国内における反体制的破壊活動,いわゆる非米活動を調査し,これに対する立法を行う目的で設けられたアメリカの議会委員会。国民の忠誠を確認し,国内統合を強化する手段としてのこのような国政審査・立法活動の起源は建国期にまでさかのぼるが,最近では両次世界大戦後にアナーキスト,社会主義者,共産主義者の政治的活動をめぐって活発に行われた。なかでも1938年に連邦議会下院に特別委員会として設置された下院非米活動委員会House Committee on Un-American Activities(略称HUAC,通称ダイズ委員会)は有名である。HUACは当初,国内のナチス支持集団による破壊活動の抑制を目的として設立されたが,やがてその主要目標を共産主義者へと転じ,45年の共和党が多数を占めた議会で常任委員会に昇格して以後は,R.M.ニクソンらの右翼的議員による〈赤狩り〉の牙城となる。47年に行われたハリウッドの映画人に対する審問(ハリウッド・テン)や翌年のニューディール派官僚ヒスAlger Hissのスパイ容疑をめぐる公聴会は,非米活動に対する国民の関心を一挙に高め,連邦議会上院でもマッカーシーらによる同種の調査活動(マッカーシイズム)が活発化する原因となった。50年代には劇作家リリアン・ヘルマン,アーサー・ミラーや俳優ポール・ロブソンらの著名人を巻き込んで続けられたHUACの活動は,60年代後半までには下火となり,国内治安委員会へと名称変更を経て,75年廃止された。
HUACの歴史が典型的に示すように,〈非米〉というあいまいな概念に基づく国内治安維持のための調査活動が,ともすれば,市民の思想表現の自由を侵しがちであることは,今日多くの論者の指摘し批判するところである。
→忠誠審査制度 →レッドパージ
執筆者:古矢 旬
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アメリカ合衆国連邦下院議会で1938年特別委員会として設立され、45年に常設委員会に昇格し、反共「赤狩り」のマッカーシズム時代に中心的役割を果たした委員会。ニクソン、レーガン両大統領はこの委員会での華々しい活動を認められ、政治的に進出した。共産主義やリベラル左派を「非アメリカ的、政府転覆的」とする議会内保守派の指導下につくられたこの委員会は、多数の右翼、ファシズム団体に宣伝の場を与え、労働運動、平和・民主主義運動に介入したほか、多くの有名人に「共産主義」のレッテルを貼(は)って追放、全国を「反共ヒステリー」状態に陥れた。労働組合をはじめPTA役員選挙ですら、対立候補を「アカ」だと攻撃する風潮が広がり、思想・言論の自由は、反共主義の名の下に抑圧された。多くの大学教授、教師が職を失い、社会的に追放された。議会は本委員会の勧告に従って、いくつかの共産主義取締法を制定した。
その後、1969年同委員会は、国内安全委員会House Internal Security Committeeと改称し、ベトナム反戦活動家を召喚するなどの活動に従事したが、かつてほど大きな役割は果たせなくなった。
[上杉 忍]
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…1947年にアメリカの下院非米活動委員会の聴聞会に証人として喚問されて証言を拒否し,〈議会侮辱〉の罪で起訴されて映画界から追放され,50年に最高裁判所で有罪が確定して連邦刑務所へ送られた10人のハリウッドの映画人をいう。その10人とはハーバート・ビーバーマン(製作者,監督),エドワード・ドミトリク(監督),エイドリアン・スコット(製作者,脚本家),アルバ・ベッシー(脚本家),レスター・コール(脚本家),リング・ラードナー・ジュニア(脚本家),ジョン・ハワード・ロースン(脚本家),アルバート・マルツ(脚本家),サミュエル・オルニッツ(脚本家),ドルトン・トランボ(脚本家)。…
…1954初演)はここで執筆されているが,上演の機会もないままに《真鍮買い》などに新しい演劇論をまとめていった。 第2次大戦後は赤狩りの風潮の起こり始めた47年,非米活動委員会に喚問され,その直後スイスに渡り,48年,東ベルリンからの求めに応じて帰国した。翌49年には妻H.ワイゲルの主演で《肝っ玉おっ母とその子供たち》を上演して注目をあび,同じ年劇団〈ベルリーナー・アンサンブル〉を結成した。…
… 私生活では,進歩的な思想をもつハードボイルド作家D.ハメットとの30年にも及ぶ恋愛関係,共同生活でよく知られている。〈赤狩り〉旋風の吹き荒れたマッカーシー時代には,ハメットに続き,1952年,非米活動委員会に喚問されたが,勇気をもって弾圧に抗し,断固,証言を拒否した。しかしこのことにより,のち長い間,さまざまな面で不自由な生活を強いられることとなった。…
…8本目の出演映画《犯罪王リコ》(1931)で〈アンチ・ヒーロー〉を一個の人間像として演じて成功し,映画に登場するギャングの原型をつくった(〈ギャング映画〉の項も参照)。その後はギャング映画ばかりでなく,反ナチ映画の第1号として知られる《ナチ・スパイの告白》(1939),《偉人エーリッヒ博士》(1940),《肉体と幻想》(1943)その他の個性的な演技で国際的な〈性格俳優〉になったが,第2次世界大戦中に〈反ナチ同盟〉に積極的に協力したことが戦後になって共産主義の同調者とみなされて,右翼から攻撃され,さらに非米活動委員会へ出頭して〈潔白〉を主張する証言をしてからは,左右両陣営の攻撃をうけることになった。 フリッツ・ラング監督《飾窓の女》(1944),《スカーレット・ストリート》(1945),ジョン・ヒューストン監督《キー・ラーゴ》(1948),ジョゼフ・L.マンキーウィッツ監督《他人の家》(1949),セシル・B.デミル監督《十戒》(1956),アレクサンダー・マッケンドリック監督《サミー南へ行く》(1963)等々で印象的な名演ぶりを見せたが,キャリア全体としてみれば作品にも役にもあまり恵まれないまま,《ソイレント・グリーン》(1973)を最後に不遇のうちに癌で死亡した。…
※「非米活動委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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