ハーゼンクレーバー(英語表記)Walter Hasenclever

改訂新版 世界大百科事典 「ハーゼンクレーバー」の意味・わかりやすい解説

ハーゼンクレーバー
Walter Hasenclever
生没年:1890-1940

ドイツの劇作家詩人。ユダヤ系の衛生顧問官の子としてアーヘンで生まれ,オックスフォード,ローザンヌ,ライプチヒの大学で文学や哲学を学び,第1次大戦に従軍したのち,平和主義者に転じた。暴君的な父親に対する息子の反抗を扱う悲劇《息子》(1914)は,もっとも早い表現主義劇として当時の若い世代に圧倒的な支持を得,反戦劇《アンティゴネ》(1917)をはじめ,《人間》(1918),《決定》(1919),《彼岸》(1920)などをつぎつぎと発表。20年代に入り,仏教,心霊学に関心を示すかたわら,パリ,ハリウッドなどで新聞通信員として活躍。作風も表現主義の絶叫調から離れ,《一見紳士風》(1926),《結婚は天国で》(1928),《ナポレオン乗り出す》(1929)などの時代風刺的な娯楽喜劇にみられる乾いた文体に変わった。だが,1933年にはナチスに市民権を剝奪され,南フランスに亡命戯曲ミュンヒハウゼン》など創作をつづけたが,40年同地の収容所で自殺
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーゼンクレーバー」の意味・わかりやすい解説

ハーゼンクレーバー
はーぜんくれーばー
Walter Hasenclever
(1890―1940)

ドイツの劇作家、詩人。アーヘン生まれ。オックスフォード、ローザンヌ両大学で法律を、ライプツィヒ大学で文学史、哲学を学び、またのちに表現主義詩集『人類のたそがれ』を編んだクルト・ピントゥスなどと出会う。第一次世界大戦に志願、負傷して帰還。仏教や神秘主義に傾倒。1933年ヒトラーの政権掌握後フランスに亡命(ビシー政権により強制収容され、ナチに引き渡されるのを恐れて自殺した)。作者自身の家庭環境と同世代全体の体験を反映した悲劇『息子』(1914)は、専制的父親と反抗的息子との葛藤(かっとう)を扱った表現主義演劇の代表作。古典劇に拠(よ)った『アンティゴネー』(1917)は圧政と戦争に苦しむ民衆による国家打倒の必然性を訴えた革命劇。20年代以後はしだいに政治や社会の問題から離れ、機知に富み風刺的な軽喜劇『一見紳士風』(1926)などを書いた。ほかに亡命者の生活を描いた『権利なきものたち』(1940)、詩集『弟子』(1913)などがある。

[横塚祥隆]

『舟木重信訳『アンティゴーネ』(『近代劇大系6』所収・1923・同書刊行会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーゼンクレーバー」の意味・わかりやすい解説

ハーゼンクレーバー
Hasenclever, Walter

[生]1890.7.8. アーヘン
[没]1940.6.21. レミル
ドイツの劇作家。ロンドン,ローザンヌ,ライプチヒで学び,第1次世界大戦で重傷を負う。世代の抗争をテーマとし,叫びにも似た簡潔な言語,新しい舞台様式などラディカルな傾向をもった戯曲『息子』 Der Sohn (1914) で劇壇にデビューし,以後表現主義運動の中心的存在となった。ほかに『アンチゴネ』 Antigone (17) ,『人間』 Die Menschen (18) など。平和主義者として,1933年ナチスに国籍を剥奪されてからは,フランスなどに亡命。ドイツ軍のフランス侵攻の際,自殺。

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