フランスの作家ユゴーの長編小説。1831年刊。舞台は中世のパリ。幼時に誘拐されロマ(かつてはジプシーとよばれた)として生活するエスメラルダは、たぐいまれな美貌(びぼう)があだになって、ノートル・ダム寺院の副司教クロード・フロロに邪恋を抱かせた。フロロは、鐘つき男のカジモドに彼女をさらわせるが、美男の警備隊長フェビュスがこれを救う。誘拐の罪で鞭(むち)打たれるカジモドを哀れみ飲み水を与えた彼女は、やがてカジモドに救われる運命になる。副司教フロロが嫉妬(しっと)からフェビュスを刺して逃亡、その罪を着せられ刑場に引かれる彼女を、カジモドは救い出してノートル・ダム寺院にかくまう。フロロはパリの無宿者に寺院の大襲撃をさせるが失敗、さる隠遁(いんとん)尼の手に彼女をゆだねる。尼僧が実は彼女の実母であることが判明したときはすでに遅く、彼女は官憲の手に渡っていた。エスメラルダが絞首刑になるのを寺院の塔から見ていたカジモドは、フロロを塔上から突き落とし、自分も彼女の遺骸(いがい)を抱いて死ぬ。叙事詩的壮大さをもつ典型的人物たちが、美醜両極のコントラストで効果的に処理され、中世ゴシック趣味のロマン派的背景に、民衆への愛や人道主義を色濃くにじませているところに、後年のユゴーの政治姿勢が予見される。
[佐藤実枝]
『辻昶・松下和則訳『ノートル・ダム・ド・パリ』(岩波文庫)』
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… 映画を通俗的な娯楽として発展させようとしたアメリカ(ハリウッド)の歴史とは対照的に,映画を〈芸術〉に高めようとする志向がフランス映画には早くからあり,1907年にラフィット兄弟によって設立された〈フィルム・ダールFilm d’Art社〉がまず,安っぽい短編,トリック映画,見世物的映画の興行的行詰りを打開するために,当時の舞台の芸術家,人気俳優を起用し,またアナトール・フランスやエドモン・ロスタンといった有名作家のオリジナルシナリオや文豪の名作を映画化して新しい知識階級の観客層をつかまえ,まさに〈フィルム・ダール(芸術映画)〉への道を開くことになる(しかし,映画史家・理論家モーリス・ベッシーのように,〈それ自身においては演劇の複製に止まり,映画を誤った方向へ向かわせる結果となった〉という見方もある)。劇作家のアンリ・ラブダン作,アンドレ・カルメット,ル・バルジー共同演出,コメディ・フランセーズの名優たちの出演による《ギーズ公の暗殺》(1908)の大ヒットから,パテー映画社が設立したS.C.A.G.L.(著作者・文学者映画協会)の製作による,アルベール・カペラーニ演出,アンドレ・アントアーヌの自由劇場の名優の出演によるユゴー原作《ノートル・ダム・ド・パリ》(1911),《噫無情》(1912),アンドレ・アントアーヌ演出によるゾラの《ジェルミナール》(1914)等々をへて,ルイ・メルカントン演出,名女優サラ・ベルナール主演の大作《エリザベス女王》(1912)に至るまで,〈フィルム・ダール〉の名で呼ばれた演劇的文芸映画がヨーロッパのみならずアメリカにも影響を及ぼし(アドルフ・ズーカーが《エリザベス女王》を全米で公開して大ヒットさせ,フィルム・ダール社の映画づくりをモデルにパラマウントの前身であるフェイマス・プレイヤーズ社を創設したことはよく知られている),映画史上一つのエポックを画した。なお,先のパテー映画社はフィルム・ダール社の全作品の配給権を握ると同時に製作もした。…
※「ノートルダムドパリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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