セルビア共和国北部、ボイボディナ自治州の州都。ドイツ語名ノイザッツNeusatz。ハンガリー語名ウーイビデークUjvidek。ドナウ川左岸に位置し、同自治州の行政、経済、文化の中心地。人口26万6176(2001推計)。セルビア人、ハンガリー人が多数を占めるが、ほかにクロアチア人、スロバキア人、ルーマニア人など多民族が混在し、独特の雰囲気を醸し出している。1694年、オーストリア軍が対岸のペトロバラジン城に舟橋を架けたとき、ここに橋頭堡(きょうとうほ)を築いたのが町の起源。近くにトルコ軍の難を逃れて住み着いたセルビア人の町が急速に発展した。19世紀にはブルジョアジー社会も発達し、ようやく誕生したセルビア公国へ優秀な人材を提供している。とくに1826年ブダペストで設立されたセルビア人の文化協会マティツァ・スルプスカMatica Srpskaが64年この地へ移されてからは、出版、学芸、美術の分野で積極的な活動を行い、「セルビアのアテネ」と称(たた)えられた。協会は現在も良書を続刊しており、付属図書館、美術館は一見の価値がある。セルビア正教会の主教座が置かれ、教会内には貴重なイコノスタシス(聖障、聖柵(せいさく)とよばれるイコンを掛ける仕切り)が保存されている。ほかに1954年創立の総合大学、博物館、ラジオ・テレビ局、各種専門学校、ハンガリー学研究所、セルビア語やハンガリー語の劇場などがある。造船、農業機械、自動車およびオートバイ部品、工作機具、歯科医療機具、織物、化学、精油、化粧品、製靴、食品、家具関連など多くの産業がある。穀物地帯として繁栄したため例年の農業・食品産業国際見本市や狩猟具・釣具見本市でも知られる。
[田村 律]
セルビア共和国北部,ボイボディナ自治州の主都。交通の要で,ドナウ河畔の重要な港町でもある。人口24万3232(2003)。ハンガリー名ウーイビデークÚjvidék。住民はセルビア人,ハンガリー人,クロアチア人,スロバキア人,ルーマニア人など多くの民族から成る。17世紀末オスマン・トルコの圧政を逃れて続々と北上したセルビア人が,ドナウ川を越えてハンガリー領に移住しはじめ,この地にも多く住みつき,町の基礎がきずかれた。それゆえライツェンシュタットRaizenstadt(ドイツ語で東方正教徒セルビア人の町の意)とも呼ばれたが,1748年王領自由都市となり,名前もノビ・サド(新植民地)と改名した。1864年文化団体マティツァ・スルプスカの本部がブダ(現在のブダペスト)から移されると,おもに教育・出版を通じて精力的に文化活動を展開し,〈セルビアのアテネ〉とまでたたえられた。ズマイ,ラーザ・コスティチ(1841-1910)などの文学者ゆかりの地でもある。穀倉地帯の中心地だけに,家畜や農産物の集散地として繁栄し,食品工業も発達した。最近はトラクターなど種々の農業機械はもとより,電気製品,歯科医療器具,化粧品なども生産している。町並みは独特の混合様式に彩られ,市庁舎,博物館,マティツァ・スルプスカ付属画廊,大学,劇場(ハンガリー語,セルビア語)を配して見る者を飽きさせない。ドナウ川対岸のペトロバラジン城(16世紀),フルシュカ・ゴーラ丘陵はベオグラード市民の行楽地でもある。例年の国際農業見本市には世界各地からバイヤーが集まる。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…民族構成は,セルビア人54.0%,ハンガリー人18.2%,クロアチア人5.4%,スロバキア人3.4%,ルーマニア人2.3%,モンテネグロ人2.1%,ルテニア人1.0%(1981)。州都はノビ・サド。フルシュカゴーラやブルシャツ丘陵地を除くと87%が平地で,肥沃な黒土におおわれ,国内随一の穀倉地帯である。…
※「ノビサド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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