ニャットリン(英語表記)Nhat Linh

改訂新版 世界大百科事典 「ニャットリン」の意味・わかりやすい解説

ニャット・リン
Nhat Linh
生没年:1905-63

ベトナムの小説家,政治家。本名グエン・トゥオン・タムNguyen Thuong Tam。ベトナム北部のハイズオン省に生まれ,パリに留学して理化学を修めた。1932年週刊《風化》を創刊し,社会改良を主張する作家の結社〈自力文団〉を創立,自ら数多くのロマン主義小説を書いた。代表作は《断絶》。のち本名で政治活動に入り,39年民政大越党書記長となり,42年革命同盟会代表として中国に渡った。45年のベトナム民主共和国独立後,中国国民党援助で帰国,反共派の革命同盟会やベトナム国民党の幹部としてベトミン勢力に対抗した。46年ホー・チ・ミンの国民連合政府外相となったが,駐留していた中国国民党軍が中仏協定によってベトナムから撤退すると同時に国外に逃亡し,中国を経て親仏政権下の南ベトナムに入り,文学活動に戻った。しかし63年7月,ゴ・ディン・ジェム政権による反体制派知識人一掃をねらった検挙を前にして自殺した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニャットリン」の意味・わかりやすい解説

ニャット・リン
Nhât Linh

[生]1905
[没]1963
ベトナムの作家。本名 Nguyêu Tuong Tâm。友人カイ・フンらとともにフランス植民政策を筆で批判攻撃するために「自力文団」と呼ばれる作家グループをつくり,新生活運動を推進,貧困にあえぐ農村社会の改善を意図するなど,文学を通じて庶民の教化啓蒙に努めた。やがて文学活動から政治活動へと移行し,第2次世界大戦後,ベトミン連合政府の外相になったが,のち引退して,呉政権の末期に「自由を踏みにじる人々に警告を与える」との遺書を残して服毒自殺した。『断絶』 Doan Tuyêt (1935) ,『白い蝶』 Buom Trang (42) ,カイ・フンとの合作短編集『死なないで』 Anh Phai Sông (32~33) などがある。

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20世紀西洋人名事典 「ニャットリン」の解説

ニャット・リン
Nhat Linh


1905 - 1963.7
ベトナムの小説家,政治家。
ベトナブ北部ハイズオン省生まれ。
本名グエン・トゥオン・タム〈Nguyen Thuong Tam〉。
フランス留学より帰国後、1932年週刊「風化」を創刊し、社会改良を主張する作家の結社「自力文団」を創設した。後に政治活動に入り、’39年民政大越党書記長となり、’42年には革命同盟代表として中国に渡る。’45年のベトナム共和国独立後帰国し、’46年ホー・チ・ミンの国民連合政府で外相を務めたが、駐留中の中国国民党の撤退に伴い国外に逃亡。中国を経て南ベトナムに入り、文学活動に復帰した。’63年ゴディン・ジェム政権の反体制派知識人検挙を前に自殺した。主著には「断絶」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニャットリン」の意味・わかりやすい解説

ニャット・リン
にゃっとりん
(1906―1963)

ベトナムの小説家。漢字名は一霊。本名グエン・トゥォン・タム(阮祥三)。兄弟、友人のカイ・フンら7名と1930年自力文団を創設した中心人物で、当時のベトナム社会を新旧対立の社会ととらえてその矛盾を批判する文学活動を展開。代表作の長編『断絶』(1935)で、愛の純粋性を説き、因襲社会への抵抗を擁護した。そのほか長編に『白い蝶(ちょう)』、『風雨の人生』がある。なおカイ・フンとの合作短編集『あなた生きて!』などもあるが、すべて同じテーマを追求している。のち政治運動に身を投じるが、極端な理想主義偏向のため中途挫折(ざせつ)し、服毒自殺。

[竹内与之助]

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