1947年にアメリカの下院非米活動委員会の聴聞会に証人として喚問されて証言を拒否し,〈議会侮辱〉の罪で起訴されて映画界から追放され,50年に最高裁判所で有罪が確定して連邦刑務所へ送られた10人のハリウッドの映画人をいう。その10人とはハーバート・ビーバーマン(製作者,監督),エドワード・ドミトリク(監督),エイドリアン・スコット(製作者,脚本家),アルバ・ベッシー(脚本家),レスター・コール(脚本家),リング・ラードナー・ジュニア(脚本家),ジョン・ハワード・ロースン(脚本家),アルバート・マルツ(脚本家),サミュエル・オルニッツ(脚本家),ドルトン・トランボ(脚本家)。
非米活動委員会(そのなかにはのちの大統領ニクソンも加わっていたことはよく知られている)は,1940年と45年に〈映画産業への共産主義の浸透〉を非公開の聴聞会で調査したことがあるが,47年2月に新委員長になったニュージャージー選出の共和党議員J.パーネル・トーマスは,小委員会を発足させてハリウッドで非公開の聴聞会を開き,〈友好的〉な12人の証人からハリウッドは共産主義の温床であるという証言を引きだし,9月には数十人のハリウッドの映画人に喚問状を送りとどけた。トーマスがハリウッドの〈赤狩り〉にのりだした47年は,第2次世界大戦後アメリカ映画が日本,イタリア,西ドイツなどの新しい市場を独占してハリウッドが繁栄し,戦後アメリカ映画の代表作の一つに数えられているウィリアム・ワイラー監督《我等の生涯の最良の年》(1946)がアカデミー賞の主要部門をさらった年であり,ハリウッドを攻撃の目標に選んだのはセンセーショナルな宣伝効果を意図したものであると指摘されている。これに対し,500人の映画人が加盟した〈憲法第1修正条項委員会〉(第1修正条項とはいわゆる信教の自由,表現の自由を保障するもの)が結成されて基本的人権と良心の自由の擁護を訴え,映画監督,シナリオライターの組合も,相次いで非米活動委員会の〈思想調査〉に反対の声明を発表した。
10月に開かれた第1回聴聞会では〈ハリウッド・テン〉とリチャード・コリンズ(脚本家),ゴードン・カーン(脚本家),ハワード・コッホ(脚本家),ルイス・マイルストン(監督),アービング・ピシェル(監督),ラリー・パークス(俳優),ロバート・ロッセン(監督),ウォルド・ソールト(脚本家),ベルトルト・ブレヒト(脚本家)の19人(のちに〈ハリウッド・ナインティーン〉と呼ばれた)が証言台に立ち,ジョン・ヒューストン,ハンフリー・ボガートその他30人ちかい〈憲法第1修正条項委員会〉の代表団もチャーター機でワシントンへおもむいた。10月20日に始まった聴聞会で,ワーナー・ブラザース副社長ジャック・L.ワーナー,MGM社長ルイス・B.メイヤー,〈アメリカの理想を守る映画同盟〉の初代会長サム・ウッド(監督),アドルフ・マンジュー(俳優),ロバート・テーラー(俳優),ゲーリー・クーパー(俳優),ロナルド・レーガン(俳優)など非米活動委員会が〈用意〉した証人たちは〈友好的〉で〈協力的〉な証言をしたが,〈ハリウッド・テン〉は憲法修正第1条項と修正第5条によって証言を拒否した。第1回聴聞会は,亡命者である身分と政治的信条について委員会の質問に答えてスイスを経てドイツへ帰国したブレヒトを最後に,予定された19人の証人のうち11人で打ちきられた。
〈ハリウッド・テン〉を〈議会侮辱罪〉で告発することが下院で可決された11月24日,アメリカ映画製作者協会と独立映画製作者協会の代表50人がニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルで会合を開き,共産主義者とその同調者の追放を決議した〈ウォルドーフ声明〉を発表した。この方針には,〈無実の人を傷つける危険が存在する〉という言いわけさえつけ加えられた。ハリウッドの空虚なことばの歴史のなかでもこれほど空虚なことばはないといわれるこの声明によって,212人のブラック・リストがつくられたと伝えられ,ハリウッドのどの撮影所にも〈特審部〉が設けられたのであった。
ハリウッドから追放された10人は,49年6月にワシントンの連邦裁判所で有罪と判決され,50年4月に最高裁判所で再審が却下されて罰金と禁錮の実刑が確定し,6月にそれぞれ連邦刑務所へ送られた。6ヵ月から1年に及ぶ服役のあと,完全に映画の仕事を断たれた彼らは(獄中で〈転向〉したドミトリクを除いて),以後70年代まで匿名あるいは偽名で仕事をするしかなく,そのため64歳で最初で最後の監督作品《ジョニーは戦場へ行った》(1970)を発表したドルトン・トランボのような例も生まれた。
ロースンはその著《思想のたたかいにおける映画》(邦訳《ホリウッドの内幕》1958)のなかで〈ハリウッドと非米活動委員会〉を論じ,ハリウッドは思想のたたかいにおける決戦場であると書いているが,そのなかで〈ハリウッド・テン〉を告発した非米活動委員会の聴聞会でハリウッドの映画人31人が〈友好的証人〉つまり〈密告者〉になったことをあきらかにしている。とくに,52年4月に非米活動委員会へ宣誓供述書を提出して非公開の聴聞会で〈友好的〉証言をし,さらに《ニューヨーク・タイムズ》に個人公告をだして〈裏切り〉を自己弁護したかつての〈憲法第1修正条項委員会〉の会員エリア・カザンについては,ドミトリクとともに思想的な〈転向〉ではなく,仲間や友人たちを〈裏切る〉ことによってハリウッドで生きることを許された〈密告者〉〈スパイ的証人〉と批判している。密告者たちの〈協力〉でブラック・リストが完成し,非米活動委員会の53年度年次報告によると324人の映画人が映画界から追放された。
〈ハリウッド・テン〉とハリウッドの〈赤狩り〉については多くの本が書かれているが,エリック・ベントリー編《裏切りの30年--非米活動委員会聴聞会の抜粋 1938-68》(1971)には証言記録の原資料が収録されている。そして,ラリー・セプラーとスティーブン・イングルンド《ハリウッドの審問--映画社会の政治 1930-66》(1980),ナンシー・リン・シュワルツ《ハリウッド・ライターのたたかい》(1982)などに見られるように,アメリカ史の汚点といわれる非米活動委員会がハリウッドに残したつめあとの調査と追及はその後もつづいている。
→非米活動委員会 →マッカーシイズム
執筆者:柏倉 昌美
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…また,スターシステムや撮影所のシステムをはじめ,映画の製作,配給,興行のしくみなど,映画のあらゆる側面を通じて,〈アメリカ映画〉から生まれ発展し,各国の映画にもたらされたものは数多い。1911年,ハリウッドに最初の撮影所が建設されて以来,アメリカ映画史はハリウッドを中心に形成されることになる。ここでは,〈アメリカ映画〉の特質をなすいくつかの点を中心に記述するが,〈ハリウッド〉の項目をも参照されたい。…
…こうした世論に対する懐柔策として映画製作者の側から自主規制を行うことになる。ハリウッドの〈プロダクション・コード〉も日本の〈映倫〉も,そもそもは〈映画をまもるため〉という理由で設けられた自主機関としての検閲である。映画検閲
[アメリカ映画の世界制覇]
しかし,映画産業は急上昇を続けた。…
…その後メリエスの成功にならい,また映画の企業化の発展と機械技術の発達とともに,人工光線を利用し,ステージのほかにラボ(現像所)をそなえた撮影所がイギリスやドイツでもつくられた。 アメリカでは,のちに〈映画の都〉となるハリウッドが映画人の手で開拓されるまえに,製作の中心であったニューヨークやシカゴにおける〈モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー〉という映画トラストの圧迫から逃れた映画人たちによるロサンゼルスでの製作の歴史があるが,W.N.シーリグが1909年にハリウッド最初の撮影所をつくった。続いていくつかの撮影所がつくられたが,その中でとくに注目に値するのは,D.W.グリフィスと並んでアメリカ映画の草創期に足跡を残しているT.H.インス(1882‐1924)が,12年に2万エーカーの土地を手に入れてつくったインスビル撮影所である。…
…この表現が初めて使われたのは,アーサー・ペン監督《俺たちに明日はない》(1967)を特集したアメリカの週刊誌《タイム》(1967年12月8日号)の,〈ニュー・シネマ,暴力,セックス,芸術! 自由にめざめたハリウッドの衝撃!〉というセンセーショナルな見出しのなかであった。不況時代のアメリカ中西部の銀行を荒らしまわった男と女の2人組のギャングの短く激烈な人生を描く,この〈アナーキーな暴力〉にみちた青春映画に次いで,やはり〈無法の青春〉を描いたデニス・ホッパー監督《イージー・ライダー》(1969)が,若い観客層を熱狂させて大ヒット。…
…17世紀ごろまで,スペイン人やイタリア人はかえって沈着冷静で,ときに陰険であるという評が一般的であったようだ。今日のようないわゆるラテン気質を定着させるのに決定的な力があったのは,イタリア生れの俳優ルドルフ・バレンチノをはじめとする〈ラテン・ラバー〉を主人公とした,戦前,戦後の数多くのハリウッド映画であったように思われる。これに対して,質実剛健といわれた共和政期のローマ人の子孫であると誇らしげに宣言したのは,イタリアのファシストたちであった。…
※「ハリウッドテン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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