ドイツの化学者。有機合成化学の推進者の一人、とくにインジゴの合成で有名。ベルリンの生まれ。ハイデルベルク大学でブンゼンに学び、ついでケクレに学んだ。思想的にはとくに後者の影響が大きい。ベルリン実業学校、シュトラスブルク大学、ミュンヘン大学などで教育と研究の仕事に従事。教育の面ではフィッシャー、マイヤー、ウィルシュテッター、グレーベ、リーベルマンなど、後のドイツ有機合成化学の分野で活躍する優秀な人材を数多く育てた。
研究の面では、有機化合物の構造理論を基礎に、その応用としての合成法の開拓を行ったところに、彼の進歩性がみいだされる。そして彼の弟子たちは、有用染料の合成という目標に向かって、その考えをさらに拡大しつつ多くの新合成法を発見し、有機化合物の構造と反応性についての知識をさらに豊富にした。同時に多数の合成染料をつくりだし、ドイツ染料工業の発展の牽引(けんいん)車となった。すなわち、工業の発展にとって研究が不可欠であることを身をもって証明したといえる。
バイヤーの研究業績は論文数が300余にも上り、領域は多方面に及んだ。取り扱った化合物を染料関連物質のなかから数種に限ってあげると、ニトロベンゼン、トリフェニルメタン、フタレイン、キノリンなどの基本骨格をもった環状化合物がある。そのほかに、テルペン、アルセノベンゼン、含窒素複素環などの有用化合物群もみられる。それらのなかでもっとも有名なのは天然染料藍(あい)(インジゴ)の人工合成である。1865年にその可能性をみいだして以来、関連物質の構造確定をしつつ、1870年にイサチンから、1880年にはオルトニトロ桂皮(けいひ)酸からの合成に成功するまでに10年以上の年月を要した。構造理論の面では互変異性(1882)および炭素環の張力説(1885)がある。1905年に以上の業績に対してノーベル化学賞が贈られた。
[川又淳司]
ドイツの有機化学者。ベルリンに生まれる。ベルリン大学の数学・物理科を中退し,1856年ハイデルベルク大学のR.W.ブンゼンのもとで実験化学を志す。翌年同研究室のA.ケクレのもとで研究,58年ケクレとともにベルギーのガン大学に移り,ヒ素化合物の研究で,ベルリン大学より博士号を受ける。60年ベルリンの工業学校で教職についた後,64年ベルリン大学,72年シュトラスブルク大学,75年J.リービヒの後任としてミュンヘン大学の教授を歴任。1905年〈有機色素およびヒドロ芳香族化合物の研究〉に対して1905年度ノーベル化学賞が授与され,19世紀後半から20世紀にかけての有機合成化学史上に大きな影響をおよぼした。278の論文の中で最大の業績は,天然染料インジゴの構造を明らかにし,1880年最初の合成に成功したことである。約20年後,合成インジゴの工業的製法が完成され,大量生産が進み,有機化学技術およびドイツ化学工業に画期をもたらす基礎となった。尿酸やフタレイン,ニトロソ化合物などの多くの物質の挙動に興味をもち,理論そのものには無関心であったが,ベンゼン核構造の提起や不安定なポリアセチレンの研究から,環式炭化水素の〈原子価張力説〉を唱えたことは,ケクレの古典的構造理論を一歩進めたといえる。E.フィッシャー,V.マイヤー,R.ウィルシュテッター,K.グレーベ,C.T.リーバーマンなどすぐれた有機化学者を育てた。
執筆者:徳元 琴代
ドイツの作曲家。ピアノの初歩教則本,いわゆる《バイエル・ピアノ教則本》の作曲者として知られる。作曲家としては今日ほとんど忘れられた存在であるが,ピアノのためのサロン風小品や編曲などが残されている。上記ピアノ教則本の日本への導入は,1880年(明治13)に音楽取調掛(東京芸術大学音楽学部の前身)の招きで来日したアメリカの音楽教育家メーソンLuther Whiting Mason(1828-96)が20冊を持ち込んだことに始まる。以後,日本の初等音楽教育の中心となってきた。
執筆者:西原 稔
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ドイツの有機化学者.ベルリンに生まれる.ハイデルベルク大学でR.W.E. Bunsen(ブンゼン)について化学を学んだが,有機化学への興味のためF.A. Kekulé(ケクレ)のもとで研究し,1858年ベルリン大学で学位を取得.1860年ベルリンの実業学校の教師,1871年シュトラスブルク大学教授,1875年ミュンヘン大学教授となった.フタレイン染料を発見し,o-ニトロケイ皮酸よりインジゴを合成し(1880年).その構造を決定した(1883年).そのほか,尿酸誘導体やポリアセチレンの研究がある.友人のKekuléの構造論を支持して,実験の理論的根拠とした.1885年炭素の四面体説にもとづいて,炭素原子価の間の張力が少ないほど環状化合物が安定すること(張力説)を提唱した.講義よりも実地の研究にもとづいて教育を行い,E.H. Fischer(フィッシャー),C. Graebe(グレーベ),V. Meyer(マイヤー),R. Willstätter(ウィルシュテッター)など傑出した化学者を育成した.有機化学と化学工業の発展に対する貢献により,1905年ノーベル化学賞を受賞した.
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…複素環式芳香族化合物の一つで,2,3‐ベンゾピロール,1‐アザインデン,1‐ベンズアゾールなどと呼ばれる。1866年J.F.W.A.vonバイヤーがインジゴの構造研究の際はじめて見いだし,インジゴにちなみ命名された。コールタール,ジャスミン油などの花精油,哺乳類排出物などの中に存在する。…
…85年イギリスのパークスAlexander Parkes(1813‐90)はこれを塗料に利用する特許を取得した。1872年,ドイツのJ.F.W.A.vonバイヤーはフェノールとホルマリンにより不溶性物質(フェノール樹脂の発端)を発見し,イギリスのW.スミスが初めてグリセリンと無水フタル酸からグリプタル樹脂(アルキド樹脂)を1901年工業的につくりだした。これを油で変性して塗料に適するようにしたのはさらに10年後であった。…
…このころからバウハウスの卒業生が教授陣に加わりはじめる。タイポグラフィーと広告の部門を築いたH.バイヤー,家具に新境地をひらいていたM.L.ブロイヤー,彫刻のシュミットJ.Schmidtらである。 バウハウスはワイマール時代には建築の部門をもっていなかったが,27年グロピウスは建築部門を設けるとともに,スイス人の建築家マイヤーHannes Meyer(1889‐1954)を招いた。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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