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非米活動委員会 ひべいかつどういいんかいHouse Committee on Un-American Activities

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

非米活動委員会
ひべいかつどういいんかい
House Committee on Un-American Activities

アメリカ国内における反体制的,非アメリカ的活動を取締るために 1938年に設置された下院委員会。当初は国内のナチ活動が主たる対象であったが,戦後は共産主義者,そのシンパ的団体が対象となった。 1940年代後半から 50年代初めにかけてハリウッド映画人をはじめ劇作家の A.ミラーなど多数の文化人が委員会に喚問され,異端審問所の観を呈した。上院の J.マッカーシーとともに冷戦下でのヒステリックな「赤狩り」の舞台として悪名高い。のちに国内治安委員会と改称され,60年代後半以降その活動は事実上消滅した。

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百科事典マイペディアの解説

非米活動委員会【ひべいかつどういいんかい】

米国下院の常設委員会の一つ。1938年特別委員会として設置,1945年常設委員会となった。初めナチズムやファシズムなどの活動の摘発に当たっていたが,第2次大戦後は特に共産主義者の調査摘発に重点を置いていた。
→関連項目ハリウッド・テンロージー

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世界大百科事典 第2版の解説

ひべいかつどういいんかい【非米活動委員会 Un‐American Activities Committee】

国内における反体制的破壊活動,いわゆる非米活動を調査し,これに対する立法を行う目的で設けられたアメリカの議会委員会。国民の忠誠を確認し,国内統合を強化する手段としてのこのような国政審査・立法活動の起源は建国期にまでさかのぼるが,最近では両次世界大戦後にアナーキスト社会主義者,共産主義者の政治的活動をめぐって活発に行われた。なかでも1938年に連邦議会下院に特別委員会として設置された下院非米活動委員会House Committee on Un‐American Activities(略称HUAC,通称ダイズ委員会)は有名である。

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大辞林 第三版の解説

ひべいかつどういいんかい【非米活動委員会】

米国下院議会にあった常任委員会の一。国内における反体制的・反政府的活動を「非米活動」として取り締まるための調査・立法を行うことを目的に、1938年特別委員会として設置。45年常任委員会に昇格。75年廃止。 UAAC 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

非米活動委員会
ひべいかつどういいんかい
House Committee on Un-American Activities

アメリカ合衆国連邦下院議会で1938年特別委員会として設立され、45年に常設委員会に昇格し、反共「赤狩り」のマッカーシズム時代に中心的役割を果たした委員会。ニクソン、レーガン両大統領はこの委員会での華々しい活動を認められ、政治的に進出した。共産主義やリベラル左派を「非アメリカ的、政府転覆的」とする議会内保守派の指導下につくられたこの委員会は、多数の右翼、ファシズム団体に宣伝の場を与え、労働運動、平和・民主主義運動に介入したほか、多くの有名人に「共産主義」のレッテルを貼(は)って追放、全国を「反共ヒステリー」状態に陥れた。労働組合をはじめPTA役員選挙ですら、対立候補を「アカ」だと攻撃する風潮が広がり、思想・言論の自由は、反共主義の名の下に抑圧された。多くの大学教授、教師が職を失い、社会的に追放された。議会は本委員会の勧告に従って、いくつかの共産主義取締法を制定した。
 その後、1969年同委員会は、国内安全委員会House Internal Security Committeeと改称し、ベトナム反戦活動家を召喚するなどの活動に従事したが、かつてほど大きな役割は果たせなくなった。[上杉 忍]

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世界大百科事典内の非米活動委員会の言及

【ハリウッド・テン】より

…1947年にアメリカの下院非米活動委員会の聴聞会に証人として喚問されて証言を拒否し,〈議会侮辱〉の罪で起訴されて映画界から追放され,50年に最高裁判所で有罪が確定して連邦刑務所へ送られた10人のハリウッドの映画人をいう。その10人とはハーバート・ビーバーマン(製作者,監督),エドワード・ドミトリク(監督),エイドリアン・スコット(製作者,脚本家),アルバ・ベッシー(脚本家),レスター・コール(脚本家),リング・ラードナー・ジュニア(脚本家),ジョン・ハワード・ロースン(脚本家),アルバート・マルツ(脚本家),サミュエル・オルニッツ(脚本家),ドルトン・トランボ(脚本家)。…

【ブレヒト】より

…1954初演)はここで執筆されているが,上演の機会もないままに《真鍮買い》などに新しい演劇論をまとめていった。 第2次大戦後は赤狩りの風潮の起こり始めた47年,非米活動委員会に喚問され,その直後スイスに渡り,48年,東ベルリンからの求めに応じて帰国した。翌49年には妻H.ワイゲルの主演で《肝っ玉おっ母とその子供たち》を上演して注目をあび,同じ年劇団〈ベルリーナー・アンサンブル〉を結成した。…

【ヘルマン】より

… 私生活では,進歩的な思想をもつハードボイルド作家D.ハメットとの30年にも及ぶ恋愛関係,共同生活でよく知られている。〈赤狩り〉旋風の吹き荒れたマッカーシー時代には,ハメットに続き,1952年,非米活動委員会に喚問されたが,勇気をもって弾圧に抗し,断固,証言を拒否した。しかしこのことにより,のち長い間,さまざまな面で不自由な生活を強いられることとなった。…

【ロビンソン】より

…8本目の出演映画《犯罪王リコ》(1931)で〈アンチ・ヒーロー〉を一個の人間像として演じて成功し,映画に登場するギャングの原型をつくった(〈ギャング映画〉の項も参照)。その後はギャング映画ばかりでなく,反ナチ映画の第1号として知られる《ナチ・スパイの告白》(1939),《偉人エーリッヒ博士》(1940),《肉体と幻想》(1943)その他の個性的な演技で国際的な〈性格俳優〉になったが,第2次世界大戦中に〈反ナチ同盟〉に積極的に協力したことが戦後になって共産主義の同調者とみなされて,右翼から攻撃され,さらに非米活動委員会へ出頭して〈潔白〉を主張する証言をしてからは,左右両陣営の攻撃をうけることになった。 フリッツ・ラング監督《飾窓の女》(1944),《スカーレット・ストリート》(1945),ジョン・ヒューストン監督《キー・ラーゴ》(1948),ジョゼフ・L.マンキーウィッツ監督《他人の家》(1949),セシル・B.デミル監督《十戒》(1956),アレクサンダー・マッケンドリック監督《サミー南へ行く》(1963)等々で印象的な名演ぶりを見せたが,キャリア全体としてみれば作品にも役にもあまり恵まれないまま,《ソイレント・グリーン》(1973)を最後に不遇のうちに癌で死亡した。…

※「非米活動委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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