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若松賤子 わかまつしずこ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

若松賤子
わかまつしずこ

[生]元治1(1864).3.1. 岩代,若松
[没]1896.2.10.
小説家,翻訳家。本名,巌本甲子 (かし) 。 1882年横浜フェリス女学校高等科卒業。同校の英語教師となり,紀行文『旧き都のつと』 (1886) などを発表。『女学雑誌』を主宰した巌本善治と結婚 (89) 。

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デジタル大辞泉の解説

わかまつ‐しずこ〔‐しづこ〕【若松賤子】

[1864~1896]翻訳家。福島の生まれ。本名、松川甲子(まつかわかし)。巌本善治の妻。バーネットの「小公子」の翻訳で知られる。

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百科事典マイペディアの解説

若松賤子【わかまつしずこ】

翻訳家。旧姓松川甲子(かし)。フェリス女学校高等科卒。1889年,明治女学校教頭で《女学雑誌》主筆の巌本善治と結婚。病弱のうえに家事に従いつつ,そのあいまに,翻訳や翻案小説を同誌に発表した。
→関連項目巌本善治

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

若松賤子 わかまつ-しずこ

1864-1896 明治時代の翻訳家,作家。
元治(げんじ)元年3月1日生まれ。母校フェリス女学校の教師をつとめ,明治22年巌本善治(いわもと-よしはる)と結婚して明治女学校の経営に協力。また児童文学の創作と翻訳をおこない,口語体の名訳をのこした。明治29年2月10日死去。33歳。陸奥(むつ)会津若松(福島県)出身。旧名は松川甲子(かし)。本名は巌本嘉志子。通称は島田嘉志。訳書にバーネット「小公子」など。
【格言など】この白きベールをとりて,とくと我をみたまえ(「新婦,花郎に送る」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

若松賤子

没年:明治29.2.10(1896)
生年:元治1.3.1(1864.4.6)
明治時代の翻訳家。会津郡若松阿弥陀町(会津若松市)生まれ。会津藩士島田勝次郎の子。本名は甲子,嘉志とも表記。若松賤子は「若松生まれのキリストのはした女」を意味するペンネーム戊辰戦争会津攻めの際に5歳。貧窮困苦と一家離散を経験した。明治3(1870)年7歳で横浜の生糸商人で山城屋の大番頭大川甚兵衛の養女となり,9歳のとき宣教師ミス・キダーの学校(のちのフェリス女学校)に入った。養家の没落後も賤子はキダーに愛されて寄宿学校にとどまり,14歳で受洗。明治15年に19歳で卒業と同時に母校の教師となった。20年に結核発病。22年に明治女学校教頭で『女学雑誌』主筆の巌本善治と結婚。出産と家事と闘病生活の中から言文一致体の小説や女子啓蒙の随筆など,またすぐれた英語力を用いて英語の小説や詩の翻訳を多数『女学雑誌』その他に書き続けた。バーネット原作の『小公子』の訳は傑作。明治女学校焼失直後,心臓麻痺のため死去,染井墓地に葬られた。バイオリニスト巌本真理は長男荘民の娘。<参考文献>山口玲子『とくと我を見たまえ』

(加納孝代)

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世界大百科事典 第2版の解説

わかまつしずこ【若松賤子】

1864‐96(元治1‐明治29)
明治期の翻訳家。本名松川甲子(かし)。通称島田嘉志(かし)。会津(現,会津若松市)の生れ。幼時に親を失って横浜の大川家の養女となり,外人宣教師の訓育下に1882年フェリス女学校高等科を卒業。89年明治女学校の巌本善治と結婚して母校の教師をやめたが,病気がちの暇をぬすんで《女学雑誌》に創作や翻訳,またキリスト教精神による教育的随筆を数多く発表。翻案小説《忘れ形見》(1890),テニソンの物語詩の翻訳《イナック・アーデン物語》(1890),90年から92年には《小公子》(バーネット原作)の翻訳など,いずれも子供の姿態を清新な口語体でとらえ,彼女の仕事の頂点を示している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

若松賤子
わかまつしずこ
(1864―1896)

翻訳家。陸奥国(福島県)会津若松生まれ。本名松川甲子(かし)。横浜のフェリス女学校高等科卒業。ただちに母校の英語教師となった。1886年(明治19)紀行文『旧(ふる)き都のつと』『木村とう子を弔ふ英詩』、訳詩などを若松賤の筆名で『女学雑誌』に発表。89年巌本善治(いわもとよしはる)と結婚。翻案小説『忘れ形見』(1890)や『いなッく、あーでん物語』(1890)、『小公子』(1890~92)などの名訳を残し、キリスト教精神に貫かれた一生を送った。没後に英文遺稿集『In Memory of Mrs. KASHI IWAMOTO』(1897ころ)、遺稿集『忘れかたみ』(1903)が刊行された。[橋詰静子]
『鈴木二三雄「若松賤子と女学雑誌」(『フェリス論叢』1960.10・フェリス女学院短期大学) ▽若松賤子・刊行委員会編『若松賤子――不滅の生涯』(1977・共栄社出版)』

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