デジタル大辞泉
「ラコニア」の意味・読み・例文・類語
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ラコニア
らこにあ
Lakonía
ギリシア南部、ペロポネソス半島南東部、ラコニア湾に面する一地方。ラケダイモンLakedaimon、ラコニキLakonikiともいう。現在は一県をなし、その県域は古代に知られた地域とほぼ一致する。県は面積3636平方キロメートル、人口10万1100(2003推計)。県都スパルタ。
北はアルゴリスとアルカディアに接し、西はタイゲトス山脈がメッセニア地方との境をなす。山がちなため交通網の発達、地域開発が遅れ、山間部には伝統的な生活様式を保つ過疎の村が点在する。
[真下とも子]
ミケーネ時代にはホメロスにうたわれたメネラオスの王国が栄えた。その後ドーリス系のスパルタが中心となり、紀元前540年ごろには全域を支配するに至った。中心部は市民の土地でヘイロタイ(隷属農民)が耕した。周辺部のペリオイコイ(劣格のスパルタ国家構成員で自由人)は自治を有した。彼らはローマ初代皇帝アウグストゥスの時代に「自由ラコニア」として独立した。14世紀以降は西部の都市ミストラが中心であったが、1830年のギリシアのトルコからの独立後は新生スパルタがとってかわった。
[古山正人]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ラコニア
Laconia
ギリシア南部,ペロポネソス半島南東部の地域。ラコニアはラテン語で,古代ギリシア語ではラコニケLakōnikēといった。ミュケナイ時代にはアカイア人が住み,たぶんスパルタ付近に繁栄する王国があったが,前1000年ころドリス人が侵入し,その一派であるスパルタ人が前8世紀後半までに全土を征服し,前2世紀初めまで保持した。現在は,スパルタ(スパルティ)を主都とする県になっている。
執筆者:清永 昭次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ラコニア
ギリシア,ペロポネソス半島の南東部の地方。一県をなし,県都はスパルタ。エウロタス川が貫流し,ギリシア有数の肥沃な平野がある。古代はスパルタ人の国土で市域は川の右岸を占め,丘陵地にペリオイコイの集落が散在していた。
→関連項目ヘイロータイ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ラコニア
Lakonia
ギリシア,ペロポニソス半島南東部を占める地域。ラコニコス湾を囲む2つの半島,同湾奥に注ぐエブロタス川の流域平野,その西を限るタイエトス,東を限るパルノン (パルノナス) の両山地から成る。古代ギリシアの都市国家スパルタが繁栄した土地であるが,前2世紀ローマ人に占領され,以後西ゴート,スラブ,ビザンチン,フランク,オスマン帝国,ベネチアなどの支配,侵入を受けた。 1821年に始ったギリシア独立戦争に際しては,この地の住民が大きな役割を果した。現在この地域にラコニア県が設置されている。古代遺跡のほか,新石器時代にさかのぼる遺跡が各地で発掘されている。
ラコニア
Laconia
アメリカ合衆国,ニューハンプシャー州の中部にある都市。ウィニペソーキー川の河岸にのぞみ,コンコードの北約 35kmに位置する。 1652年には,すでにマサチューセッツ湾植民地の北端となっていた。 1761年入植が開始され,1893年市制。編み機,金属,皮革製品,スポーツ用品などを産し,周辺農業地域の商業の中心地。行楽地,避暑地,避寒地としても有名。人口1万 5743 (1990) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ラコニア
Lakonia
ギリシアのペロポネソス半島東南部エウロタス河谷地帯。肥沃で,ヘロットの耕すスパルタ人の土地とペリオイコイの村々があった。後者はローマのアウグストゥスの時代に「自由ラコニア人同盟」を結成,スパルタ人の支配から脱した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ラコニア
Lakonia
ギリシア南部,ペロポネソス半島の南東部地方
古代ギリシア時代には,スパルタの国土であった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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