執筆し、『デカルトの哲学原理』(1663)を出版した。
スピノザには「レンズ磨きを生活の糧(かて)とし、余暇はひたすら思索に没頭した」という伝説がある。しかし、たとえ孤独で簡素な生活を愛したとしても、スピノザは実際には当時の社会から孤立していたのでも、また極貧にあえいでいたのでもなかった。1672年ルイ14世のオランダ侵略に際して、オランダの専制君主たろうとするオラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)と政治的に対立していた共和派の指導者ヤン・デ・ウィットは、扇動された暴徒によって虐殺された。このときスピノザはデ・ウィットの横死を激しく嘆き悲しんだという。『神学政治論』(1670)が匿名で刊行されたのは、このような社会的背景においてである。この著作は神学者の不寛容に対して思想の自由を擁護し、この目的のために政治的権力の宗教的権威からの独立を要求したが、たとえば「モーセ五書」がモーセ自身の手になることを否定し、後世の編集によると主張したために、涜神(とくしん)の書として神学者たちの厳しい非難を浴びた。そのため、15年の歳月を費やして完成された主著『エチカ』(1675年成立)を、生前に刊行することが不可能になったばかりでなく、スピノザ哲学そのものが死後100年もの間、「死せる犬」のように葬り去られることになった。
スピノザは1673年、ハイデルベルク大学の哲学教授として招聘(しょうへい)されたが、教育と研究とは両立しがたいという理由により、また、彼自身の哲学する自由が制限されるのを危惧(きぐ)してこれを固辞し、『国家論』(1675)を最後の著作として、1677年2月20日ハーグで没した。44歳であった。
[坂井昭宏 2015年11月17日]
ノバーリスがスピノザを「神に酔える人」と評したことは有名であるが、彼が死後に至るまで唯物論者、無神論者として恐れられたのは、彼の神がキリスト教的な人格神ではなく、「神すなわち自然」Deus sive natura(ラテン語)と考えたからである。万物は精神も物体も含めてすべて神の現れ、唯一の無限実体の諸様態であり、いっさいは神の内的必然によって生起するから、人間の自由意志も偶然もまったく存在しない。スピノザはこのような宿命論にたって、人間の真の最高の幸福を探究しようとするのである。
スピノザによれば、個物の現実的本質は「自己保存の努力」conatus se conservandi(ラテン語)にあり、欲望とは人間の自己保存の努力そのものにほかならないが、この欲望が不完全な感覚的認識によって決定される限り、人間は外的対象の支配下にあり、感情への隷属状態を脱することができない。しかし、感情にはこのような受動感情のほかに、精神自体の知的活動に伴う能動感情があり、自己自身の理性的認識によって欲望を決定するとき、人間は自由である。自由とは、スピノザによれば、自己の本性の必然性によってのみ働くことをいうからである。ところで、人間理性の最高の働きとは、事物の究極的原因としての神との必然的関係において、つまり「永遠の相の下に」sub specie aeternitatis(ラテン語)個物を直観することであり、これに伴う自足感こそが「神に対する知的愛」なのである。ここに道徳の最高の理想がある。というのは、人間の神に対する愛とは、神がその様態である人間を介して自己自身を愛する「神の知的愛」amor Dei intellectualis(ラテン語)の一部であり、同時に人間が神の変容である限り、「人間に対する神の愛」にほかならないからである。
[坂井昭宏 2015年11月17日]
『畠中尚志訳『エチカ』全2冊、『神学・政治論』全2冊、『国家論』、『知性改善論』、『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』、『デカルトの哲学原理』、『スピノザ往復書簡集』(いずれも岩波文庫)』▽『桂壽一著『スピノザの哲学』(1956・東京大学出版会)』▽『清水禮子著『破門の哲学』(1978・みすず書房)』▽『工藤喜作著『人類の知的遺産35 スピノザ』(1979・講談社)』▽『ジョゼフ・モロー著、竹内良知訳『スピノザ哲学』(白水社・文庫クセジュ)』
オランダの哲学者。ヨーロッパ哲学史上最大の形而上学体系の創始者。迫害を逃れてポルトガルから移住したユダヤ人を両親として,アムステルダムに生まれた。Baruch(〈祝福された者〉というヘブライ語)に当たるラテン語でBenedictusとも呼ばれる。ユダヤ人学校でヘブライ語,聖典学を学び,さらにユダヤ神学を研究したが,正統的見解に批判的となり,ついに1656年,ユダヤ教団から破門された。ラテン語を学び,数学,自然科学,スコラ哲学およびルネサンス以後の新哲学に通暁し,とくにデカルト哲学から決定的な影響をうけた。60年からレインズビュルフに住み,《神,人間および人間の幸福に関する短論文》《知性改善論》を書き,友人たちの求めに応じて,63年《デカルトの哲学原理》を出版した。これは生前彼の名を付して公刊された唯一の書である。同年フォールブルフに移り,オランダ共和国の政治指導者J.deウィトと親交を結び,その自由主義政策を支持し,神学の干渉に対して思想の自由を擁護するために,旧約聖書の文献学的批判を行い,《神学政治論》を書いた。この書は70年に匿名で出版されたが,スピノザの書とわかり,彼は極悪の無神論者とみなされることになった。70年,ハーグに移る。73年にハイデルベルク大学の招聘をうけたが,断る。主著《エチカ》は75年には完成していたが,彼に危険思想を見る人たちの妨害で出版を断念しなければならなかった。その後は《国家論》の執筆にとりかかったが,完成しなかった。76年暮れ,ライプニッツが訪問し,彼の哲学に深い関心を寄せたが,その数ヵ月後,肺患のため没。死後まもなく,友人たちの手で《エチカ》《知性改善論》《国家論》《ヘブライ語文法綱要》と書簡選が《遺稿集》として公刊されたが,著者の頭文字が付せられただけであった。彼はレンズを磨いて生計を立て,きわめて質素な生活をしたが,その人格のまれに見る高潔さは彼を無神論者として敵視した人びとも認めざるをえなかった。
スピノザの哲学体系はもっとも根源的なものとしての実体の概念から出発する。彼は実体を自己原因としてとらえ,デカルトにはじまるアリストテレス的実体概念の革命を徹底し,無限に多くの属性から成る唯一の実体を神と呼んだ。いっさいの事物は様態すなわち神の変状であり,神はいっさいの事物の内在的原因であり,いっさいの事物は神の必然性によって決定されているとして,〈神即自然〉の汎神論的体系を展開し,思惟と延長を神の二つの属性,すなわち同一実体の本質の二つの表現と見て,心身平行論の立場をとり,デカルトの二元論をのりこえた。こうして彼は,自己の個体本質と神との必然的連関を十全に認識するとき,有限な人間は神の無限にあずかり,人間精神は完全な能動に達して自由を実現し,そこに最高善が成立すると説いた。彼の哲学はフィヒテからヘーゲルに至るドイツ観念論哲学の形成に決定的な役割をはたした。また国家と法についての彼の学説は普遍的理性の観念論と力の実在論,グロティウスとホッブズ,ルソーとマキアベリとを媒介する位置に立っている。
執筆者:竹内 良知
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1632~77
オランダの哲学者。アムステルダムのユダヤ商人の子として生まれ,『神学政治論』『倫理学』『知性改善論』などを著した。数学的合理主義による一種の汎神論を唱えて,物体と精神の二元論の統一を志した。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…すなわち,いっさいを精神に還元する唯心論,物質に還元する唯物論,精神と物質とをともにその現象形態とする第三者に還元する広義の同一哲学などは,すべて一元論に属する。西洋での代表者は一者(ト・ヘンto hen)からの多様な現象の流出を説くプロティノス,〈産む自然〉としての一なる神を実体,多様な〈産まれた自然〉をその様態と説くスピノザなどである。西田幾多郎の《善の研究》(1911)は,純粋経験の程度・量的差異による世界と人生の一元論的説明の試みと言いうる。…
…スピノザの主著(1677)。詳しくは《幾何学的秩序にしたがって論証されたエチカ》。…
…すなわち,刺激に対して感覚が,意志の発動に対して身体運動が起こるとき,刺激や意志は神が感覚や身体運動を生じさせる機会原因にすぎないと考えた。スピノザは,思惟と延長を同一の実体(神)の二つの表現にすぎないとみる一元論の立場から,心身の平行を主張した。フェヒナーはスピノザの思想を心理学の領域に移し,汎心論の立場から平行論を唱え,精神物理学を創始した。…
…ルネサンス時代には新プラトン主義の影響のもとにP.ポンポナッツィやG.ブルーノの汎神論が形成された。しかし,汎神論のもっとも完全な体系的表現はスピノザ哲学であるといわれる。近世をつうじて,汎神論はキリスト教の正統から変装した無神論として非難され,スピノザを極悪の無神論者と見る見解が支配的であった。…
…きわめて単純な方程式の計算を反復することによって,定数の変化とともに無限な多様性が出現する決定論的カオスは,従来の〈単純なものは単純なものから,複雑なものは複雑なものから〉という,西洋思想を規定してきた発想を打ち破ろうとしている。そして,例えばスピノザとライプニッツの間で戦われた〈偶然〉の本質をめぐる議論の意味にも,新たな光があてられることになるだろう。 この思想史上画期的な視点を無にしないためにも,(1)(2)の両側面の往復運動の中で,単純な法則と複雑な現象の関係について細心の注意を払いながら,複雑系研究が進められることが望まれる。…
…これらの考え方は,C.I.C.サン・ピエール,J.J.ルソー,E.deバッテルなどの集団安全保障の考えを生み,その影響で,I.カントは国際連盟の基本構想を考え出した。一方,B.deスピノザは平和の概念を拡大し,戦争のない状態にとどまらず,人間的な解放の実現した状態を平和とした。その背景には,当時〈信仰の自由〉が自由の最大の課題であったことがある。…
※「スピノザ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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