パンフョーロフ(読み)ぱんふょーろふ(英語表記)Фёдор Иванович Панфёров/Fyodor Ivanovich Panfyorov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンフョーロフ」の意味・わかりやすい解説

パンフョーロフ
ぱんふょーろふ
Фёдор Иванович Панфёров/Fyodor Ivanovich Panfyorov
(1896―1960)

ソ連小説家貧農出身。革命後サラトフ大学に学び、農村ものの中・短編出発農業集団化を描いた長編『ブルスキー』(1928~37)が、その自然主義的作風、粗野な文体で大きな論議をよんだ。1931年から死去まで『十月(オクチャーブリ)』編集長。第二次世界大戦後は『平和のための闘い』(1945~47)でスターリン賞を受け、三部作『母なるボルガ』(1953~60)を書く。

江川 卓]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンフョーロフ」の意味・わかりやすい解説

パンフョーロフ
Panfërov, Fëdor Ivanovich

[生]1896.10.2. サラトフ
[没]1960.9.10. モスクワ
ソ連の小説家。貧農の家に生れ,1926年共産党入党。 20年代から創作活動に従事。ソ連邦最高会議代議員,ロシア共和国最高会議代議員を歴任代表作は農村集団化の過程を自然主義的な手法で描いた長編『ブルスキ』 Bruski (4部,1928~37) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報